■「過食で140キロ」と韓国情報機関
韓国の情報機関、国家情報院によれば、身長約170センチとされる正恩氏の体重は、権力を継承した2011年末は約80キロで、翌年8月に90キロに増えた。足を引きずる姿が確認された14年には120キロに、16年には130キロに達した。国情院は昨年11月の国会説明で、体重が140キロに達したと説明していた。体重の減少は10年ぶりのことになる。
国情院は正恩氏の体重の変化について「祖父の金日成主席の体形に似せるために体重を増やしてきたが、途中で過食が止まらなくなった」と説明してきた。
北朝鮮関係筋によれば、正恩氏が初めて公開の席に現れた2010年秋の時点で、一般市民からは「なんで、あんなに太っているんだ」という声が上がっていた。80キロでも不評だった体形が140キロまで増加したのは、最高指導者としての重圧から来るストレスだったとみられている。
情報関係筋の1人によれば、正恩氏は李雪主夫人との結婚後、女性問題での醜聞は聞かないものの、酒とタバコ、食事で暴走が目立つという。食事は肉類や、スイス留学時代に覚えた高カロリーなエメンタールチーズが好物。夜遅くまで、少数の側近たちとワインやビールなどを楽しむ。ある夜、酔っ払って軍幹部を招集。寝込んでしまったソファで翌朝目を覚ましたところ、集まった軍幹部たちが心配しそうに取り囲んでいたという未確認情報もある。
タバコも好きで、病院や教育施設のような場所でもタバコを吸う姿が公式報道から確認されている。2018年3月に訪朝した韓国代表団が「タバコは体に悪いので禁煙なさったらどうですか」と聞いたところ、同席していた金英哲党統一戦線部長らが苦々しい表情でにらみつけたという。同席した李雪主夫人が「禁煙してくださいと何度言っても聞かないんですよ」と語り、凍り付いた空気を和らげた。
北朝鮮の公式報道を見ると、一時的に金正恩氏の近くから灰皿が消えた時期があったが、すぐに復活した。11日に行われた党中央軍事委員会拡大会議でも、正恩氏のそばには大きな灰皿が置かれていた。
【合わせて読む】禁煙強化が進む北朝鮮 金正恩氏のたばこは、どうする
正恩氏が置かれた孤独な環境も悪かった。祖父、金日成主席の場合、息子の金正日総書記によって徹底的に健康管理がなされていた。金正日総書記は、父親の1日の日程が必ず散歩で始まるよう公式に指示していた。最高指導者の長寿を研究する「万寿無疆研究所」も設立した。金主席は82歳まで生きた。
逆に金正日総書記にはいさめ役がいなかった。ストレス解消のため、夜ごとに側近を集めた酒パーティーを開き、健康の悪化に拍車をかけた。2008年8月15日に脳卒中で倒れた当時は身長166センチ、体重は80~85キロに達していた。脳卒中から回復した後、一時的にダイエットして70~73キロまで体重を落としたが、正恩氏への権力継承作業が軌道に乗ると、安心したのか、09年秋ごろまでには飲酒と喫煙を再開した。
当時、長男の金正男氏は周囲に「父が再び、酒とタバコを始めたそうだ。健康が心配だ」と漏らしていた。しかし、権力闘争に敗れた正男氏が父親にしてあげられることはなかった。金正日総書記は飲酒と喫煙を再開して2年ほどで死去した。享年70歳(北朝鮮の公式発表では69歳)だった。
そして、父親と同じように、金正恩氏の周囲にも、健康を気遣って強く諫めてくれる人がいないという。朝鮮労働党の元幹部は「正恩には同志と呼べる存在がない。いても(実妹の)金与正くらいだろう」と語る。
金正恩氏はカリスマ性があって正真正銘の独裁者だった金日成主席とは異なる。ドイツ大使として北朝鮮に2度赴任したトマス・シェーファー氏も「金正日総書記も軍などに気を遣っていたが、正恩氏の権力は父親よりもはるかに弱い」と語る。正恩氏はエリート層との共生関係にある「名目上の独裁者」に過ぎないといえる。
