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「革命に成功した国」を捨てる若者たち、なぜ急増 密航業者が明かした手口

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「アラブの春」の震源地となったチュニジア中部シディブジドでは、中心部のビルの壁に焼身自殺を遂げたムハンマド・ブアジジの巨大な肖像が掲げられている=2020年12月3日、高野裕介撮影

■「革命でいいことはあったか?」

チュニスで2011年1月、治安部隊がガス弾を撃ち込むなか、逃げまどうデモの参加者ら=貫洞欣寛撮影

「アラブの春」の先駆けとなる革命は、北アフリカのチュニジアで起きた。国を代表する花の名にちなみ、「ジャスミン革命」と呼ばれた。

それから10年。民主化の「唯一の成功例」と呼ばれるこの国で、異変が起きている。夜な夜な密航船に乗り込み、欧州に渡る若者たちが急増しているのだ。イタリア内務省によると、チュニジアからの密入国者は昨年約1万3000人に達し、全体の38%を占めた。

何が起きているのか。昨年12月初旬、地中海の港町スファックスを訪れた。夜、カフェの軒先で相対した男性(33)は、黒いキャップを目深にかぶり、背丈は190センチほど、見るからに腕っ節が強そうだった。本物かどうか定かでないが、「ルイ・ヴィトン」の靴を履いている。彼こそが若者たちを手引きする、密航業者だった。

ここまで約2カ月を要した。無理だと言う現地の協力者を口説き落とし、友人らのつてをたぐり寄せ、「少し雑談するだけ」という条件で接触にこぎ着けた。

「場所を変えよう」。人目を気にした男性は小声でそう言い、駐車場に止めた私の車に一緒に乗り込んだ。堅い口を割ろうと注意深く質問を投げかけると、こちらの意図を探っていた男性が少しずつ密航の手口を話し始めた。

国内各地から密航希望者を集め、沖合のケルケナ諸島に送る。そこから約140キロ離れたイタリア・ランペドゥーザ島まで船で連れていく――。男性のスマートフォンの画面に、近海の地図が映っていた。「今夜は風が少ない。こんな日は船が出るだろう」。風向きや風速を予報するアプリを見せながら、男性は言葉を継いだ。「事故は絶対に起こさない。この商売は信用が第一だから」

チュニジアからランペドゥーザ島に着いた船。約500人のチュニジア人を乗せてきたという=2020年10月、河原田慎一撮影

10年前、男性自身も反政府デモに参加していたが、上向かない生活に失望し、この仕事を始めたという。「普通に働いてもまともな稼ぎはない。革命で何か良いことがあったか? みんな、『より良い人生』を求めているから、俺は海を渡る手助けをするんだ」

海外での働き口や将来が保障されているわけではない。それでも、今よりは楽な生活ができる。そんな思いで、若者たちは海を渡っているのだという。

男性は2人の子どもの父親で、昼間は不動産の仕事をしているという。密航について語るとき、車外ではアラビア語で「俺たち」という主語を使ったが、車内では「彼ら」と言い換えていた。

一緒にいた男性の友人がささやいた。「万一、録音をされても言い逃れできるよう万全の対策をしている。仕事を失えば、財産も家族も全てがパーだから」

■密航1回で半年分の稼ぎ

私は密航船の出発地・ケルケナ諸島に渡った。カーフェリーで港に入ると、数人が人の出入りに目を光らせていた。「私服警察だ」。密航への警戒を強めていると案内人が教えてくれた。車のラジオからイタリアの放送局が流すポップミュージックが聞こえ、欧州との距離の近さを感じさせた。

イタリアへの密航船が出る島にある港。最近は密航者の取り締まりが強化されているという=2020年12月5日、チュニジア・ケルケナ諸島、高野裕介撮影

島で10代から密航に携わるという男性(24)に会った。数年前に逮捕されて刑務所に入ったが、この仕事がやめられない。その理由は明快だった。「生きていくため」。革命が自分には何の恩恵ももたらさなかった。そんな憤りが、言葉の端々ににじんでいた。

また逮捕される恐怖はないのか。密航船を1回出せば、取り分は5000ディナール(約20万円)。島の若者の半年分の給料に相当する。最初は反対していた父親も稼ぎを見て黙った、と彼は言った。

「アラブの春」の意義を取材していると告げると、彼は鼻で笑った。「ネットを見てみろ。iPhoneを持ち、日本製の大型バイクに乗って優雅な生活をしているやつらが世界にたくさんいる。ここは貧しく、仕事もない」

