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「ユン・ヨジョン」という代替不可のブランド

東亜日報より 更新日: 公開日:
ユン・ヨジョンが映画「火女」(1971)でネズミのしっぽをつかんでいる【東亜DB】

「私は生きるためにワンシーン、ワンシーン、命がけで演じます」

二十歳でデビューし、54年間、通行人の後ろ姿ですら命がけで演じてきたユン・ヨジョン。ユンは2021年、人生最高の全盛期を迎えている。73歳のユンにとって、今が人生のクライマックスと言うのは、映画「ミナリ」でオスカー助演女優賞の有力候補に挙がり、全米批評家委員会や米国女性映画記者協会、サンセット・フィルム・サークル・アワードなど米国の演技賞20冠を達成し、韓国の映画史に新たな歴史を刻んでいるからというだけではない。ユンが駆使する、ぶつぶつ言っているようで堂々とした口ぶり、ウィットに富んだ英語のスキル、時代を超える感覚的なファッションスタイルまで、「ユン・ヨジョン」というブランドが世代を超えてインスピレーションの源泉となっているからだ。

離婚後、生活費のため端役から演技

1966年、TBC3期のタレントとしてデビューしたユン・ヨジョンは小柄ながらはつらつとした性格で、デビューから注目を浴びた。温室の花のような可愛らしい顔の女優が人気だった当時、ユニークな目鼻立ちのユン・ヨジョンの登場は映画界でも新鮮なセンセーションだった。ユン・ヨジョンの映画デビュー初期の代表作は、1971年、故キム・ギヨン監督の「火女」。ユンはこの映画で家政婦として勤め先の家の主を誘惑する役を熱演し、大鐘賞映画祭の新人女優賞、青龍映画賞の主演女優賞、シッチェス映画祭主演女優賞を受賞し、デビュー5年でトップ俳優の座についた。同じ年、ドラマ「チャン・ヒビン」で悪女チャン・ヒビン役を見事に演じ切り、スターダムを駆け上った。旺盛な俳優活動を行っていたユンだが、1974年に歌手のチョ・ヨンナムと結婚し、米国に移り住んで芸能界から忽然と消えた。1984年、韓国に帰国したユンはチョ・ヨンナムと離婚した後、端役として俳優活動を再開した。

2009年にはMBCのバラエティー番組で、ユンは離婚当時をこう振り返った。「生活費を稼ごうと、端役でも何でもやった」。一時はキム・ギヨン監督のペルソナとも呼ばれたユン・ヨジョンがMBCのドラマ「田園日記」に端役で出演した理由だ。再開した俳優活動は厳しいものだった。「田園日記」でご飯を食べる演技で、キム・スミはユンに「ここではそんなふうにご飯をいやいや食べたらダメ」と助言し、この言葉はユンの演技人生の肥やしとなった。ユンはこの後、徹夜してでも一言も間違わぬよう演技を練習し、今の俳優ユン・ヨジョンとして生き残った。

その後、ドラマ「愛が何だって」(1991)、「風呂場の男たち」(1995)、「棚ぼたのあなた」(2012)、「ディア・マイ・フレンズ」(2016)などに出演し、お茶の間の代表的な女優としての立場を築いた。また、映画では「女優たち」(2009)、「ハウスメイド」(2010)、「蜜の味~テイスト オブ マネー~」(2012)、「チャンス商会~初恋を探して~」(2015)、「バッカス・レディ」(2016)、「藁にもすがる獣たち」(2020)などで驚異的な演技を見せ、新たな作品に挑むたびに「人生最高作」を塗り替えている。

ウィットに富む英語も話題

ユン・ヨジョンは演技だけでなく、ファッション、人生観、英語など多方面で韓国の全世代にインスピレーションを与えている。ユンのファッション感覚は2013年のバラエティー番組「花よりお姉さん」で光った。スキニージーンズにストライプのTシャツとスニーカーをクールに合わせたり、白いシャツの上にベージュのカーディガンを無造作に結び、サングラスでエッジをきかせたり。ユンはこの番組で人生哲学を披露したこともある。

「難しくない、痛みのない人生なんてあるわけない」

「60になったって分からない。私も67歳になったのは初めて」

ハスキーボイスでお母さんが息子に言うような言葉に視聴者は共感し、癒された。現在放送中のtvN「ユンステイ」ではウィットに富んだユンの英語が話題だ。韓国式の発音で堂々とユーモアと感動を自由自在に生み出す彼女の英語表現には、人生に対する態度がそのまま表れている。

韓国を代表する女優を超え、「ユン・ヨジョン」という代替不可のブランドとなったユン・ヨジョン。ユンは今、映画「ミナリ」の愛すべきおばあさんスンジャとして私たちの前に立っている。2月3日の第78回ゴールデングローブ賞候補発表で「ミナリ」が外国語映画賞候補に挙がったが、ユン・ヨジョンの助演女優賞候補の指名はなかった。

4月25日に開かれる第93回米国アカデミー賞授賞式、オスカーはユン・ヨジョンのウィットに富んだ受賞コメントを聞く機会を与えてほしい。

(2021年2月7日付東亜日報 ハン・ヨジン記者)

(翻訳・成川彩)