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トラブル連発のセブ生活 1歳息子の言葉で気づいた親子留学の本当の意味

育休ママの挑戦~赤ちゃん連れ留学体験記~ 更新日: 公開日:
セブ島で一番のお祭り「シヌログフェスティバル」=2019年1月、今村優莉撮影

およそ5カ月にわたってフィリピン・セブ島での親子留学体験記を綴ってきたが、体験そのものについてのレポートは今回が最後。

さあ、最後に何を書こうかな。

おかげさまで大きな病気もせず、すべてが順調に進んでいたように見えた私のセブ親子留学だったが、トラブルがなかったわけではない。

ある日、シャワーを浴びようと蛇口をひねると、お湯がでない!
帰国を約2週間後に控えていたころのことだった。

その日は週末で、学校のスタッフも家政婦兼シッターのジョセさんもお休みだった。私は、備え付けの電気ポットでお湯を沸かし、洗面台の排水溝にふたをしてそのお湯と水をまぜてぬるま湯にし、桶を使って洗面台からシャワー室に置いてあるバスタブ代わりのビニールプールにぬるま湯を張り、子どもたちの身体を洗った。

夕方、シンシンにお風呂を入れてくれるジョセさん=今村優莉撮影

翌日、ジョセさんにお湯が出ないことを言い、電気ポットのお湯と水を混ぜて使ってくださいね、と言った。ジョセさんは「大変ね。……でも、大丈夫よ、セブの水はそんなに冷たくないから!」と笑顔。

常夏のセブでは、夜、寝苦しいほど気温と湿度が高い。微調整が出来ない備え付けのクーラーは、寝る前には消すため、朝起きると我が家の息子2人は寝汗でぐっしょり。そんなわけで、2人は朝起きたあとと、夜ごはんの後の1日2回、シャワーを浴びる。朝は私が担当し、夕方はジョセさんにお任せしていた。

その日、私は学校から戻り、宿題をやっていた。すると、シャワー室から子どもたちの「キャッキャ」という声。
あれ、お湯戻りました?と聞くと「出ないですよ~~」と笑顔。え、水浴びしているの?!

「私は普段から水浴びしているんです。家のお湯が壊れていることも多いので」と笑顔のジョセさん。
え、それは大変……いや、いや、でもウチの子は水浴びはちょっと……と思うものの、子どもたちは寒がっている様子もなく、裸でキャッキャと楽しそう。

ま、いいか。
確かに、セブの水はそんなに冷たくはないし、子どもは風の子とか言うし。
思えば、子どもたちはいつも楽しそうに笑っている。きっと、いつも笑顔で接するジョセさんの影響を大きく受けているからだろう。そうだった。私も何度、「It’s OK!」と笑う彼女の明るさに励まされたことか。

そんなわけで、数日間、子どもたちは水浴びをしていた。私は電気ポットと水を混ぜたぬるま湯を桶でひとすくいずつ運んで地道に浴びる、というのを繰り返していたが、さすがに3日で疲れた。やはり、あたたかいシャワーを浴びたい。

学校スタッフに言うと「え!今村さん、そんな大変なことされていたんですか!」と驚いた様子。早速、修理のスタッフを呼んでくれたが、やはり給湯器が壊れてしまっているらしく、すぐには直せないと言われた。

幸い、他の部屋が空いているというので、シャワーだけ別の部屋を使わせてもらうことになった。
結局、最後の2週間はお湯が出ないままだった。

後にママメートにこの話をすると「えー!」と驚かれたが、私は意外とこんなハプニングも楽しめていた。子どもに関することも含め、セブでの生活はつねに良い意味で適当だ。だから、そこで生活する私たちママも、肩の力を抜いても良いんだな、と思えるようになっていた。教えてくれたのは、いつも明るく笑う、ジョセさんを始めとするフィリピン人だった。

いつも笑顔のジョセさん(右)=2019年1月、今村優莉撮影

さて、セブでは毎年1月の第3日曜日に「Sinulog Festival(シヌログ祭り)」と呼ばれる大きなお祭りがある。フィリピンで最大級のお祭りで「フィリピン版リオのカーニバル」とも呼ばれているという。その日は一日中、セブ市内の大通りをメーンにダンスやパレードが繰り広げられ、街は準備でにぎわう。
ほとんどの道が封鎖され、なんと当日は携帯電話の電波も止められてしまう。

