――核軍縮と核抑止の議論はいつも対立して、かみ合わない印象があります。
欧米でも議論がかみ合わないのが現実だ。目指す世界観や理想が一致しないからだろう。
核軍縮論者は「核は悪」という考えから始める。広島や長崎での惨禍に目を向け、「心情倫理」を重視する。核抑止論者は「戦争を起こしてはいけない」という「結果倫理」を重視する。結果的に、核兵器の存在が、全面的な大戦争を防いでいる現実を評価している。
(「心情倫理」と「結果倫理」=社会学者マックス・ウェーバーの言葉。心情倫理が主に動機付けが正しいかどうかを追求するのに対し、結果倫理は結果において正しいかどうかを問う)
核軍縮研究では、冷戦の時代から、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)やすべての核兵器廃絶を求めているパグウォッシュ会議などが有名だ。核抑止の研究では、英国国際戦略研究所(IISS)や米ランド(RAND)研究所がよく知られている。でも、この二つの立場をつなぐ対話は少ない。
日本は広島・長崎の記憶が強く、核軍縮の訴えが広く社会に浸透した。
その一方、核兵器はタブー視され、軍事・戦略研究も長らく、白眼視されてきた。日本で「同盟」という言葉が市民権を得たのは1980年代、同様に「核抑止」という言葉が定着したのは2000年代になり、北朝鮮の核の危機が公然化してからだった。
――世界で、核の抑止力の歴史はどこから始まっているのでしょうか。
少なくとも英米両国は第2次大戦後も核抑止の重要性を強く認識していた。終戦の年(1945年)に起草された国連憲章には、第45条で「加盟国は、合同の国際的強制行動のため、国内空軍割り当て部隊を直ちに利用に供せるように保持しなければならない」とある。国際的な合意が得られれば、国連の常設軍を創設し、空軍力による和平を図るという期待もあった。原爆という「絶対兵器」の開発競争に勝てば、二度と戦争を繰り返さない世界が訪れると夢想することもあった。しかし、この構想は米ソ冷戦の開始によってとん挫した。
ただ、英国首相を退いたばかりのチャーチルは1946年3月、訪米先で行った有名な「鉄のカーテン」演説で、「核兵器が使われたら、どうなるのか知っている」と言及し、核抑止力に触れている。
朝鮮戦争で米軍は国連軍として参戦していたが、そこでも原子爆弾の威力は意識されていた。トルーマン米大統領は1950年11月の記者会見で「原子爆弾の使用を常に積極的に考えている」と語った。彼は「原子爆弾の使用を見たくはない」「醜悪な兵器だ」とも語ったが、すでに核の抑止力を強く意識していたと言える。
――日本では「核抑止」というよりも、「核の傘」という言葉が有名です。
「核の傘」という言葉が使われたのは冷戦期の特徴だが、キューバやベルリンでの核危機を経験して、「拡大抑止」という表現が欧米では広く使われるようになった。これはメディアも含めて、核軍縮論が優勢な日本で、核抑止論が受け入れられるために使われた苦肉の言葉だったのではないか。傘は攻撃的なイメージがないし、守られている感じがするからだ。
――お隣の韓国では最近、独自の核開発や北大西洋条約機構(NATO)で加盟国の一部が米核兵器を管理する「核の共同管理」(nuclear sharing)の導入を唱える人が増えてきました。
NATOは冷戦を通じてソ連軍に対して圧倒的に劣勢だった。ソ連軍による侵攻をハンガリーやチェコのような事態になることを避けるため、米国の核爆弾やミサイルを自分の国に配備させ、米国の核抑止力を目に見える形で連動(カプリング)させた。
これは、目の前に軍事境界線が広がる韓国の人々のメンタリティに近いと思う。核抑止力や核戦略は、それぞれの国や地政学的な事情によって変わる。日本は海洋国家で海に守られているため、ミサイル防衛を高度化するなど、より静かな抑止力を求めることができる立場にある。また、独自の核開発路線は日本が核軍備管理へ背を向ける行為になる。
――核について「持たず、作らず、持ち込ませず」とした日本の非核三原則は今でもその価値は不変でしょうか。
それは、非核三原則が提唱された1960年代後半年から、日本の置かれた戦略環境が変わったかどうかで判断すべきだろう。当時は、世界的な核不拡散の動きのなかで、沖縄返還という課題もあり、そうした中で非核三原則は作られていった。そこでは、米国の核抑止力への依存という部分は注目されなかった。
現代では、北朝鮮だけではなく、中国による核とミサイルの脅威が顕在化している。米国は昨年、ロシアとの間で中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱した。米国内では、中国の脅威に対抗するため、アジアへ地上発射型のミサイル配備を期待する声も出始めている。
広島・長崎を忘れないことはとても重要だ。核禁条約が発効した意義も受け止め、究極的には核廃絶の目標を堅持すべきだ。そうした心情倫理に、非核三原則は合致する。
しかし、今の核やミサイルの脅威が増大するなか、安全保障と戦略を論じる必要が高まっている。日本は、核と通常兵器を組み合わせた抑止力が必須だと判断し、また、核兵器国も核禁条約を支持しないということを踏まえ、これに参加しなかった。視点を変えて、例えば中国、ロシア、北朝鮮が核禁条約に参加する世界とはどのようなものだろうか、どんな条件がそろえばよいのか。そうした視点から、世界を構想することも意味があるだろう。
一方、核抑止の信頼性は喫緊の課題だ。ミサイル防衛の問題では、日本の場合、技術的な課題や地域の反対運動という国内問題が焦点になる。それを超えた戦略論議を積み重ねることも重要だ。
例えば、バイデン米政権が、米国の日本に対する防衛義務を定めた日米安保条約「第5条」が尖閣諸島にも適用されると日本で広く報道されている。「第5条」の起源はNATOであり、それと同じ表現を使えば、日本の立場が世界に自然と伝わる仕組みになっている。これは同盟の結束を訴えるメッセージとして重要だ。
――米国は自分の領土が攻撃される危険を冒してまで、日本を守るために中国に核の傘を適用するでしょうか。
そのためには、米国にとっての日本の戦略的価値を高め続ける努力が必要だ。変化し続ける戦略環境に対して、同盟国として責任を共有する必要がある。新型コロナウイルスの議論も重要だが、それは平和があってこそ可能になる。
キッシンジャー元米国務長官は「啓蒙化された国益」の概念を唱えた。目の前の利益ではなく、国民が守るべき根本的な利益がどこにあるのかを考える必要がある。超大国の米国には技術力もあるし、米国を巻き込むことで他の国々も注目してくれる。日米同盟がどのレベルにあるのかを他の国々にも示しながら、日本の価値を高める努力を続けなければならない。
よしざき とものり 慶應義塾大学大学院修了、ロンドン大学キングスカレッジ防衛研究学部客員研究員や米ハドソン研究所客員研究員を歴任。専門分野は戦略論、同盟研究、平和構築、ヨーロッパの安全保障。