日本でもいよいよ新型コロナワクチンの接種が始まりますね。今回はそれを踏まえ、イギリスにおける新型コロナワクチンに関するお話を、感染状況や対策なども含めて簡単にしていきたいと思います。
前回新型コロナウイルスの状況についてお話ししたのは8ヶ月前でした。その際にお伝えした、かかりつけ医(GP)の診療所が提供する新しい受診方法としてのオンライン診療などは今もまだ続けていて、病院も電話診療やオンライン診療をできる限り提供するようにしています。
あれから検査体制も拡充してきました。8ヶ月前は1日当たり約10万件のPCR検査で手一杯でしたが、執筆時現在では1日約40万件(キャパシティは約77万件)まで増えてきました。イギリスの保健省の統計によると、結果もより早く返ってくるようになり、最近では一般国民を対象とする検査結果の83%が24時間以内に返ってきています。検査にどれくらいの時間でアクセスできているかについての統計は把握できていませんが、これまで検査を家族全員で合計20回近く受けてきた私たちの個人的経験で言えば、症状を自覚してから近所のドライブスルー方式の検査を受けるまでの時間は、以前は最長で48時間程度でしたが、ここ最近は12時間以内です。検査陰性が出るまでは自宅から電話診療やオンライン診療などを行い、結果が出たら職場に戻り働くというスタイルが定着してきました。ちなみに検査は症状がある場合や職場などで推奨されている定期的なチェックなど政府が推奨している状況での検査は無料で、今回私たちが受けたのはこのルートです。
新型コロナウイルスに感染しても3人に1人は自覚症状が無いことから、症状が無くても介護従事者や医療従事者など特定の集団を対象に定期的なPCR検査や(私の職場では2週間毎)、検査結果が30分ほどでわかる抗原検査も一部の医療機関や職場で始まりました。
NHS Test and Trace(検査と追跡)と呼ばれる新型コロナウイルス接触確認アプリの利用も広がっています。イギリス政府の調べでは、このアプリの利用により、新型コロナウイルス検査陽性者のうち87%の人に実際に連絡を取ることができ、濃厚接触者の情報収集を行い、そのうち連絡先がわかる人の97%が追跡され、隔離するようにアドバイスされたということです。これら追跡のうちの98%は24時間以内に行われました。
変異株の出現で激変した状況
しかしこうした中、昨年12月頃から新型コロナウイルスの変異株出現のニュースが飛び込んできて、状況が大きく変わりました。従来型に比べて感染力が50-70%高いと言われるこの変異株はこれまでとは違った生き物のように振る舞い、瞬く間に感染者数が急増、そのピークは2020年春の第1波や同年秋の第2波のピークを一気に上回る勢いで、イギリスは今年1月6日から3度目のロックダウンに入りました。
このニュースが入ってきた頃、私が働く北イングランドのヨークシャー地方ではまだこの変異株がそこまで流行していませんでした。しかし、ロンドンや東南イングランドで今までとは桁違いに勢いよく広がるこの変異株の動きをみて、私は強い危機感を感じたことを覚えています。加えてその頃、新型コロナウイルスに感染した比較的若い人々の中で、死亡率は低いものの、新型コロナ後遺症により生活が一変した人が増えているという話も出てきだした時期でしたので、医療従事者として感染リスクが高い自分と同居家族へのリスクのことを考え、緊張感がなお一層高まりました。
ピーク時の状況は以下の通りです。昨年の第1波や第2波の時のピーク時の値や現時点(執筆時)での値もイギリス政府によるデータを参考として一部比較してみました。
医療は逼迫した深刻な状況となりました。NHS Englandの統計によると、集中治療を必要とする患者数がピークを迎えた先月18日から24日までの1週間において、1日平均6,057床の集中治療ベッドがあるうち5,278床(稼働率87%)が、一般・急性期病床は1日平均90,506床あるうち79,280床(稼働率87%)が埋まりました。
