1959年生まれのチョ監督は20年以上、映画製作に携わってきたが、本作が初めての監督作になる。「国を代表する素材でやりたかった。朝鮮王朝を代表する偉大な世宗大王を選んだ」と語る。同時に、個人的な思いもあった。2010年に亡くなった母親は文字を学ぶ機会を得られなかったという。チョ監督は当時、映画製作の現場にいて、死別の瞬間に立ち会えなかった。「母は文字を知らないばかりに、つらい人生を送った。文字が人生に与える影響力とは何か、といつも考えていた」という。
また、史劇について「過去に素材を求めながら、(現代との)同時性をみつけていく」目的があったと語る。「(史劇から)新しい価値や時代をどう作るかという点について関心が高い」とも語る。そのため、本作品で描かれる世宗大王には、ハングルを作ったという業績だけには焦点を当てなかった。
家臣たちは、一般大衆が文字を覚えることで、権力を独占できなくなるのではないかと心配する。朝鮮王朝は儒教国家。仏僧がハングルの創作に協力したことにも反発する。世宗大王は、家臣たちを威厳や権力で黙らせるのではなく、時には悩み、時には自分を責めるような言葉を吐きながら、家臣たちの理解を得ようとする。
チョ監督は「世宗大王が偉大だということは、誰もが知っている。だから、プライドを主張するような映画をつくるのは面白くないと思った」と語る。劇中で、世宗大王は「朝鮮は弱い国だ」と語る。自身も、仏僧や臣下らに頭を下げることをいとわなかった。
そんな世宗大王をどう描くか。演じたソン・ガンホとチョ監督との間では「キャラクターの解釈で微妙な意見の違いがあった」という。「私は、一般の人と同じように泣き笑いのある世宗大王にしたかった。でも、ソン・ガンホは偉大な王としてのキャラクターも大事にした」と語る。
ソンが演じた世宗大王は、糖尿病なのに「一杯だけだから」と言って酒を飲もうとするし、漢字で書かれた書物を「書架に眠る紙くずと同じだ」と語りながら庭に放り捨てもする。ただ、ソンが他の作品でみせる、はっきりした感情表現やしぐさはない。抑制的に演じることで、偉大な大王の品格を守っている。チョ監督は「ソン・ガンホのような大俳優には、演技指導などあり得ない。最後は、ソンの演じた世宗大王像で良かったと思った」と語る。
また、脚本では、世宗大王が泣くシーンが1度だけ用意してあった。ハングル創作を応援した妻が亡くなり、その遺言を伝え聞く場面だ。
だが、この場面よりも先に撮影することになった最後の場面、世宗大王がハングル創作の苦労を振り返るシーンで、ソンは涙した。「瞬間瞬間の感情表現は、ソンに任せた。リハーサルもやらない。ソンが感情が高まったと判断した時に撮影をスタートさせた。だから、周囲も、最後の場面でソンが涙するとは知らなかった」という。後で、遺言の場面で涙するシーンも撮影したが、両方を比べたうえで、最後に涙するシーンを選んだという。
「ソンは、(チョ監督が脚本を書き、ソン・ガンホが王様の役を演じた2014年作の)『王の運命』の後、もう王様役はやらないと決めていたらしいが、今回を逃すと、二度と世宗大王を演じられないと思い、引き受けてくれた」
また、ハングル創作を巡り、パク・ヘイルが演じるシンミ僧侶ら、当時の社会で低い地位にあった仏僧らが登場する。「アジアの表音文字であるチベット文字やバスパ文字などは僧らがつくった。インド仏教が(東方に)波及する過程で起きた」と語る。
作品冒頭では、朝鮮を訪れた日本の仏僧らが、海印寺に所蔵された仏教聖典の「八万大蔵経」を譲ってほしいと懇願するシーンがある。「朝鮮王朝実録などに記述がある史実だ」という。このシーンを入れたのも、日本をからかう意味ではなく、仏教がインドから朝鮮半島を経て日本に伝わっていく過程で、各国で独自の文字が作られていった様子を描きたかったからだという。
こうして完成した作品だが、冒頭で「本作品はフィクション」と断っているにもかかわらず、韓国では「偉大な世宗大王のイメージを破壊した」「史実に反する映画だ」という批判の声が起きた。チョ監督は「韓国では、世宗大王と(文禄・慶長の役で日本軍を破った)李舜臣将軍は触ってはいけない聖域なんです。不快に感じた人々には申し訳ないとも思う」と語る。
一方、作品には史実を忠実に再現したシーンも数多く収められている。「世宗大王は即位するにあたって、兄たちを押しのける形になった。持病も多かった。結果的に見える偉大な王を描くよりも、こうした問題を克服していく過程を描くことになった」という。
そして、登場人物たちがつむぐ「多くの女性が、自宅に送る手紙も書けない」「国を滅ぼすのは真理ではなく、私利私欲だ」「無理に規範を作ることは、善意を伴った暴力だ」などというセリフには、現代にも通じるものがある。
チョ監督は「これからも、人生機会があるごとに、今の時代や次の時代にどんな話が必要なのかを考えながら、新しい映画を作っていきたい」と語った。