■「中国を刺激してはならない」でいいのか
前回の本コラムでは、中国が東シナ海での軍事的覇権をより確実なものにしようと積極的な動きを示し始めた状況に鑑みて、日本が尖閣諸島の領有を守り続けるためには、尖閣諸島が日本の領土であるという事実を「誰の目にも明らかな形で」示すべきであることを指摘し、その具体例として、魚釣(うおつり)島に灯台や救難施設を伴った測候所を建設する方策を提示した。
日本政府が「魚釣島測候所」を設置して海上保安庁職員や自衛隊員を常駐させれば、中国側を著しく刺激することになってしまい、日中関係全体が悪化してしまうことは必至であるため、日本(政府主導にせよ民間主導にせよ)としては中国側を挑発するような行為は差し控えるべきである、という意見が少なくない。というよりは、このような測候所設置に否定的な見解こそが日本政府関係者の間では主流となっているものと思われる。
かつて当時の石原慎太郎・東京都知事が主導して魚釣島などを東京都が購入して恒久施設を建造しようとした。すなわち「誰の目にも明らかな形で」日本の領有権を示そうとした。その際には、日本政府は慌てて尖閣諸島を国有化して、東京都の企てを阻止した。
その後も日本政府は、「誰の目にも明らかな形で」日本の領有権を示すような努力をしていない。そして、海上保安庁巡視船による尖閣周辺海域のパトロールを強化して、日本国民による魚釣島への上陸を禁止し、接近すら制限している状態が続いている。
アメリカ政府も日本政府が中国側を刺激するような行動をとらないことを暗に支持している状態が続いている。たとえばアメリカ海軍は、沖縄返還(1972年5月15日)以前より、尖閣諸島の黄尾嶼(こうびしょ)と赤尾嶼(せきびしょ)を射爆撃場に指定し、かつては砲爆撃訓練などに使用していた。沖縄返還後、日中間での尖閣諸島をめぐる紛争が表面化したものの、1978年8月12日に日中平和友好条約が締結されると、アメリカ政府も尖閣諸島での砲爆撃訓練を実施することによって中国側を刺激することを差し控える方針に転換した。そのため日中平和友好条約が締結される前後から今日に至るまで、黄尾嶼と赤尾嶼の射爆撃場は全く使用されていない。
そして過去10年来、中国の海洋戦力が飛躍的に強化されてきたのに対抗して、日米海洋戦力の結束をアピールするために、尖閣諸島周辺海域での日米合同軍事訓練を実施すべきであるという声が、米海兵隊や米海軍の対中強硬派から上がることが少なくない。しかしながら、アメリカ政府はそのような中国側を刺激する行動を許可することがない状態が続いている。
■他国の領域紛争には中立、米の「あいまい戦略」いつまで
アメリカ政府がそのような立場を取っている理由は推測可能だ。尖閣問題の一方当事者が同盟国の日本であるとはいえ、第三国間の領域紛争に巻き込まれたくないからである。アメリカの伝統的外交方針の一つが、第三国間の領域紛争には中立を保つことを鉄則としている以上、当然といえる。
実際にアメリカ政府は、これまで尖閣諸島が日本領であると明言していない。ただし、日米安全保障条約が存在しているため、尖閣諸島に対して全く言及しないわけにもいかない。そこで歴代の米政府高官たちは、「アメリカ政府は尖閣諸島に対して日本の施政権が及んでいるとの認識を持っている。そして、施政権を日本が保持している以上は、尖閣諸島も日米安保条約がカバーしていると解釈している」と語るのが常となっている。
日本政府は、米高官がこのような発言をすると、「日米安保条約5条は、我が国への武力攻撃に対して日米が共同で対処するということを定めた規定であるので、この条約が適用される場合においては、米国は武力行使を含む措置をとるということになる」(2015年の衆院安全保障委員会での中谷元・防衛相の答弁)といったコメントを国内向けになして、自ら胸をなで下ろしているように見受けられる。
しかし、本コラムの過去記事でも指摘したように(2020年1月28日、2017年4月19日など)、中国が無人島の尖閣諸島を占領した場合、アメリカ政府が中国との全面戦争を覚悟してまで日本に本格的な支援軍を送り込むことは想定しがたい。
