2ヶ月以上にわたって大韓民国を引き裂いた曺国(チョ・グク)前法相の問題は、保守・革新の対決構造ではなかった。曺国一家をめぐる疑惑が次々に明らかになり、革新陣営の内部の葛藤にまで発展した。文在寅大統領支持者の街中でのデモを契機に、陣営の対決へと持ち込んだ指導部が事態をさらに悪化させた。
政権与党は結局、曺国の問題と検察改革という枠組みを対峙させた。改革の課題は曺国一家を捜査する検察権力の力を排除しなければならないという声に集中し、検察の政治的中立性確保というまた違った改革課題に光が当たった。ある文大統領支持者の小説家が「文在寅大統領が適任者というんだから、曺国支持」という忠誠の誓いをしたように、大統領支持者は政権与党の枠組み転換の心強い味方となった。曺国退陣の局面で押し出されまいと、背水の陣で闘ったようなものだ。
月を見ろと言うのに月を見ず、月を指す指を見てどうする、という言葉がある。しかしながら、政治的コミュニケーションの過程では月と指を一緒に見なければならない。議題と問題点の提示は結局人がすることで、「どんな人がするのか」が重要だからだ。その人の人生の来歴と誠実さが国民の共感を得られてこそ、政策推進に弾みがつくというものだ。曺国は国会で自身の言行不一致を指摘され、「省察する」と適当に流したが、国民はその点に厚かましさを感じ、不快に思った。保守・革新、与野党の攻防の立場が逆転しても、この法則は依然有効なようだ。我々の社会、特に政治権で修身齊家の道徳性と周辺の管理についてどんなに強調してもし足りない理由だ。
「大統領はチョ・グクが好きすぎた」
曺国の問題を見守ってきた文大統領支持陣営のある長老は、与党政権の敗北の背景をこのような一文で表現した。大統領は9月、「本人が責任を負うべき明確な違法行為が確認されなかった」と曺国法相任命を強行したが、以前の政権にまで遡る必要もなく、過去には皆、国民目線で度を越したと見られる疑惑だけで退いたのに、なぜ曺国だけにそこまで寛大でなければならないのか、国民は理解できなかった。遅まきながら、与党の一部の1期目の議員らが「これまで地獄のようにつからった」と漏らしたように、国民が政権の偽善に怒ったのは、このような公正の価値がゆがめられたためだった。「法治」でなく「人治」という批判が出てくるゆえんだ。
与党指導部は自分たちの政治的選択が国民に拒否されても「そんなことありましたっけ」という風にごまかそうとしている。反省も省察もなく、時間がたてばすべて忘れられるだろうという考えのようだ。弾劾の落とし穴から抜け出せない自由韓国党を警戒する必要はないとみて、「ポスト曺国」の政局を無難にやり過ごせばいいという計算のようだ。このような傲慢な態度に国民の心の傷はますます深まるだろう。
国民は与党指導部の誠実な反省と新しい船出を期待したが、誰も責任を取る人がいない。フレームが変わっても、曺国の問題の傷跡はきれいに消え去るわけではない。危機の局面で大統領支持層は結束したが、反省と刷新がなければ、支持層の総数は減っていくという点を忘れてはならない。11月9日には文在寅政権の任期の折り返し点を迎える。
(2019年10月29日付東亜日報 チョン・ヨンウク論説委員)
(翻訳・成川彩)