シヌログフェスティバルのパレードに登場した花で飾られた車。右上にいるのが「サントニーニョ」の人形=2019年1月、今村優莉撮影

シヌログ祭りは、「サントニーニョ(=幼いイエス)」を祝うお祭りという。シヌログの公式サイトによると、サントニーニョは、キリストの子ども時代の人形のことで、セブの人々にキリスト教を最初につたえたポルトガル人のフェルナンド・マゼランが1521年、当時のセブ島の女王に贈ったとされる。その後、フィリピンを植民地化しようとするスペインによって街に火が放たれた際、無傷で見つかったことから、毎年この時期にサントニーニョを奇跡の象徴として崇めるようになったのが始まりという。

「本番」の日曜日まで、セブ島で最も古いサトニーニョ教会での大規模なミサをはじめ、街中でたくさん催し物が行われる。

これまで連載でも取り上げてきたように、先生を祝う日やハロウィーン、クリスマスなど、とにかくイベントが大好きなフィリピン人。そのフィリピンの人々が1年で一番盛り上がるのがシヌログなのだという。先生によると「4カ月かけて準備をするクリスマスを迎え、その余韻を保ったままシヌログモードに入って締めくくる」とか。

準備の段階から盛り上がる。年があけると、クリスマスツリーにとって替わるようにこの小さなイエスをかたどったサントニーニョの人形が街のあちこちに飾られるのを目にした。

せっかくセブにいるのだから、このお祭りを見てから帰りたい。私は、もともと予定していた帰国日を1週間ずらした。

さて、このお祭りを見るために、フィリピン各地からだけでなく、世界各地から観光客が訪れる。

シヌログ祭りを翌日に控えていた土曜日の昼。私の帰国は翌々日に迫っていた。3週間前に親子留学を始めたばかりというさくらさん(仮名、40)母子を誘い、コンドミニアム隣にあるショッピングモールの食事エリアでランチをしていた。2人で「明日のシヌログは子連れで見ようね~」などと言いながら。

シヌログで使う髪飾りなどが街のいたるところで売られていた=2019年1月、今村優莉撮影

ランチが終わり、コンドミニアムに戻る途中だった。

さくらさんは当時11カ月の長女を抱っこひもで抱っこ。私は7カ月のルールーを抱っこひもで、1歳10カ月のシンシンをベビーカーに乗せて、人で賑わうショッピングモールをぶらぶらしながら歩いていた。

さくらさんの長女が急に泣き出した。「オシッコかな」。私たちはオムツを替えられる場所を探したが、人が多すぎて移動もままならないため、オムツ替えは諦めて、両替所に向かった。

ふと、私のポーチが開いていることに気づいた。「しまった!」
さくらさんのポーチも被害に遭っていた。おそらく、みんなで人混みを移動していた時に、やられたのだろう。2人とも子どもを前抱きしていたので、直接ポーチに目線が届いていなかった。私は別の内ポケットにクレジットカードなどを入れていたので、カード類は無事。外側のポケットに入れていた現金4000円相当がきれいになくなっていたのだが、現金だけで済み、とりあえずホッとした。

だが、さくらママは、現金とクレジットカードの入ったサイフをまるごと盗られてしまった。
「ぎゃー!」抱いていた子どもがびっくりするほどの声で2人で叫んでしまった。

普段から、スリには注意していたが、そのモールは行き慣れていたし、子連れで買い物袋などを下げていると、いろんな人が声をかけてくれるなど、「安心できる場所」となっていた。

とりあえずこの人混みをぬけてコンドミニアムに戻ろう。子どももいるし、翌日に控えたシヌログの影響で街はすでに半分くらい移動が制限されていた。警察に行くのは諦めた。

シヌログフェスティバルの期間は、警察犬などもたくさん見かけた=2019年1月、今村優莉撮影

さくらさんは、日本にいる夫に電話し、クレジットカード会社に連絡をしてカードをとめる手続きをすると、私の部屋で途方にくれてしまった。

「セブ島になんか来なければ良かった」。ぽつりとつぶやいた。

彼女の気持ちは痛いほどわかる。私も、人生ですられたのはこれが初めてだった。最後の最後で、まさか子連れの最中にスリに遭うなんて、被害の大小にかかわらず、私のショックも小さくなかった。

