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バングラデシュのサッカーチームを救え!日本人選手の奮闘

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試合中の加藤さん(右)=2020年12月27日

加藤友介さん(34)。大阪生まれで、高校卒業後にアルゼンチンに渡り、2007年から1部リーグでプロ選手としてプレーした。09年にひざをけがして帰国後、いつもこう考えていた。「どこでもいいから、やっぱりサッカーがしたい」

以降、インドやタイ、香港、インドネシア、モンゴルなど計7カ国で選手を続けてきた。バングラデシュに来たのは18年。32歳だった。

コロナ禍で試合や練習が昨春からなくなり、一時帰国していたが、次はバングラデシュ以外の国でプレーしたい、と考えていた。大阪に残している保育士の妻、恵理さんや長男の壱隆ちゃん(3)と一緒に暮らしたかったからだ。寮住まいのバングラデシュには呼び寄せられず、コロナの感染者も増え続けている。「父親のかっこいい姿を子どもに見せておきたかったんです」

加藤友介さん

しかし、選手として受け入れてくれる他の国は、なかなか見つからなかった。そんな折、以前所属したバングラデシュのチームのマネジャー、アリフル・イスラムさん(32)が何度も電話をかけてきた。「お前をキャプテンにして給料も多く出す。お前のチームをつくってくれ。戻ってこい」

それでも、迷った。たとえバングラデシュに戻るにしても、家族の生活を支えるお金を用意してから行きたかった。日本にいる間、ウーバーイーツの自転車配達でバイトをしていた。「仕事をしないと、息子を保育園にも行かせられません。自転車ならトレーニングにもなります」

しかし、恵理さんが言った。「本当にそれでいいの? こっちは大丈夫だから」。夫に後悔させたくない、自分たちのことでサッカーをやめてほしくない。そんな思いのこもった一言が背中を押し、バングラデシュに戻ることを決めた。選手としてプレーするのはもう最後になるかもしれない。そう覚悟を決めたという。

チームメートと撮影に応じる=2019年7月

昨年11月にバングラデシュに戻った。練習場に行ってみると、ゴールポストがない。監督もまだ来ていなかった。しばらく監督役もやってほしい、と頼まれた。

現地での生活には慣れていたとはいえ、やはり環境は厳しい。シャワーはお湯が出ず、高温多湿の時でもエアコンがない。食べ物はほぼ毎日カレー。腹もよく壊す。

そして、忘れもしない12月4日。「プロブレムだ」。自分をチームに誘ったマネジャーのイスラムさんが突然、部屋に入って来て言った。チームのオーナーが資金不足で、権利を放棄。今シーズンの試合に出る資金すらなく、廃止されることになったという。組織のお金を自分の懐に入れていた人物が内部にいたようだ。

しかし、そんな時でもキャプテンとして考えたのは、チームメートの士気が下がるのはまずい、ということだった。「もう試合に出られないかもしれない。でも、俺たちはプロだ。もし出られるようになった時、練習していないと力が出せない。今は練習しよう」。主将として、約30人のチームメートにそう訴えた。

選手一人一人と話し合う時間もつくった。「家族のために仕送りするお金が必要なんだ」と泣きついてきたバングラデシュ人のチームメートには、こう言葉をかけた。「別の仕事をした方がいいと思うなら、そうしたらいい。ただ、スポンサーが集まったらまたサッカーができるかもしれない。一緒にがんばりたい」。それでも、チームを去る選手が出た。

お金は自分で支援してくれる人を見つけるしかない、と思った。まずこの窮状を知ってもらわないといけない。スポンサーになって協力してくれる人や企業に訴えかける動画を撮影し、SNSに投稿した。「誰もできないなら、自分がやるしかないと思いました。このままじゃ、本当にチームがなくなってしまい、自分も仲間も路頭に迷ってしまうので」

動画は拡散し、地元メディアも連日のように取材に来て、報道された。

ダッカで記者会見をする加藤さん(中央)=2020年12月21日

所属するチーム名は「ムクティ・ジョダ」。「自由の戦士」という意味で、1971年にバングラデシュが独立を勝ち取るために戦い、大きな犠牲を出した市民戦士たちのことだ。戦士への福祉を手がけてきた組織を母体に持つのが、このチームだった。そんな建国の歴史を象徴するようなチームをなくせない。「外国人のあなたが頑張ってくれているのに、私たちバングラデシュ人が何もしないわけにはいかない」。そう言って、支援を決めた人もいたという。現地の日本大使館も活動を支えた。

バングラデシュに拠点を置く日系企業のほか、現地企業も支援を名乗り出た。現在4千万円以上を集め、とりあえず試合には出られるようになったが、今シーズンのリーグに出場し続けるための金額にはまだ届かないという。

「お金を集める活動は続けなければいけません。でも、毎年寄付を頼りにやっていくことは難しい。クリーンな経営ができる組織に生まれ変わることが最も大事だと思っています」。ファンクラブをつくることも考えている。ただ本来、これは選手のやるべき仕事ではない。加藤さんを主将として日本から呼んだマネジャーのイスラムさんは、「彼には世界でプレーしてきたサッカーの経験はもちろんある。だが、周囲の人のモチベーションを高め、みんなをまとめられる力があった」と振り返る。

今月8日から、バングラデシュの在留邦人や日本の友人の助けを得てクラウドファンディング「バングラデシュと日本の架け橋に」を立ち上げた。「日本からのサポーターがこんなにいるという事が分かれば、バングラデシュでも、もっと盛り上がると思います」

ダッカで報道陣に囲まれる加藤さん=2020年12月4日

サッカーがやりたくて、バングラデシュに戻ってきたはずだった。でも、多くの人が助けてくれる姿を目の当たりにしたいま、チーム存続のためには、グラウンドでプレーする選手としてではなくても、自分ができることに力を尽くしたい。

リーグ戦は13日から始まった。チームを存続させることは、バングラデシュのサッカーの発展につながる。日本とバングラデシュ両国の関係にもきっといい影響を与える。そう信じて、動き続けようと思っている。