また、新型コロナの医療に対応する一方、もちろん通常医療も行う必要があります。その中でも緊急性や重大性の高い健康問題に対する医療を可能な限り遅滞なく提供していくために、緊急性や重大性ともに低く時間の経過が予後に与える影響が低い健康問題に対する医療(第19回参照)が後回しになり特に影響を受けています。
現時点でどの程度の影響が出ているのかについての統計は把握できていませんが、昨年に新型コロナ感染症の対応で大きな影響を受けた時に、こうした不急の医療においては、かかりつけ医の紹介から専門外来を受診し、必要に応じて精密検査を受け、外来治療が開始されるまでの時間の中央値は8.7週間(過去10年平均5.1週間)、膝や股関節の慢性的な痛みに対する人工関節置換手術などの入院治療が開始されるまでの中央値は13.1週間(過去10年平均9.3週間)まで増えたという統計がNHS Englandから出ていました。最近の統計(2020年12月)では、それぞれ5.2週間、9.2週間まで回復してきていたものの、今まで以上に医療が逼迫した第3波襲来後の現在は、以前以上の影響を受けているかもしれません。
こうした影響をできるだけ軽減するべく、かかりつけ医の診療所と診療科別に特化したサービスを提供する病院が連携をとることで、外来診療だけでも受診の頻度を減らしていこうという国の助言の通り(第21回参照)、私の地域では、かかりつけ医が病院の領域別専門医に電子カルテ上で文章のやりとりによる相談ができるようになっていて、この仕組をフル活用しています。相談を受けた領域別専門医も、患者の医療情報にアクセスできるようになっており、これを利用することで患者が専門外来を受診しなくても、専門的な助言を得られるようになっています。不急な医療が強い影響を受けている中、こうした仕組みがとても役に立っていて、これが1つのライフラインになっています。
イギリスの反省 「より早く、より厳しく、より広く制限を適用すべきだった」
こうして止まることを知らないこの変異株に圧倒される中、イギリス政府の主席科学顧問パトリック・ヴァランス氏は、先月スカイニュースのインタビューで、「政府はより早く、より厳しく、より広く制限を適用すべきだった」と述べています。
当初行っていた「緩和政策」、それから大幅に舵を切り行った「抑圧政策」(第20回参照)、これらは多くの先進国で行われている対策ではありますが、これが本当にベストなのかという検証も行われてきて、最近では、ニュージーランドやオーストラリアなどの国が行っている、感染を徹底的に抑え込み感染者をゼロにする「排除(elimination)政策」が新型コロナ対策と経済対策の両方により優れている可能性があるとの研究結果も出ています。
とはいえ、もはや猛威をふるっている新型コロナウイルスに対し、国内でのロックダウンを続け、検査体制を拡充するなどの、その場凌ぎの対策を講じることしかできず、皆この終わりの見えない戦いに対する公衆衛生的な介入に限界を感じていました。
ですので、その頃、新型コロナウイルスワクチンが今まで行ってきた承認プロセスを経て、ついに接種が始まるというニュースは、イギリスの人々を大きく勇気づけました。
いよいよ始まった新型コロナワクチン接種
12月2日、イギリスで新型コロナウイルスワクチンが初めて承認されました。承認されたのはアメリカのファイザー社とドイツのビオンテック社が共同開発したワクチン。通常なら10年かかると言われるワクチンの開発から承認までのステップを10ヶ月以内で行うという驚きのスピードでした。
そしてその翌週の12月8日にこのワクチンの接種がスタートしました。世界で初めてこのワクチン接種を受けたのは90歳女性のマーガレット・キーナンさん。彼女の接種はメディアで大きく報道され、久しくなかった明るいニュースにみんな喜んでいました。これを皮切りにワクチン接種はどんどん広がり、初めは病院で、次の週からはかかりつけ医による接種も始まりました。ちなみにNHSの他のサービス同様、新型コロナウイルスワクチンも国が公費でカバーするため無料となっています。