しかしエリート層も自らが権力を握っているためには、金日成主席との血縁関係を示す「白頭山血統」が必要だ。また、最高指導者を軽く扱えば、競争関係にある他のエリートから讒言を受けて粛清される可能性もある。衷心から正恩氏を気遣う考えもないので、当たり障りなく、正恩氏の気が向くままに食事も酒もタバコも見逃しているというのが実情だろう。
では、そんな放埒な生活を送ってきた正恩氏がなぜ体重を減らしたのか。
■一時途絶えた動静、急な党大会開催
複数の情報関係筋によれば、正恩氏は従来から、高血圧や糖尿病を患っているという。日本の医療関係者は「糖尿病が悪化した場合、栄養バランスを取りながら、体重を大きく抑えていく。この過程で物忘れや頭の回転が遅くなり、不機嫌になることが増えると言われている」と語る。
昨年4月、正恩氏の動静が一時的に途絶えたことがあった。5月には活動を再開したが、当時、朝鮮労働党内で最高指導者のサインが必要な「1号議定書」の決裁が下りない事態が発生していた。複数の情報関係筋は「正恩氏の健康に何らかの異常が発生した可能性が高い」と語っていた。
そして、北朝鮮は昨年8月、今年1月に党大会を開くと予告した。通常、予告期間は6カ月と決められている。慌てて党大会を開いたことから、妹の金与正氏が補佐役として昇進するとの見通しが出た。だが、与正氏は党大会で党政治局員候補から党中央委員に降格され、一時的にこうした見方は勢いを失った。
だが、最近になり、党大会での党規約の改正により、「党総書記の代理人である」と明記した第1書記のポストを新設した事実が明らかになった。金正恩氏の身に何かあったときのための緊急避難的な措置を講じたとの見方もできる。
「第1書記」のポストを新設した事情を考えれば、正恩氏の体重減は健康の悪化を伴う可能性がある。
■平壌外の現地指導途絶えた?
健康状態が悪化していなくても、正恩氏の食欲が落ちているのかもしれない。実際、正恩氏の気力の衰えとも受け取れる現象が起きている。
党機関紙、労働新聞が伝えた今年の正恩氏の公開活動のうち、会議や公演への出席を除いた現地指導は3回しかない。いずれも場所は平壌だ。毎月のように現地指導に出かけていた面影はない。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う予防措置かもしれない。
ただ、最高指導者による現地指導は成果が伴うものでなければならない。「最高指導者の訪問で成果が出た」という事実が、カリスマを生み、市民の支持につながる。金日成主席は現地指導の際、札束を詰め込んだジュラルミンケースを常に携行させていた。
しかし、経済状態の悪化で成果を出せる施設が減っている。正恩氏が訪れた施設も中小規模の工場や建築物が目立っていた。2020年まで実施した国家経済発展5カ年戦略も失敗した。米国との外交戦にも敗れ、何の経済的利益も得られなかった。
正恩氏は15日の党中央委員会総会で「食糧事情が緊張状態にある」と語った。12年4月、「人民のベルトを2度と締め上げるような(飢えさせる)ことはしない」と豪語した面影は全くない。米政府の元当局者は「現地指導が減っているのは、正恩氏の政治への意欲が薄れている証拠かもしれない」と語った。
労働党の元幹部は「正恩氏1人に任せずに済むシステムを作っているのかもしれない」と語る。第1書記を新設したほか、政治局などの役割も細かく定め、「最高指導者に断りもなく、幹部が勝手なことをしている」という讒言を浴びずに済む体裁を整えた。
11日の党中央軍事委員会拡大会議を伝えた北朝鮮公式メディアは、金正恩氏が「軍は高度の撃動態勢を徹底的に堅持すべきだ」などと語ったと伝えた。ただ、最高指導者のマルスム(お言葉)にふさわしい、大方針や戦略を示したというにはほど遠い、当たり障りのない発言だった。金正恩氏は17日の党中央委総会で米バイデン政権との関係に言及した。やはり、「対話にも対決にも全て準備しなければならない」と語るのみだった。
体重の減少は、正恩氏の気力の衰えを示す兆候なのかもしれない。