1989年春。大学に入ってすぐの学園祭でのこと。学科の仲間と小さな店を出していたとき、一人の先輩が「ビラを配りに行こう」と言い出した。ビラの内容は、「軍部独裁打倒」とか、「民主主義を勝ち取ろう」「平等な世の中の実現」などだったと記憶している。
先輩や同僚たちと、行き交う人々にビラを手渡していたその時。巡回中の警察官に捕まってしまった。派出所で事情聴取を受けていると、父が来てくれて、私は釈放された。帰り道、口数の少ない父は、小さな店に立ち寄り、焼酎一瓶を買って私と自宅近くの公園に向かった。黙々と酒をつぎながら、父の口から出たのは、たった二つの言葉だった。「世の中は、そんなに侮れないぞ」「どうせやるなら、捕まるな」
それから30年が過ぎた。韓国では、普段はあまり連絡を取りあわない親族でも、年に2回ほど集まる機会がある。旧正月と中秋のころだ。今年の中秋は9月13日だった。いつものように両親の家を訪ね、姉の家族と一緒に集まった。
互いの健康や暮らしの変化を尋ね合うのが常で、はやりのドラマの次に、話は辞任した曺国(チョグク)前法相の話に移っていった。
「メディアの問題だよ。曺国に問題はないのに、メディアがウソをついている」。姉はこういいながら、私の顔を見た。私が新聞社に勤めているため、何か答えろ、ということなのだろう。少しバツが悪くなった。
姉の話は続いた。「だから私は最近、新聞を読まない。テレビのニュースも見ない。ユーチューブをみている」。さて、どう答えればいいか悩みつつ、はっきり伝えることにした。「でも、ダメなものはダメだよ。検察がいくらウソをつくのがうまくても、今度の事件は明らかに曺国に問題があるよ」
「弟がそんなふうに考えているなんて!」。声のトーンを少し上げた姉のこの一言で、夕食の前の雰囲気が、し~んとなってしまった。
曺国という人は、秀才中の秀才だけが入れるといわれるソウル大学の法学部を卒業した。
180センチを超えるさっそうとした姿、整った顔立ちで、会った人たちの心をすぐにつかんでしまう人物なのだという。
文政権が2017年5月に船出したころ、50代という比較的に若い側近たちと一緒に、民情首席秘書官(政府高官の監視と司法機関を統括し、人事情報を握る大統領の側近中の側近)だった曺国氏が白いワイシャツ姿で、青瓦台(大統領府)の青い芝を笑顔で闊歩する写真が公開されたことがある。これを見た私の大学の同級生の女性は「目の保養になる!」と明るく笑った。
娘と息子の大学入試不正疑惑などで検察に逮捕された夫人とは、大学時代に逸話がある。曺国氏が通った図書館の席の近くは、多くの女子学生たちにとっては座りたくても座れない、ただ遠くから眺めるだけのあこがれの場所だったという。そのなかから結ばれたのが、夫人のチョン・ギョンシム韓国東洋大学教授だった。
チョン教授は曺国氏より年上で、結婚した後も家庭のことはほぼすべて担っていたと報じられている。入学不正、ファンドへの投資をめぐる不正、証拠隠滅など14の容疑で逮捕されている。一方、曺国氏は容疑の多くはウソか自分は知らなかったことだと話している。
曺国氏は文政権に入る前は、政界からのラブコールをずっと断り続けてきたという。しかし、2012年に文在寅氏が大統領選で敗れた後から、積極的に文氏を支援してきたという。彼は私のようないわゆる「586世代」、つまり50代で80年代に学生だった60年代生まれで、民主化運動に取り組んだ革新派世代のシンボルとなり、世の中の注目を集めるようになった。
しかし、現実には彼の理想より固く高い壁が立ちはだかっていたようだ。民情首席として担当した政府の人事機能はうまくいかず、批判が集まるようになった。また日本の対韓輸出規制が問題になった後には、彼はSNSを通して、「反日」の文章を多くアップした。国民を、韓国では売国奴に近い意味で使われる「親日派」と「反日派」に分断する動きを強めていった。
7月21日には、SNSにこんな投稿をしている。
「1965年(の国交正常化)後の韓国政府の一貫した立場、そして2012年と18年の大法院(最高裁)判決について、否定、非難、歪曲することは、まさに日本政府の立場に他ならない。このような主張をする韓国人は、当然『親日派』と呼ぶべきだろう」
文政権以前の保守政権の公職者たちに子どもの入学不正疑惑などが持ち上がると、曺国氏の批判は舌鋒鋭かった。しかし、曺国氏自身が検察の取り調べを受け始めた今、「その鋭い刀が自分に返ってきたようだ」と言われている。
疑惑は文政権の危機にまで至った。支持率は最低を記録。ソウル中心部などでは、曺国氏を支持するデモ、反対するデモが目と鼻の先で行われた。これを、ある新聞は「韓国は真っ二つに割れてしまった」と報じた。
曺国氏は法相就任から35日後、辞任し、11月14日に検察の聴取を受けた。夫人、弟、親族はすでに逮捕されている。
法相辞任から数日後。サムギョプサルの店で会った大学の後輩が、こう切り出した。「進歩(革新)の大事な価値を捨てはしませんが、今までその価値をともにしてきたと信じてきた彼の没落を見守るのは、つらいです」
二人で言葉なく、長い間、座っていた。帰宅し、カレンダーで来年の旧正月の日を確かめた。あの日の姉の言葉を思い出した。
「そうか……。姉が守りたかったのは、曺国氏ではなく、自分たちの時代の価値だったのか」
曺国氏は起訴されることになるのだろうか。30年前の父の言葉が耳の奥によみがえった。「世の中、そんなに侮れないぞ」