ふと、我に返ったようにさくらさんは言った。「でもさ、子どもに被害がなくて良かったと思わないとね」

サイフをなくした直後にこんな考えが出来るなんて、なんて強い人なのだろう。私たちは「そうだよ!そうだよ!赤ちゃんに怪我はなかったんだから。サイフなんて保険で返ってくるよ!」と抱き合った。そうだった、セブの親子留学中に出会った女性たちは、みなこうしたポジティブさと強さを持っていた。

ハエ問題、病院、お湯出ない問題、そしてスリ。周りのママメートも含めると、私のセブ親子留学は、トラブル話もたくさんあった。

一方で、私はジョセさんを始め、セブの人々に助けられ、励まされながら、こうしたトラブルもなんとか笑顔で乗り切れた。乗り越え、振り返ると、やっぱりセブに行って良かったと思う。これまで話を聞いたママメートも、みな同じような感想を抱いていた。

ちなみに、さくらさんのサイフは海外保険の携行品損害でカバーされ、金額的な被害はほとんどなかったという。(保険って大事だ!)

セブで7カ月を迎えたルール-(左)とシンシン。恒例の寝相アートを作ってみた(7M=7monthsのつもり)=2019年1月、今村優莉撮影

最後に。

シンシンが「Hello」と言ったのだ。突然。
ジョセさんや、kredo kidsでの教室で先生たちに会うたび、毎日毎日「Hello」と言われているので、Helloくらい言えて当然だと思うだろう。だが、当時シンシンは1歳9カ月。子どもにもよるのだろうが、シンシンの発語はゆっくりで、言える単語は「ママ」と「ナイナイ」(中国語でおっぱいやミルク全般の意味)くらいだった。「オムツ」も「オシッコ」も「ウンチ」も言えなかった。もちろん「こんにちは」も言えなかった。

気づくと、シンシンは「Hello」のほかにも「モーニン(Morning)」や「Blue」を言えていた。
おはようも青も知らないのに。

子どもたちも、セブで大きくなっていたんだ。私はシンシンに何度もHelloと言わせては、ビデオに撮って、日本にいる夫に興奮気味に送った。

ルール-(左)を抱く家政婦兼シッターさんのジョセさんと、シンシン(右から2番目)を担当するベビークラスのアン先生(右)=2019年1月、学校スタッフ撮影

ふと、この4カ月半、私は一度も子どもを怒らなかったな、と思った。コンドミニアムのロビーで、街中で、学校で、シンシンとルールーはいつも笑顔を向けられていた。ジョセさんからも先生からも、知らないおじさんやおばさん、お兄さんやお姉さんたちに。だから、2人とも人なつこい子どもに育ってくれたと思う。知らない大人に抱かれても、泣かないどころか、興味津々な目を向けては大人たちを笑顔にした。そんな我が子と一緒にいると、私はとても安らかで、優しい気持ちになれた。一足先に帰国した、2週間だけ滞在した先輩ママ・アキエさんが言っていたのを思い出した。

「今回本当に来て良かったな、と思ったのは、子どもとの時間の過ごし方を学んだことなんですよね。子どもと向き合う時間ってこうやって作るんだ、と思えたことはすごく大きいな、て」

あらためて、私は「子育てに大事なのは、ママが楽しく過ごすことなんじゃないか」と思った。自分が楽しく日々を過ごせて初めて、子どもにも笑顔で向き合う余裕が出来るんだ、と。

だから、トラブル続きで締めくくったにもかかわらず、私のセブの親子留学生活は、周りで支えてくれたたくさんのフィリピン人の笑顔とともに、楽しい思い出しか残っていない。

……で、私の英語はどの程度上達したのかって?

それはまた、この後に続く親子留学ニュージーランド編を綴った後に、振り返ろうと思います!

***フィリピン・セブ島の体験記を読み続けてくださりありがとうございました。次回は、英語と旅が好きすぎて、親子留学の仲介業を始めてしまった、パワフルな女性をご紹介します