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スパイ活動は国家間のフェア・ゲームか?  被害に遭うのは個人 

小笠原みどりの「データと監視と私」 更新日: 公開日:
2011年11月30日、UAE政権の恩赦を受けた5人の政治活動家の一人で、ロイター通信の取材を受けるアフメド・マンスールさん。この前日、5人の政治活動家がUAE指導者を侮辱したとして有罪判決を受けた=ドバイ、ロイター

2018年10月、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア領事館で、米ワシントン・ポストのコラムニストだったジャマル・カショギ氏が惨殺された事件に、イスラエルのスパイウェアが関わっていたことを前回書いた。サウジアラビア政府はイスラエルのソフトウェア会社NSOグループからスパイウェア「ペガサス」を購入し、カショギ氏の友人の携帯電話をハッキングして、サウジ政府を批判する二人の動向をスパイしていたのだ。

NSOへの相次ぐ訴訟

携帯電話を乗っ取られ、カショギ氏という友を失ったオマー・アブドゥラジズさんは同年12月、イスラエルでNSOに対する損害賠償請求裁判を起こした。NSOに対しての訴訟はこれが初めてではない。NSOは以前から外国政府にペガサスを販売し、政府にとって都合の悪い真実を伝えるジャーナリストや人権活動家を弾圧するのを助けてきた。これまでにアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、カザフスタン、メキシコ、モロッコなど世界46カ国で、ペガサスの感染が判明している。これらの国々でスパイされ、投獄され、いのちを狙われてきた人々が、NSOに対し訴訟を提起している。

国際的な人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルもまた、職員がペガサスに狙われ、ペガサスの輸出許可を取り消すようイスラエル政府に求める訴訟を起こした(2020年7月に棄却)。WhatsAppから外交官やジャーナリストたちの交信を盗まれたフェイスブックも2019年10月、NSOに対して今後WhatsAppへのアクセスを禁じる裁判所の命令を求めて、米国で訴えを起こしている。

それでもペガサスの被害は拡大し続けている。2020年12月にもカタールの放送局アルジャジーラと、ロンドンを拠点とするアラビア語放送局アララビーの記者たち37人のアイフォンが、サウジ政府とUAE政府のためにハッキングされていることが明らかになった

ペガサスに収集された証拠によって投獄

UAEの著名な人権活動家、アフメド・マンスールさんもペガサスの標的にされた一人だ。2011年に指導者を侮辱したとして逮捕されたが釈放され、イエメンに対する戦争や移民労働者の扱い、政府に反対する人々の拘束などを、SNSなどで批判してきた。2016年8月、マンスールさんは「UAEの拘置所で拷問されている人がいるので、このリンクをクリックしてほしい」というメッセージをアイフォンで受け取った。彼はクリックする代わりに、この怪しいメッセージをカナダ・トロント大学でデジタル技術と人権について調査する機関シチズン・ラボに送った。シチズン・ラボは、このリンクがNSOのシステムに属していることを突き止めた。もしクリックしていれば、アイフォンのカメラとマイクが政府の目と耳となって彼の生活を見聞きし、通話やチャットの内容を記録し、移動の情報も政府に送信していたはずだ。

マンスールさんはペガサスの難は逃れたが、UAE政府から他にも多くのハッキング攻撃を受けていたようだ。本人が気づかないうちにパソコンから盗まれた個人情報のなかには、私的なメールも含まれ、政府に反対して投獄された人を面会に訪れた際に撮影した写真もあった。刑務所内での写真撮影は禁止されていたため、この盗まれた写真が証拠となってマンスールさんは2017年3月に再び逮捕され、秘密法廷にかけられ、「SNSを利用して虚偽の情報を流し、国の名誉を傷つけた」などの罪で禁錮10年を言い渡された。マンスールさんは最も過酷な独房に入れられ、健康状態が危ぶまれている。

国家の犯罪は許されるのか

相次ぐ訴訟に対してNSOは、スパイウェアの販売は「政府や捜査機関が合法的にテロリズムや犯罪と闘う能力を提供する場合のみ限っている」として、違法性を否定し、訴訟の棄却を求めている。悪者を相手にしているのだから合法、というわけだ。さらに、フェイスブックが提起した訴訟では「外国政府との契約に基づく仕事なので、免責されるべきだ」と、政府の存在を盾に取っている。しかし、国家ならば何をやってもいいのか。

民主主義的な憲法を持つほとんどの国では、政府が人々をスパイすることは明らかに違法だ。憲法が禁じる不当な捜査や押収に当たり、日本の憲法も明確に通信の秘密を保障している。警察は誰でも捜査の対象にしていいわけではない。犯罪に関わったという明確な理由抜きに人々の情報を集めてはならないし、個人のプライバシーを侵害する盗聴や監視活動は、裁判所から事前に令状を取る必要がある。こうした手続きを踏まない証拠の収集は違法であり、無効だ。

スパイ活動は、歴史的に国家間の戦争と覇権競争を背景に発達してきた。エドワード・スノーデンが暴露したアメリカ国家安全保障局(NSA)の世界的監視システムが対テロ戦争によって育てられ、NSA自体が第二次世界大戦の暗号解読に起源を持っているように。国家のスパイたちは、外国人をスパイするのはフェア・ゲームだと思っている。しかし実際には、諜報機関は外国人だけではなく、国内の人々も監視してきたことがスノーデン・ファイルによって明白になり、ペガサスのように商品として国境を越え、各国政府の国内世論弾圧の手段となる事態に発展しているのだ。

マンスールさんが政府のデジタル・スパイ工作に陥れられ、投獄されたことは2019年1月、ロイターの「アメリカの傭兵たちによるUAEの秘密ハッキング部隊」というスクープによって明らかになった。アメリカ人の元NSA職員たちがなんとUAE政府に雇用され、NSA仕込みのサイバー攻撃を展開していたことを内部告発したのだ。そのうちの1人は告発に至った動機として「アメリカ市民をスパイしているとわかったとき、一線を超えたと思った」と話している。

では、マンスールさんならスパイしてもよかったのか? 日本人ならどうか? 国籍によって人権の重さは異なるのだろうか? 国対国でスパイし合っていると考えればゲームで済むかもしれない。けれど、その被害に遭っているのは個人であって、国という抽象体ではない。マンスールさんは国家間の競争や利害とはなんの関係もない。政府の腐敗と人々の困難を伝えようと、勇気ある発言を続けてきた。その人間社会にとって最もよき声が、スパイ合戦の名の下に抹殺されているのだ。

違法なスパイウェア、スパイ活動に対する規制は、いま国際的な枠組みを必要としている。でなければ、NSOが外国政府にスパイウェアを販売し、アメリカ人がUAE政府の弾圧に手を貸すという抜け道を閉ざすことはできない。国籍やナショナリズムによって、違法監視を免責することは許されない。カショギ殺害事件をきっかけに、国連でも取り組みが始まっている。

アムネスティはマンスールさんの即時釈放を求めてキャンペーン中だ。卑劣なスパイウェアに最もよき声を消されないために、ぜひ署名してほしい。