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83円からのスタート ロッテ神話生んだ辛格浩名誉会長死去

東亜日報より 更新日: 公開日:

ロッテグループ創業者の辛格浩(シン・ギョクホ、日本名:重光武雄)名誉会長が19日午後、死去した。98歳だった。

ロッテグループは「入院中だった辛名誉会長は19日午後4時29分、家族が見守る中、穏やかに息を引き取った」と、発表した。日本出張中だった辛東彬(シン・ドンビン、日本名:重光昭夫)会長は急きょ帰国し、辛氏の臨終を見守った。

辛氏の死去により、サムスンの李秉喆(イ・ビョンチョル)会長、現代グループの鄭周永(チョン・ジュヨン)会長、LGの具仁会(ク・インフェ)会長、SKの崔鍾賢(チェ・ジョンヒョン)会長ら韓国の財界を牽引してきた「創業第一世代の経営人」の時代が幕を下ろした。

辛氏は日本で成功した後、韓国に戻り、ロッテグループを財界5位に育てた「巨人」と評価されてきた。

辛氏は1921年、慶尚南道・蔚山で5男5女の長男として生まれた。貧しく、日本統治下の圧迫の中でも文学の本を読み、将来の夢を膨らませた。1942年、21歳の時に釜山から日本の下関へ向かう関釜連絡船に乗った。所持していたのはわずか83円と「若きウェルテルの悩み」の本一冊。

日本統治下の貧しい文学青年は、発明家になるという夢を抱いて早稲田実業学校夜間部に入学した。昼間は新聞や牛乳を配達した。1944年に軍需用切削油生産工場を設立し、事業を始めたが、第二次世界大戦中に工場が全焼する試練を経験した。

石けんや化粧品を作り、再起に成功した辛氏は、ガムの事業に乗り出し、1948年に従業員10人と共にロッテを設立した。社名は感銘を受けた「若きウェルテルの悩み」の主人公シャルロッテから付けた。

日本で事業家として成功した辛氏は日韓国交正常化後、韓国への投資の道が開けると1967年、韓国にロッテ製菓を設立した。以後、ホテルロッテ、ロッテショッピングを相次いで創業、湖南石油化学を買収し、ロッテをホテル、流通、化学、金融のグループとして育て上げた。辛氏が「企業保国(企業としての活動で国に貢献すること)」の夢を抱いて祖国に戻って50年余り、ロッテグループは95の系列社が約84兆ウォン(約7兆9200億円、2018年基準)を売り上げる大企業に成長した。

辛氏は観光事業を国家戦略事業として育成した功労を認められ、1995年、観光事業分野で初めて「金塔産業勲章」を受章した。

(2020年1月20日付東亜日報 シン・スジョン記者、シン・ヒチョル記者)

(翻訳・成川彩)