地球上の生命は、何十億年にもわたって進化し、それぞれの種が生態系内で自分のニッチ(地位)を確立して生息してきました。単細胞プランクトンから植物、爬虫類、哺乳類に至るまで、世界中で目にする驚くべき生物の多様性は、進化によって生み出されてきました。
ところで私たちは、生物の進化は単純な生物から複雑な生物に至るという決まった道をたどっていると思ってはいないでしょうか。沖縄科学技術大学院大学(OIST)でヘビ毒の進化を研究している博士課程の学生、アグニーシュは、そんな思い込みを否定します。
「生物は何世代にもわたって変化し、進化しますが、それらが進む上であらかじめ決められた方向はありません」とアグニーシュは説明します。「実際のところ、その方向は変化し続けているのです」
OISTの博士課程に入学する前、アグニーシュはインドのカルカッタ大学で遺伝学の修士号を取得しました。そこでは脳腫瘍の治療法について研究を行っていましたが、もともと興味のあった進化と生態学が忘れられず、この領域に特化した研究室で博士号を取得したいと思うようになりました 。
「自然界には、全てに共通する構成要素があります。A、T、G、Cという塩基です。このたった4つの塩基がすべての生物のDNAを構成しています。にもかかわらず、生き物は信じられないほど多様な形に進化しました。自然がこれをどのように行ったのか、つまり、さまざまな遺伝子をどういじってさまざまな特性を生み出したのかに興味があります」とアグニーシュは話します。「自然の力には見事なものがあります」
アグニーシュは、ヘビ毒について、さまざまな毒素タンパク質の「カクテル」のようだと説明してくれました。ヘビ毒が、生物進化の研究におけるモデルとして理想的なのは、各毒素において、その毒の原因となっている特定の遺伝子まで簡単に追跡できることです。これは、遺伝的パターンを探すためにはとても有利な特性であり、自然界の他のどの場所を探してもなかなか見つけることのできないものです。彼は特に、遺伝子が特性にどのように影響するか、それらが時間とともにどのように変化し進化するかに関心をもっています。
このインタビューは、沖縄のジャングルを見下ろすOISTキャンパスで行われましたが、この亜熱帯の森には、珍しい固有種が数多く生息しています。毎朝散歩をする道には、毒ヘビであるハブに注意するよう警告する標識を見かけたりもします。こうした爬虫類を探すには、ここ沖縄は最適な場所のようですが…。アグニーシュの研究はフィールドワークではなく、研究室のパソコンに向かってコンピュータモデリングで行っています。
実験の多いがん生物学からコンピュータプログラミングを主とする研究への移行は、ちょっと飛躍しているように思えるかもしれませんが、アグニーシュは、生態学と進化の研究は、実は非常にテクノロジー化され、プログラミングが役に立つと考えています。
「2016年にOISTに入学したとき、私の所属する研究室にはすでにヘビ毒に関する多くのデータがありましたが、私が博士号を開始してからさらに多くのデータを収集しました。世界中から計50種以上のヘビを調べました。このデータに一連のモデルを適合させて、さまざまな異なるシナリオをテストし、ヘビ毒がどのように進化したかを判断しました。もし以前のまま生物医学分野の研究に留まっていたなら、このような変化にはさらされなかったでしょう。プログラミングは独学なので時間がかかりましたが、やりがいがありました」
彼の研究は、食うものと食われるものの間の終わりのない進化論的競争にもとづいています。獲物は捕食者を避ける方法を進化させます。捕食者は獲物を捕まえるためのより洗練された方法を進化させる必要があり、ヘビも例外ではありません。彼らの毒は主に、獲物を仕留めたり動かなくさせることによって、食物を捕獲するために使用されます。
生物の口腔内にある毒腺のシステムは、およそ3億年前に誕生しました。このシステムは、ヘビの祖先に引き継がれました。時間が経つにつれて、ヘビは多様化し、世界中に広がり、さまざまな環境で生活し、さまざまな獲物を狩り、さまざまな毒のカクテル実験を繰り返しました。 アグニーシュは、毒液の多様化がヘビの多様化を促しているかどうか、という点に注目しました。
「ヘビ毒は絶えず進化していることがわかりました。これは、ヘビが獲物との絶え間ない進化競争関係にあるためです。長い進化の歴史の中で、毒液の中の毒素の量が急激に変化する時期があり、そんな時期は獲物を捕まえる上で新しいチャンス、すなわち、何か変化が起こっている可能性があります」
また、研究を通して、毒は多様化するものの、新種のヘビに進化することにつながるわけではないこともわかってきました。
動物間の違いをもたらし、新種への進化につながるために重要だと研究者が考えているのが、「鍵革新(キーイノベーション)」と呼ばれる特性です。この鍵革新は個体群の環境への適応度を高めたり、個体が新しい環境を占有したりできるようにすることで、新しい種の形成をもたらします。典型的な例は私たちの歯にもあります。大臼歯の4番目の尖頭の進化は、哺乳類の祖先が効果的に噛んで植物を分解することができるようになったことを意味します。
「最初私たちは、ヘビ毒の進化によって起こる種の多様化があるのでは、と考えました。しかし私たちの研究によると、その可能性はなさそうだという結果が示されました。毒の進化により、ヘビは環境や獲物を変えることができましたが、そのことが必ずしも新しい種になることへつながったわけではなかったのです」
意外な結果かもしれませんが、アグニーシュは、彼の研究が彼に教えてくれたものがあるならば、それは、自然が予め壮大な計画を持っているわけではないということだと強調しました。 進化が自然によって定められたものでないということは、一種の警告となるでしょう。「私たち人間は、気候変動や海洋酸性化、生物多様性の損失を引き起こすような行動によって、自分たちがどのように自然を変えているかということを認識しています。そうしたことを修正できるか否かは私たち次第です。なぜならそうした変化を、自然が修正してくれることはないからです」
この研究についての論文は、全米科学アカデミーのメンバーによる推薦論文となりました。このことは、この研究が進化の基本的な理解にとってどれほど重要であるかを示しています。さらに、今日、多くの科学者が遺伝子の操作方法を検討していますが、その目的は、気候変動に耐えうる作物や、作物に害虫を寄せ付けないことに役立たせることです。アグニーシュは、こうした人為的操作を行う前に、まずは自然がこれらのシステムをどのように操作しているかを理解する必要があるのでは、と考えています。
(OISTメディアセクション ルーシー・ディッキー)