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「他者の考えはわからない」から始める医師と患者のコミュニケーション

英国のお医者さん 更新日: 公開日:

今回からは再びプライマリ・ケアの視点から、イギリスの保健医療制度についてお話ししていきます。今回は、第8回でお伝えしたプライマリ・ケアの特徴のうち、「本人中心のケアを提供すること」についてです。

一昔前に比べると、今はより多くの人が「自分の声を聞いてほしい」「自分の医療にもっと関わりたい」と望む時代になりました。しかし、第5回でも触れましたが、専門性が非常に高い医療という分野では、情報の非対称性が高く、どうしても患者が自分だけで物事を決定するのが難しいのが現状です。患者がより主体的に自分自身の医療に関わっていけるよう、医療者は患者との間に存在するこのギャップを縮める必要があり、それには医療者によるコミュニケーションが鍵となります。

ここでまず、私がGPとしての専門研修を始めた時のお話をさせてください。これまで診療科別に特化したサービスを提供する病院で働いてきて、初めて診療所というかかりつけの役を担う医療機関で働き出した際のことです。

いよいよ診療所での研修が始まり、指導医のGPがドキドキしている私に初めに言ったのは「患者さんの立場になって考えていこう」でした。私は、「Yes!」と元気に答えました。

しかし、それからトライすること数週間、どうしても思ったようにいかず、その先生に相談しました。

「先生が言っておられたように、患者さんの立場になって考えようと努力してみました。でも、無理でした。どれだけ頑張って考えても、僕はその人ではありません。他者である患者が何を感じて、何を考えているか、僕には知る由もありません。」

すると先生は言いました。

「そうだろう。私たちには患者が何を考えているかなんて実際分からないんだ。だから患者の立場で考えていくためには、まずその人が考えていること、感じていることを伝えてもらわないといけない。そのためにはしっかりとしたコミュニケーションスキルが必要なんだ。これから教えてあげるよ。」

このようなことから、幸運にも私のGPとしてのトレーニングは、コミュニケーションの重要性を初めから意識する形で始まりました。

さて、このコミュニケーションを理解する上で、まずはそのスタイルの違いを見ていこうと思います。

医師と患者が対話を行う際には、「医師中心」「顧客中心」「患者中心」の3つのスタイルがあります。

以下で頭痛を訴える20代女性(田中さん:仮名)の症例を例えに、これら3つのコミュニケーションスタイルを簡単に紹介していきます。

(1) 医師中心のコミュニケーション

田中さん:頭が痛いです。心配なのでCT検査をしてほしいんですけど...。
医師:診察をしてみましたところ、この頭痛ではCT検査は必要ないので行いません。

田中さん:あぁ、そうですか。わ、わかりました(内心不安そうに静かに退室)。

これは疾患中心の医療に重点を置く医療制度下でより見られるスタイルです。医師が診察や検査などの医学的な視点のみに集中し、患者の内なる感情や生活への影響など患者の視点を軽視する傾向が強いのが特徴です。

(2) 顧客中心のコミュニケーション

田中さん:頭が痛いです。心配なのでCT検査をしてほしいんですけど...。
医師:そうですか、わかりました。

これは医療が「公共財」ではなく「商品」として扱われる医療制度下でより見られるスタイルです。意思決定の中心がサービス利用者側にシフトすることで、「患者としてのニーズ」ではなく「顧客からの要求」に応える傾向が強くなります。

一見、手厚い医療、優しい医師という印象を与えるかもしれませんが、医学的な情報が軽視され、適切な検査や治療が行われないのであれば、患者にとって本当に優しい行為とは言えません。

また、顧客の個人的利益のみを追求する行為が正当化されれば、高まる要求に応じて過度の医療化が進み、医療制度が持続可能でなくなってしまいます。それは同時に、本来医療を必要とする患者に医療が届かなくなることを意味します。

(3)患者中心のコミュニケーション

田中さん:頭が痛いです。心配なのでCT検査をしてほしいんですけど...。
医師:なるほど。CT検査をご希望されるのには何かご心配なことでも?

