――差別的な待遇を受ける高卒女性社員が主人公で、会社の不正を暴く映画といえば重くなりそうですが、リズミカルでエネルギーに満ちあふれた元気な映画でした。
楽しくておもしろい映画を作ろうと思いました。社会的弱者が内部告発をして企業を相手に闘うというのは実際には大変でつらいことです。そして多くは失敗に終わります。一度は映画の中ででも勝利を見たいと思いました。ファンタジーのように感じるかもしれないですが、映画のようにいつかは現実でも勝利できるという希望を描きたかった。多くの人が一緒に応援できるように愉快に表現しました。
――主演の3人、コ・アソン(イ・ジャヨン役)、イ・ソム(チョン・ユナ役)、パク・ヘス(シム・ボラム役)のキャスティングについて教えてください。
ジャヨンというキャラクターの核心キーワードは共感能力です。コ・アソンさんの場合、以前何度か会う機会があり、共感能力が高い人だと感じました。何より、演技がうまい!
ユナというキャラクターは、特徴を表に出さないかっこいい人、あるいは後方から支えてくれる人です。イ・ソムさんは10年前に撮影で一緒になったことがあります。当時イ・ソムさんは新人俳優、私は端役の俳優でしたが、移動手段がなくて困っていた私を車に乗せてくれました。初対面の相手にも気配りできるところがユナに似ていると思いました。
ボラムというキャラクターは数学の天才だけども、どこかネジが緩んだようなとぼけた天才です。パク・ヘスさんは、映画「スウィング・キッズ」の演技が印象深く、鮮明ですっきりした雰囲気の俳優が眼鏡をかけてとぼけた表情をすればとってもかわいいキャラクターになるだろうと思ってキャスティングしました。
作る過程も楽しくしたいと思って、撮影前の台本練習は事務所でなく自転車で漢江(ハンガン)へ行って芝生の上でセリフを読み合わせたりもしました。3人の俳優の友情のおかげで素晴らしいアンサンブルの演技が見られたと思います。
――男性監督が女性主人公の映画を撮る難しさはありませんでしたか?
女性の監督が演出した方がいいのでは、と当初は悩みましたが、やることに決めたからにはやるしかないと腹をくくりました。女性が主人公の映画が多くないなかで、周りの女性の友人たちから「必ずいい映画を作って」という応援と激励をたくさんもらいました。
私が選んだ方法は、先入観を持たないことです。このキャラクターは女性だから、貧しいから、大学を出ていないから、などと規定してしまうのはよくないと思いました。俳優たちと共に、それぞれの役について性別を問わずキャラクターの本質に集中するよう努力しました。ただ、難しかったのはキャラクター同士の関係でした。女性の友情に関して私が100%分かっているわけではないので、俳優たちにたくさん聞きながら、その意見を反映しました。
――コ・アソンさんは監督から撮影前に「一通りには演じないでほしい」と言われ、簡単に演じないでほしいということなのか、ワンパターンでない色々な幅を持った人物を演じてほしいということなのか、考えながら演じたそうです。どういう意図だったのでしょうか?
人はみんな単純に見えても複雑な心を持っていると思います。その複雑な心を演技で見せてほしいと思いました。内部告発など重い話を軽快に描く映画だからこそ、軽すぎる演技ではだめだと思いました。ジャヨンは「うまくいく!」と笑っていても、観客から見るとジャヨンは不安だろうなと感じられるような演技、そんなことを考えて言った言葉でした。
――監督が特に好きな場面は?
オープニングの出勤の場面です。女性たちが団体で画面を埋めて力強く歩く場面。男性がかっこよく歩く場面はよく見ますが、女性がかっこよく歩く場面はあまり見たことがなかったので、特に力を注ぎました。
――韓国は変化の早い国なので1990年代を再現するのも難しかったのでは?
最も難しかったのは地下鉄の場面でした。現在韓国の地下鉄駅にはプラットホームに乗客を保護するためのスクリーンドアが設置されていますが、90年代はありませんでした。映画では向かい側のプラットホームに向かって叫ぶ場面があり、携帯電話のない時代の雰囲気を表現したかったんですが、スクリーンドアのない駅は見つかりませんでした。悩んだ結果、CGの力を借りました。
――コロナ禍でも157万人もの観客を動員するヒットとなり、百想芸術大賞では作品賞を受賞しました。どんな点が評価されたと思いますか?
どうしたら観客がおもしろいと感じるかを追求して作った映画なので、コロナ禍で憂鬱な気持ちのなか、楽しく見てもらえたのだと思います。
共感も得られたと思います。社会の構成員である一人一人は、個人としては大抵弱者です。90年代の高卒女性社員の話ですが、会社の歯車のように毎日を意味なく過ごしているように感じたり、人生を浪費しているように感じたり、誰もが共感できる部分だと思います。
――当時の高卒女性社員は制服の色が違うという露骨な差別を受けていたことは映画で初めて知りました。作りながら、どんなことを感じましたか?
背景は1995年、私は中学生だったのでよく分かりませんが、この映画の制作会社の代表が当時会社員として勤務した経験があり、当時の差別のディテールを聞きました。制服だけでなく、昼食も一般社員は法人カード(会社で支給されるクレジットカード)で食べ、高卒社員はお弁当を持ってきて食べるなど。大卒社員だった制作会社の代表は当時の高卒社員に対する申し訳なさを抱えていて、それでこの映画を作りたかったとも話していました。
学歴や性別による差別については現在韓国ではかなり解消されたと考える人も、まだまだ問題があると思っている人もいます。ただ、以前は差別的な問題があってもみんなが黙って被害者ががまんするしかなかったのが、今は問題を指摘して加害者が処分されるなど確実に変化してきました。
――チョン・ジェウン監督の「子猫をお願い」(2001)でも高卒女性社員が印象的な形で登場し、「サムジンカンパニー1995」の主人公たちが地下鉄駅で走るシーンはオマージュのようにも見えました。
その通りです。「子猫をお願い」は私がとっても好きな映画で、韓国映画史においても貴重な映画だと思っています。「サムジンカンパニー1995」を撮るにあたってもう一度見直して、地下鉄駅を走るシーンは同じように撮ろうと試みました。オマージュによって、多くの人に「子猫をお願い」を思い出してほしいと思いました。
――日本の観客にメッセージをお願いします。
「サムジンカンパニー1995」は自分なりに一生懸命生きているけども認められなかったり、時に無視されたり、それでもがんばる人たちの映画です。何より楽しい映画です。映画を見て、今日よりも成長した明日を迎えられることを願います。