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【ボーン・上田賞】人はなぜ壁を越えるのか 取材2年、見えた現実

Behind the News ニュースの深層 更新日: 公開日:
集団で米国を目指す「キャラバン」の移民。道中、大型トレーラーと交渉が成立。助け合って乗り込んだ=2019年2月、メキシコ中部アバソロ、村山祐介撮影

2019年度のボーン・上田記念国際記者賞に、GLOBEで米国を目指す移民たちの実態をルポしてきた村山祐介記者(48)が選ばれた。足かけ2年に及ぶ取材から見えてきた現実とは。(文・写真=村山祐介)

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村山祐介記者

形勢を一変させる物事を「ゲームチェンジャー」と呼ぶ。中米に2018年10月に突然出現して米国境に迫り、世界に衝撃を与えた移民集団キャラバンは、まさにそれだった。

身を潜めてきた移民が、あえて数千人規模の集団になることで自らを守り、堂々と当局と渡り合う。昨年2月、SNSの呼びかけで中米ホンジュラスを出発したキャラバンに同行した私は、行く手を阻むメキシコ治安当局と直談判し、道路封鎖を解除させる様子にあぜんとした。レオ・レオニの絵本「スイミー」の一場面のようだった。

ヒッチハイクしたトレーラーで移動する移民たち=メキシコ・ラピエダドデカバダス郊外

「キャラバンは完全にゲームを変えた」(移民支援者)という言葉通り、国境にたどり着いて壁を越え、国境警備隊に出頭して難民申請する移民が激増した。米メキシコ国境の検挙者数(米税関・国境警備局=CBP)はその年の5月、半年前の倍以上の14万人を突破した。

ところが、1年近くたつ今、状況は再び一変している。検挙者数は8カ月連続で減少し、今年1月は約3万7千人。キャラバン出現前の水準にほぼ戻っている。

新たなゲームチェンジャーは、「移民保護手続き」という名の新ルールだった。難民申請して審査手続きを待つ移民を、従来のように米国内ではなくメキシコに送り返して待機させる。道中のメキシコなど、まず第三国で難民申請するよう求める規則もつくった。

露骨な排除策には批判や反発も起きたが、米大統領のトランプは押し切った。移民の通り道となるメキシコには「国境を閉鎖する」「全輸入品に追加関税を課す」と脅して摘発を徹底させ、移民の「出身国」の中米3カ国には、財政支援の打ち切りを示唆し、移民を出さないよう圧力をかける――。CBP局長代理のマーク・モーガンはホワイトハウスでの会見で「一連の取り組みは、紛れもなくゲームチェンジャーになった」と語った。

鉄柵を隔てて米国に住む家族と再会する人たち=8月、メキシコ・ティフアナ、村山祐介撮影

こうして「無形」の壁を築く一方で、トランプは今年2月の一般教書演説で「非常に強力な壁がすでに100マイル(160キロ)以上できあがっている」とアピールした。実際には、大半は既存の壁の建て替えなのだが、気にかけるそぶりはない。11月の大統領選に向けて「有形」の壁の建設も訴え、予算教書では20億ドル(約2200億円)の建設予算を求めた。

■送還後に殺害、性的暴行

長い旅路を終えて支援施設で休む移民家族=米マッカレン

有形無形の壁の外で、移民の苦境は深まっている。「移民保護手続き」で昨年12月までに約5万9000人がメキシコに送り返された。米人権団体ヒューマン・ライツ・ファーストによると、うち4割強が送られたのが、北部タマウリパス州。銃撃戦や誘拐などの犯罪が多発し、米国務省が国民向けにはアフガニスタンやシリアと同じ「退避勧告」を出している地域だ。殺人や性的暴行、誘拐など、送還された移民たちが受けた816件を超す被害が報じられている。

逃れたはずの母国に戻され、報復に遭う人も少なくない。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは2月、13年から今までエルサルバドルに送還された人のうち、少なくとも138人がギャングなどに殺害されたと発表した。

キャラバンの「生みの親」であるメキシコ人男性とは、昨年6月から連絡がとれなくなった。「返事が遅れて済まない」という言葉とともに3カ月後に届いたメールには、こう書かれていた。「人身売買容疑で逮捕されていたんだ。メキシコ政府は移民支援を犯罪にすることで、米政府にいい顔をしたかったんだろう」

■阻まれるほど危険な道へ

行く手を阻まれれば阻まれるほど、より危険な道に足を踏み入れる。一連の取材で、目の当たりにした移民の現実だ。

「壁がつくる世界」(2017年10月号)の取材でたどった米国とメキシコの国境3200キロには、壁と移民の攻防の歴史が深く刻まれていた。1990年代に都市部に壁ができると、2000年代には砂漠の奥地で年200体もの遺体が見つかるようになった。10年代に入ると、今度は国境の東半分を分かつ大河に主戦場が移り、水死体が相次ぐようになる。そこに「壁をつくれ!」と叫んで、マグマのようにたまっていたグローバル化への不満を、移民に向けて噴出させたのがトランプだった。

村山記者の一連の移民取材の成果は、朝日新聞別刷り「GLOBE」の特集や大型ルポで3回にわたって掲載された

米国に向かう移民たちが乗る貨物列車のルートをさかのぼった「『野獣』という名の列車をたどって」(18年3月号)では、マラスと呼ばれる青少年ギャングに脅されて逃げてきたと語る家族連れの多さに戦慄した。その母国エルサルバドルは、治安悪化と貧困の「負の連鎖」に絡め取られていた。

そして、米国を目指すのは中米やメキシコからだけではないことを見せつけられたのが、「エクソダス 壁を越える移民集団」(19年5月号)の取材だった。中米パナマと南米コロンビアを分断する危険な密林「ダリエンギャップ」には、情勢不安が続くカメルーンや、豊かさを求めるキューバやインドなど世界各地から南米に入り、命がけで米国に向かう大勢の移民たちの姿があった。4年間で100倍に膨らんだ人波が密林に道をつくり、その道が大陸を越えて、今も移民を引き寄せている。

「ギャングに殺される」「暮らしていけない」。一連の取材で話を聞いた移民たちが、それぞれの母国を離れた理由はさまざまだった。ただし、話の続きは同じだった。

「でも、できれば移民になんてなりたくなかった」

有形無形の「壁」で自国だけを守ることは、解決策にはならない。命を賭して母国を離れる人たちの現実を見つめ、母国で希望をもって暮らせるよう国際社会が粘り強く取り組むしかない。その一助になるよう、移民や難民の流れをたどったり、分け入ったりしながら、私はこれからも伝え続けていきたい。