田中さん:頭痛が2〜3日ほど続いているのですが、数年前、急な頭痛で始まった脳出血で父を亡くしたことを思い出して...。それで検査をしてほしいと思っているんです。
医師:そうだったんですね。不安になるお気持ち、わかりました。それではお父さまのことも念頭に置いて一緒に方針を考えましょう。まず幸いにも、現時的で頭痛の原因が脳出血である可能性は極めて低いと思います。脳出血は稀な上に、起こったとしても田中さんのお父さまのようにある程度年齢を重ねられた方に見られる可能性が高く、激しい頭痛が突然始まることが多いです。でも、田中さんの頭痛は比較的ゆっくり始まっていて、鼻水やのどの痛みも伴っているため、風邪の可能性が高いと思います。

田中さん:そうなのですね。安心しました。でも,念のためにCT検査をするというのは?
医師:わかりました。それでは、CTも選択肢の一つに入れましょう。ただ、現時点でCTを行っても脳出血が見つかる可能性はゼロに近く、信頼性に欠ける検査データに振り回されるリスクもあります。それに、放射線被ばくによる身体への負担もあります。これらを踏まえると、今の段階では風邪として経過を見ることにし、さらなる症状が現れたときに考えるというオプションの方がメリットが大きいと思いますが、いかがですか。

(パターン1)
田中さん:そうなんですか。たしかに、そうなると今回は様子を見たほうがいいかもしれないですね。
医師:そうですね。それでは少し様子を見ましょう。

(パターン2)
田中さん:先生のおっしゃっていることは分かりますが、それでも少し不安なので、やっぱりCT検査をお願いしたいです。
医師:わかりました。手配しましょう(患者の視点を尊重し、CT検査を行なうメリットの方が高いと総合的に判断)。

このスタイルは、医学的な視点、患者の視点、両方を大切にしながら、何が問題なのか、それぞれのシチュエーションにあった解決策は何かを一緒に考えるクリエィティブなものです。

日本では患者中心が顧客中心と同義として扱われることがしばしばありますが、両者は似て非なるものです。

イギリスではこの患者中心のコミュニケーションスタイルが重視されていて、それを実践すべくGPは専門的なトレーニングを受けます。

これはフリースタイルではなく、診察の初めから終わりまでのステップが構造化された、専門的に「Patient centred consultation」と呼ばれるものです。この中では、医師が発する言語・非言語コミュニケーションの一つひとつが明確な意味を持ちます。

GPは、時間制限がある中で、プライマリ・ケアに適した臨床推論(第6回)、安全かつ効果的な医療の提供を大前提とした上で、このコミュニケーションスキルを用いて、それぞれの患者とともに個々にあった医療を創り上げていくことが必要になります。

しかし、実際の医療現場では患者さん皆がこの田中さんのように、内なる悩みをすんなりと話してくれるわけではありません。

このようなこともありました。週一回、同じ地域のGP研修医たちが集う勉強会で、別のGP指導医と、どうしたら患者とより良いコミュニケーションを取ることができるかを議論していた時のことです。「オープンクエスチョン(はい、いいえ以外で答えられるような質問)をする」「和みやすい声掛けをする」などを私たち研修医は張り切って言いましたが、その先生はこう言いました。

「なぜ質問をするんだい。聞きたいのは患者が私たちに伝えたいことだろう。なのに患者に質問してしまえば返ってくる答えは私たちが知りたいことにしかならないじゃないか。」

うぅ、確かに..。オープンクエスチョンをしていればいいじゃないか、簡単だ、と頭のどこかで思っていましたが、そんな単純ではありませんでした。

「黙っていながらもしっかり話を聴くというのは簡単ではない。医師は患者が話し始めてから12秒で患者の話を遮ってしまうというデータもある。患者の話を聞きたいのに、医者の方がそれを妨げてしまってるんだ。」