12月30日にはオックスフォード大学と共同開発されたイギリスのアストラゼネカ社の国産ワクチンも承認されました。こちらはマイナス70度で保管できる超低温冷凍庫が必要なファイザーワクチンとは違い、通常の冷蔵庫で保管ができるため小さな施設でも扱いやすい上、価格も安く、供給も他国に頼らなくていいので、ワクチン接種をさらに加速させるためには絶好のもので、1月4日にはその接種が始まりました。
1月8日にはアメリカのモデルナ社が開発したワクチンも承認されましたが、これはまだイギリスには届いていません。
それではイギリスでどのようにこのワクチン接種が広がっていっているのか、もう少し具体的にお話ししていきます。
ワクチン接種の優先順位
イギリスがまず何よりも優先すべきことは、新型コロナウイルスによる死亡者をできるだけ減らしつつ、医療と介護を守ることでした。そのためには、できるだけ短い時間でできるだけ多くのリスクの高い人たちにワクチンを届けることが必要でした。そこでまず、次の9つのハイリスクグループを設定し、優先順位に沿って打っていくことにしています。このハイリスクグループがイギリスでこれまで亡くなった人たちの99%を占めていると言われています。
1. 介護施設の入所者・スタッフ。
2. 80歳以上、医療従事者、介護従事者。
3. 75歳以上。
4. 70歳以上、重大な基礎疾患があり感染による死亡リスクが最も高い人。
5. 65歳以上。
6. 16~64歳で基礎疾患がある。
7. 60歳以上。
8. 55歳以上。
9. 50歳以上。
なぜこういう優先順位にしたのか。理由は大きく4つあります。
1つ目は、イギリスではこれまでに介護施設で多くの人が亡くなったという経緯があったことです。ここでの死亡者数をまず減らすために、何よりもここを優先することにしました。
2つ目は年齢。年齢の上昇は新型コロナウイルスによる死亡の最大のリスクです。そのリスクは年齢とともに指数関数的に増加することがこれまでのデータによって明らかになっています。例えば、65歳以上と80歳以上、高齢者というくくりでは同様かもしれませんが、死亡リスクは大きく違います。ですので年齢が高いほど優先順位は高くなります。
3つ目は医療と介護を守ることです。新型コロナウイルスにより医療や介護は逼迫しています。医療や介護が崩壊すれば、守れる命が守れるなくなる。こういった状況をできるだけ回避できるように、医療従事者や介護従事者を優先的にワクチンを提供することにしました。
4つ目は基礎疾患の有無です。これまでのデータによると、年齢だけではなく、基礎疾患の存在が死亡リスクを上昇させることも分かっています。ですので、基礎疾患の重大さにもよりますが、できるだけ優先的にワクチン提供することにしています。
このようにして上記リストを作成し、順番に接種を進めてきました。ちなみに、前回お話しした地域ヘルスデータの見える化によってこうした必要な人を同定しています。
ワクチン接種場所
新型コロナウイルス接種の場所としては現在、約200の基幹病院、約1200にわたる地域のワクチン提供施設(プライマリ・ケア・ネットワークや薬局)、50のワクチンセンター(ナイチンゲール病院と呼ばれる仮設病院やスタジアムなどを利用したワクチン専門の仮設施設)を設置して対応しています。
プライマリ・ケア・ネットワークというのは、それぞれの地域の複数のかかりつけ医の医療機関が連携して、地域に対してサービスを提供していくことです。私の地域では、人口規模3万から5万人をカバーする診療所群が協力していて、例えば今回の例で言うと、この地域にあるひとつの公共施設にこのネットワークの中から当番制で交代に医師や看護師などが出向き、週末問わず毎日ワクチンを提供しています。
なお、こうした接種場所に行けない人に対しては、その人たちの生活の場にスタッフが出向いて接種を実施しています。
ワクチンは誰が打つのか
