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新大久保駅事故から18年 寒風が吹く日韓、それでも架け橋は育っていく

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JR新大久保駅で献花する韓国の高校生=2019年2月8日、吉野太一郎撮影

■遺志を継ぐ奨学生、300人超す

JR新大久保駅の階段の壁には、日本語と韓国語で書かれた銘板が掲げられている。「コリアンタウン」の入り口としてごった返す通路で、銘板に目を留める人は少ない。

2月8日の金曜日、階段の踊り場に献花台が設けられ、韓国から来た高校生20人が花を供えた。

李さんは日本語学校で日本語を学ぶ留学生だった。国際交流基金は事故の翌年から「李さんの遺志を継ぎ、日韓交流を担う次世代の育成」を目指し、毎年、韓国の高校生を日本に招待している。今年は18回目で、約2週間のプログラムで関西の高校、大学などを回って学生、生徒と交流した。これまでに参加した人数は300人を超える。

国際交流基金のプログラムで来日した韓国の高校生。(左から)李俊喜さん、全度賢さん、朴瑞玄さん=2019年2月8日、吉野太一郎撮影

日本語でのコミュニケーション能力を基準に選ばれただけあって、献花後のインタビューに応じた3人の高校生は、いずれも日本語が堪能だった。韓国では高校で第2外国語があり、日本語も選択可能だが、日本語の語学学校に通ったり、YouTubeで動画を見たりして、独学しているという。

3人とも2000~2001年生まれで、事故当時の記憶はない。それでも「李秀賢さんのことは、小学校の道徳の授業で教科書に出てくるから、みんな知っています」「日本語の授業で交通機関の話になったとき、先生が李秀賢さんの話をしてくれました」と話した。

■「厳しい時期、民間が頑張らないと」

ドラマやK-POPの「韓流」人気の一方、植民地時代の元徴用工らに日本企業が損害賠償を払うよう命じた韓国大法院(最高裁)判決を巡る波紋や、海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射の問題など、政治・外交面で日韓が対立する場面が続く。「難しい時期ですが、どう思いますか」と質問を投げかけてみた。

「日本のテレビの『警察密着24時』が好きです」という李俊喜(イ・ジュニ)さん(18)は「韓国でも日本でも、一部の人たちに両国の印象は悪いけど、民間の国民はいい印象を持ってますよ。政治的にも厳しい時期だけど、僕ら民間が頑張らないと」

朴瑞玄(パク・ソヒョン)さん(18)は「普通の人たちは、いい関係に進めたいと思ってますよ」と話した。「将来はアニメの監督になりたい。日本の浮世絵と韓国の伝統絵画をつないだコンテンツがつくれないかと思っています」

李秀賢さん

2001年1月26日、新大久保駅のホームから線路に転落した男性を救助しようと、李さんと、カメラマン関根史郎さん(当時47)が線路に飛び降り、電車にはねられて3人とも死亡した。

日本語学校で日本語を学び「将来は日韓友好の架け橋に」と願っていた李さんの死は、美談としてメディアで大きく報じられた。森喜朗首相(当時)が都内で開かれた追悼式に出席し、皇后陛下が遺族に面会して見舞いの言葉をかけるなど、日韓友好の象徴的な存在となった。

2007年1月26日、映画「あなたを忘れない」の特別試写会で李秀賢さんの両親に話しかける天皇、皇后両陛下(代表撮影)

事故からすでに18年。遺族や関係者は高齢化し、事故を知らない世代も増えた。「遺志の継承」は今後の大きな課題でもある。

李さんの両親には個人や企業などから多額の見舞金・弔慰金が寄せられ、事故から1年の命日に「李秀賢顕彰奨学会」が設立された。現在はアジア出身の日本語学校在学生を対象に1人10万円を支給しており、昨年10月時点で計897人が給付を受けた。

事故直後に比べ支給対象人数も支給金額も減ったが、現在も寄せられる個人や企業の寄付などで事業は続いている。「李さんやご両親の思いを継承して、末永く続けていきたい。将来も奨学金を支給し続けるため、広く寄付が集まるように知恵を絞っているところです」と事務局長の有我明則さんは打ち明ける。

2019年1月26日、李秀賢さんが亡くなった現場付近で手を合わせる李さんの母・辛潤賛さん=吉野太一郎撮影

命日に欠かさず来日し、現場を訪れていた父・李盛大(イ・ソンデ)さんは79歳。今年は体調不良で来られず、母親の辛潤賛(シン・ユンチャン)さんだけがホームで手を合わせた。

■献花台に手を合わせた学生の思い

18回目の命日、献花台には日韓の学生2人の姿もあった。

2019年1月26日、JR新大久保駅で献花する古閑早織さん(右)とイ・スミンさん=吉野太一郎撮影

早大国際教養学部3年の古閑早織さんは、早大の日韓交流プログラムに参加し、釜山にある李さんの墓を訪ねた。「学生一人一人の感覚と、ニュースや報道で流れるものに距離があって、ものすごく残念。私自身、何かできればいい」と、1年間の韓国留学に旅立った。李さんが通っていた高麗大学出身で、現在は東大の大学院で政治学を学ぶイ・スミンさんは「こういう時代だからこそ、市民レベルで助け合いたい。『日韓の架け橋になりたい』と願っていた李さんの聖心を引き継いでいければいいなと思う」。

ドキュメンタリー映画「かけはし」の上映会であいさつする李秀賢さんの母・辛潤賛さん=2019年1月26日、吉野太一郎撮影

日本語学校の学生、日韓交流のプロジェクトに参加した日韓の大学生に密着したドキュメンタリー映画「かけはし」が2017年に制作された。今年の命日に合わせて東京都内で開催された上映会には、約350人が参加。観客の前で李さんの母は「忘れないでくれてありがとうございます」と頭を下げた。

李さんの母は取材に「忘れられることがいちばん怖い」と語った。

李秀賢さんの母・辛潤賛さん=2019年1月26日、吉野太一郎撮影

「日本は息子が好きで選んだ国。対立が深まれば心が痛むし、息子も同じ悲しい気持ちでしょう。日韓はつながっている。もっと近くならなくては」

2012年、李明博大統領(当時)の竹島上陸や、民族差別をあおるヘイトスピーチのデモが新大久保を襲った。あれから7年。新大久保は化粧品や飲食物を目当てに、女子中学生や高校生らに人気の街となった。

化粧品や韓国料理の店が立ち並び、若い世代が多く訪れる新大久保の大久保通り=吉野太一郎撮影

「新大久保を歩くと、若い世代は政治や外交とは関係なく、自分の好きなものを楽しんでいると感じます。関係がよくなって、感情的な対立もなくなり、若い世代が暮らす世の中がもっと暮らしやすくなればいいですね」

ぎくしゃくした外交関係が続く日韓だが、目をこらすと、李秀賢さんが遺したものは、新大久保の街に脈々と受け継がれていた。