【合わせて読む】
日米安保条約で「アメリカには日本防衛の義務がある」という誤解(2020年1月28日)
アメリカが日本を守ってくれる?日米安保条約第5条の〝本当〟(2017年4月19日)
実際に、尖閣をはじめとする東シナ海でも中国の軍事的優勢が確定してしまうことを危惧する少なからぬ米海軍や米海兵隊関係者の中には、アメリカ政府がしばしば採用している「曖昧戦略」は、もはや中国相手には通用しないことを、アメリカ政府、とりわけ国務省は明確に認識すべきである、といった警告を発する人々が少なくない。
たしかに伝統的にアメリカ政府は、外交的に対立している国々に対する外交政策において、どちらの側とも良好な関係を維持するために、アメリカ政府としての方針を完全に鮮明にしないという「曖昧戦略」を採用する場合が多い。実際に、日中両国間の尖閣諸島を巡る軋轢に対しても「日本の施政権は認めるが領有権については明確な態度を示さない」という「曖昧戦略」を続けている。
しかしながら、「曖昧戦略」こそがイラクのサダム・フセイン政権(当時)が1990年にクウェート侵攻に踏み切った大きな要因であったことをアメリカ政府は思い起こさねばならない、と対中強硬派の米軍戦略家たちは指摘する。
アメリカ政府が台湾や南シナ海に関して「曖昧戦略」を採り続けて来た結果、台湾と中国の軍事バランスは圧倒的に中国優位となってしまい、南シナ海でも七つもの人工島を建設して海洋軍事基地群を構築し、中国の軍事的優勢が確実になりつつあるのも紛れもない事実である。
中国軍の強力な海洋戦力そして東シナ海における接近阻止戦力と日本の防衛戦力ならびに極東アメリカ軍の海洋戦力の現状を対比するならば、日中間における尖閣諸島領有権紛争に対しては、もはや「曖昧戦略」をとるのは妥当ではなく、アメリカ政府がはっきりとどちらのサイドに立つかを鮮明にしなければならない時期がきているのだ。そうした論調が対中警戒派の米海軍や米海兵隊関係者たちだけでなく、アメリカ連邦議会のタカ派議員たち(たとえば「下院共和党研究委員会・国家安全保障と外交問題に関する作業グループ」など )からも上がり始めている。
■日本自身が具体的にすべきこと
言うまでもなく、アメリカ政府が尖閣諸島領有権紛争を解決するわけではない。それは日本政府と中国政府の間の交渉で解決されるものである。日本政府や国会は、アメリカ政府高官から「曖昧戦略」に基づいた対日リップサービスを引き出して現実から目を背け続ける姿勢を即刻捨て去る時期にきている。
もちろん、領土紛争での日本の味方を少しでも増やすために、アメリカ政府に「尖閣諸島は日本の領土である」と明言させる努力は大切である。しかし、自国の領土を守るのに当初よりアメリカの支援を頼みにする他力本願的な姿勢では、アメリカの都合に大きく左右されてしまうことになるため、領土保全は簡単に危殆(きたい)に瀕(ひん)してしまいかねない。
それでは、日本は具体的には何をすれば良いのか?
現在日本政府が実施している海上保安庁巡視船による尖閣周辺海域のパトロールや海上自衛隊哨戒機での空からの東シナ海警戒監視活動だけでは、日本の領有権を「誰の目にも明らかな形で」示していることにはならない。なぜならば、中国側も毎日のように海警局巡視船を尖閣周辺海域に送り込んでいるし、哨戒機や爆撃機それに戦闘機などを断続的に東シナ海上空で飛行させているため、「日本も中国も似通った行動をとっている」としか国際社会の目には映らないからだ。
日本にとって必要不可欠なのは、中国が南沙諸島や西沙諸島の領有権紛争において島嶼(とうしょ)環礁が自らの領土であると主張するために実施しているのと同様の方策を尖閣諸島で実施することである。すなわち恒久的建造物としての「魚釣島測候所」(前回の本コラム参照)を設置する方策である。日本政府高官や国会議員が「尖閣諸島は日本の領土である」と真に確信しているのならば、魚釣島に軍事施設とはいえない灯台や測候施設、それに救難施設を設置して、尖閣諸島は日本の領土であることを「目に見える形で」内外に示すことに躊躇(ちゅうちょ)する理由は全く見当たらない。