そして、こう続けた。「いつかボスになって、自分のグループを持つんだ」

イタリアへの密航船の出発場所だった海岸=2020年12月5日、チュニジア・ケルケナ諸島、高野裕介撮影

密航現場を自分の目で確かめたい。この男性に頼んだが、新型コロナウイルスによる夜間の外出規制を破れば当局に拘束される恐れがあるうえ、外国人に「仕事場を荒らされた」と感じる密航業者の行動が予測できず、身の安全を保障できないと言われてあきらめざるを得なかった。

ケルケナ諸島の主な産業は漁業で、夏には観光客が訪れる。沖合のガス田関連の仕事に従事する島民もいる。

ハリール(26)もその一人。漁師とガス田関係の仕事を掛け持ちし、実入りは月600~1000ディナール(約2万4000~4万円)。収入が安定しないと結婚も考えられない。「好きな女性を自分と一緒に苦しませるわけにはいかないから」。この5年間、周囲でざっと100人近くの友人らが海外に渡り、多くが密航という手段を使ったという。

彼は言った。「僕らにとって、アラブの春は無に等しい」

■「革命の英雄」に向けられた憤り

チュニスで2011年1月、シュプレヒコールを上げる市民たち=前川浩之撮影

チュニジアの革命は2010年12月17日、ある青年の死で始まった。中部シディブジドで野菜売りをしていたムハンマド・ブアジジ(当時26)が、警察に理不尽な扱いを受け、抗議の焼身自殺を遂げた。失業や地域格差、圧政への市民の不満が爆発し、全土にデモが拡大した。

ブアジジが自殺した街の中心部を訪れると、ビルの壁に彼の巨大な肖像があった。「殉教者」とも呼ばれる彼は街の誇りであり、英雄のように感じられた。

シディブジドは、首都チュニスなど地中海沿岸部の都市に比べ発展が遅れ、地域格差を象徴するような街だ。チュニジア全体で見ても、1人当たりの国民総所得は3370ドル(19年)で、革命前より800ドル近くも落ち込んだ。政争が続いて短命政権が繰り返され、失業や停滞する経済は放置されたまま。一部の人間が今も利権を独占していると言われ、市民の不満は収まらない。

憤りはブアジジにも向かう。英雄として祭り上げられた彼への批判が、この数年は公然と聞こえるようになった。彼の実家周辺を歩くと、「ブアジジはとんでもないことをしてくれた!」と私に不満をぶちまける女性もいた。

多くの観光客が訪れるシディ・ブ・サイド

「10年経ってもこんな生活だ」。カフェで話を聞いた運転手のタウフィク(51)は、底のはがれた靴を見せて訴えた。23年間続いたベンアリ独裁政権では秘密警察や治安部隊が目を光らせ、政府に批判的な発言は拘束されるリスクもあった。革命後、自由選挙が行われ、言論の自由を保障する新憲法もできた。それでも、とタウフィクは言う。「言論の自由? そんなもの俺たち庶民の生活には役立たない。意味があるのか?」

だが、ブアジジへの賛否を問われると、彼の歯切れは悪かった。「好きとか嫌いとか、そういう個人的なことじゃない。でも、やっぱりブアジジによって引き起こされたことは良くなかった……」

帰り道、現地の協力者がこう解説してくれた。「ブアジジを否定することは、革命の地として誇りを持った彼ら自身を否定することになる。上向かない生活のなか、自尊心さえも傷つけられれば、やりきれない」

チュニジアは15年ごろから、過激派組織「イスラム国」(IS)の出現という危機に見舞われた。当時、一人旅で南部に滞在していた私は、約70キロ離れた街にISが攻め込み、不安に駆られたのを覚えている。車に乗せてくれたマサウード(33)は、「シリアでISに参加して死んだ友人が2人いる。ここには仕事もないし」と淡々と語った。今回の訪問で治安の悪さやテロの脅威を感じることは減ったが、問題の根は今も残っていた。

これだけの苦難に直面してもなお、この国の人々にとって、革命があって本当に良かったのだろうか。地元ラジオのジャーナリスト、シェーキル・ベスベース(38)に疑問をぶつけると、あきれたような顔を浮かべた。「そんな愚問を聞くとは思わなかった。革命はすでに起こったことなのです」

ベンアリ時代に比べれば、タブーなしに議論ができ、「アラブの春」で独裁政権が倒れた隣国リビアのような内戦もなく、自由な選挙が行われている。彼はそう誇った。

「すべて政府がやってくれると思ってはいけない。自分たちで行動を起こさなければ。10年という月日は、物事を完全に変えるには十分な時間ではない」

チュニジアに端を発した「アラブの春」のうねりは、地域大国エジプトにも押し寄せ、長期独裁政権が崩壊した。ところが、この国の人々は今、再び厳しい強権統治に置かれている。かつて革命に沸いたカイロ・タハリール広場。私は久々に、かの地を訪ねた。(つづく)

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