写真家ヤエル・マルティネス(34)が、6年以上にも及ぶドキュメンタリー写真の撮影を始めたきっかけは、妻からの電話だった。2013年9月19日、義弟が殺されたと連絡がきた。麻薬カルテルと警察当局との抗争が激化し、治安が著しく悪化したメキシコで、命を奪われる危険は誰にもあった。実際に身内の死を聞くと、衝撃は耐えがたかった。
義弟は麻薬組織との関連を疑われて警察に逮捕された後、留置施設で死亡した。当局は死因の説明を拒絶。3カ月後、今度は別の義弟2人が突然、消息不明になった。抗争に巻き込まれたのは間違いなく、妻や義母らは悲しみに暮れた。義弟1人には1歳の娘もいた。殺人や誘拐が日常化した街で、大切な命が次々と奪われていく。この窮状を、写真で世界に訴えようと思った。
家の壁に貼られた義弟たちの写真。残された家族や娘の表情。家族を写し続けるうちに、同じ境遇にある住民たちにもカメラを向けるようになった。話を聞き、怒りや苦しみを分かち合う。まるで映画を撮るように全てを写真で記録していった。
「暴力が日常になると、人を敬う心など人間の根本に悪影響を及ぼす。それが連鎖していくことを一番恐れている」
消息不明者は麻薬に関係して命を落とした可能性が高いと当局は言う。子供や女性が暴力の標的にされても、麻薬と無関係な住民が殺されても、麻薬がらみだから諦めろと軽視される。法の支配が崩壊していると、マルティネスは訴えた。
「だから住民が立ち上がらないといけない。暴力と闘い、訴え続ける。小さな変化の連続が社会を変える。その思いで今後も写真一枚一枚を撮り続けていく」
■麻薬戦争という名の悪夢
米国への麻薬密輸の中継点となってきたメキシコでは、複数の麻薬組織が存在し、それを取り締まる当局との間でたびたび衝突が起きてきた。2006年に発足したカルデロン政権が軍を動員して組織の撲滅に乗り出すと、カルテルも軍事化を進め抗争は泥沼状態に。住民も暴力の標的となり、25万人以上が死亡、3万7400人以上が消息不明となっている。
18年12月に就任したロペスオブラドール大統領は「麻薬戦争は終わった」と宣言したが、写真家ヤエル・マルティネスは暴力は続いていると強調する。消息不明者の真相についても、残された家族が任意団体を立ち上げるなどして、今でも独自に調べているという。(山本大輔)