ワクチンを提供するのは、主に日々ワクチン接種を行っている医療従事者(看護師など)ですが、この膨大な数のワクチン接種計画を実行するために、臨時でスタッフを増やすべく、救急隊員や理学療法士、医学生や看護学生、特定の条件を満たす非医療従事者なども訓練を受けて接種できるようにしています。医師は基本、ワクチン接種を行わず、ワクチン接種を行うスタッフからの相談に乗ったり、アナフィラキシーショックなどの緊急性の高いアレルギー反応や重大な副作用が起きた時に対応したりするために待機するようにしています。
ワクチン接種は1回でも一定の効果あり
このワクチンは、2回打つことでとても高い効果が期待できるもので、当初は1度目を打った人は数週間後に2回目を打つ予定でした。しかし、1回の接種でも少なくとも12週間はファイザーで約90%、アストラゼネカで70%の発症予防効果が得られるということがわかってきたため、当初の予定を変更して2回目の接種を12週間後にずらし、その分を他の人の1回目のワクチンとして提供することで、限られた時間の中でできるだけ多くの人に接種を広めることになりました。具体的な効果としては、新型コロナによる死亡リスクや重症化リスクが顕著に減少するばかりか、最近の研究では、他者へ感染させるリスクも減少する可能性があることがわかってきています。
英医薬品・医療製品規制庁「新型コロナワクチンは極めて安全」
イギリスの医薬品・医療製品規制庁(MHRA)は、これまでにファイザー社とアストラゼネカ社のワクチンを接種した約700万人の大規模調査を行い、両者ともに極めて安全性が高く、重大な副反応はまれであったと報告しています。具体的によくみられたのは、腕の痛みや倦怠感、軽い風邪症状など、通常のワクチン接種でも一般的に見られることの多い、軽度で短時間のものであったこと、そしてそれらを報告した人は1000人に3人ほどの割合であったということです。重大なアレルギー反応の報告は約7万人に1人と非常に少なく、ワクチンが原因で死亡したと考えられる人はいなかったとのことでした。より長期的な影響については、もちろん今後も調査が続けられます。
一方、妊婦については、現時点では、その安全性に関する情報が不十分であることもあり、すべての妊婦に推奨はせず、予防接種のメリットがリスクを上回ると考えられると判断される場合にのみ実施しています。
ワクチン接種プログラムの進捗状況
イギリス政府の統計によると、最近は1週間に約290万人のペースで接種していて、執筆時点で1回目の接種を終えた人は約1530万人、2回目の接種を終えた人は約54万人となっています。国民の22%が少なくとも1回目の接種を終えました。
これにより、対象となる介護施設の入所者や70歳以上の人々の90%以上にワクチン接種を提供することができました。医療従事者に対する統計は把握できていませんが、私が個人的に知っている限りでは、私も含めてほとんどの人が一回目の接種を終えています。
政府は、先ほどあげたハイリスクグループの1番から4番までの人たちへの接種を、2月15日までに終えることを目標としていましたが、なんとか無事達成できました。今後は優先順位グループの5番から9番までの人々に順番にワクチン接種を進めていき、秋までには18歳以上に、それ以降は18歳以下にも打っていくことを視野に入れています。
しかし最近、南アフリカで新たに変異株が発見され、イギリスで現在接種が進んでいるワクチンが、これに対して限定的な効果しか示さない可能性が示唆されてはじめています。
これに対し、リスクの高い国から渡英する人を専門のホテルで10日間自粛隔離するよう命令が出されたり、こうした国から渡英したにもかかわらず、嘘をついてそれを逃れようとするなど悪質な場合は最長10年間の禁固刑を課すなど、水際対策を強化していて危機感を高めています。一方で、この南アフリカ変異株にも効果を示すワクチンの開発がもう始まっており、秋頃の接種開始を目指しています。
イギリス政府は今月中には現在のロックダウン緩和に向けた予定を発表する見込みですが、変異株の動きやワクチンがそれらに対してどれほど効果があるのかどうかは未だ分からないことが多く、まだまだ楽観視できない状況となっています。