それから私は意識してそのトレーニングを始めましたが、それが思った以上に難しいのです。

患者が医師に伝えたいこと、それらは必ずしも簡単に教えてくれることではなく、上手く引き出す必要があります。しかし、上で述べたとおり、医師は医学的な情報の収集を怠ることはできません。時間が限られている中、この両立が難しいのです。

体幹トレーニングの一種に「プランク」と呼ばれる腹筋を板のように固めて胴体をまっすぐ保つものがあります。ただじっとしているだけで一見簡単そうなのですが、実は結構筋力を使い、始めてすぐは腹筋がかなりプルプルしてしまいます。

このコミュニケーションのトレーニングは、このプランクに似ていると思っています。医師が患者の話を黙っていながらもしっかりと聴くというのは、何もしていないように見えて、実は集中力とエネルギーを必要とするものだからです。

慣れていない医師にとってはこのトレーニングはプランクを始めた時のようにかなりキツイと思います。しかし同時に、訓練さえ積んでいけばできるようになる、ということも同じだと思います。

ただ、こうしたコミュニケーションスキルというのは、医師一人だけで研鑽を積むことで上達するものでもありません。なぜなら、自分自身のコミュニケーションというのは、客観的に見てみないと良いか悪いかという相対的な判断ができないからです。

加えて、日本でも似ているのではないかと思うのですが、イギリスでは多くの人が他人にあまりダイレクトにものを言いません。例えば話している相手に不満があったとしても、失礼のないように気を使ってなかなか本当の気持ちを伝えようとはしない。

医療の現場でも同じで、患者はなかなか自分の不満を医師に伝えられないことが多いです。そのため医師には本当に患者が満足したのかどうか、なかなかわかりにくい。医師側からは、上手くコミュニケーションをとって納得いってもらったと思われていた方が、実は不満だらけで後で苦情の手紙をもらってしまった、という話も聞きます。

このように、何らかの形で相手からのフィードバックを受けないと、医師は自分のコミュニケーションを評価することはできず、改善するのは難しいのです。

ですので、自分の診察を自分で見る、指導医と見る、患者からのフィードバックを受ける、この3つがコミュニケーショントレーニングには必要になります。

このため、イギリスでは、GP専門研修の一環として、日頃の外来診療を動画に撮ってGP指導医と一緒に振り返るビデオレビューというものを行ったり、患者からフィードバックを受けるようにしています。こうしたコミュニケーションスキルは、模擬患者を用いたGP専門医試験などで厳しく審査されます。

また、こうしたトレーニングを系統的に行っているのには理由があります。

患者中心の医療を提供する上で必要なことは、「医師が患者を理解する」「患者が医師を理解する」の2点です。

そのために必要なのは、患者が本当に伝えたいことを伝えられるように医師は聞き上手、引き出し上手であること。そして、難しい医学情報をそれぞれの患者に合った形でわかりやすく伝えられるように説明上手であることです。これらが高い精度で行われないと患者中心の医療は実現できません。

これは単純に話し上手な医師ということではありません。いくら話すのが上手くても上記2点が達成できなければ、患者と良好な対話ができているとは言えないからです。逆に、話すのが下手な医師でも、これら2点を達成できれば、患者と良好な対話が実現可能です。

医師がいくら患者のためと思い、どれだけ悩んだとしても、患者という他の人間を完全に理解することは不可能です。どれだけ優しく振る舞い、どれだけ自分が納得するケアを提供したところで、意思決定能力を有する患者に対し、問題の共通理解を持たないままに医師の考えを無意識に重ねるのであれば、それは決して思いやりのある行為とは言えません。

本人中心のケアを提供する上では、患者との良好な対話を可能とする医療者のコミュニケーションが大きな基礎となります。

以上になります。

次回は、自分を知ることについてお話しします。