■これまでのお話
- 金正恩・トランプ会談を横目に授乳「私はまたひきこもり」
- 夢は特派員、気づけば33歳 ふと検索「子連れ」「海外」
- 育休明けの「戦力外通告」が心配に 苦手な英語鍛え直す場所を探した
- セブ島のシッター付き英語学校は4週間で50万……「自己投資」と言い聞かせ
- 勝手なママに付き合わせて……セブ島留学に主治医は眉をひそめ、上司は絶句
「0歳と1歳児を連れて留学に行く勝手なママ」。そんなふうにはっきり言ったのが、幸か不幸か主治医「だけ」だったおかげで、私はほとんど勢いだけで日本を飛び出せた。
実は、親子留学を決意してから出発する直前まで、私はずいぶんと親しいママ友に一緒に行こうと声をかけた。実際、友人たちの反応は悪くなかったし、「行く、行く!」と前向きに検討してくれた人も何人かいた(その後、実際に来てくれた友人も1人いた)。
パンフレットを取り寄せ、カウンリングに臨み、見積もりや具体的な日程を検討してくれた友人もいた。だけど、最終的に断られた。その理由は大きく分けて
1) 夫が賛成してくれなかった
2) 費用面で諦めた
3) 産後うつのような状態が続いている。気晴らしに行きたいが、心の健康を取り戻せておらず、飛行機に子連れで乗る自信がない
4) 英語はTOEIC920点。今はアラビア語学びたいからセブはなあ
5) 子連れで東南アジアはちょっと。衛生面や治安が心配
あ、細かくしすぎた。
3、4は特殊な例だが、1と5はママ友8人のうち、半分くらいが当てはまった。ここにきて、私は初めて、乳幼児を連れて日本から「わざわざ」東南アジアに行くことに対してこれほど多くの懸念をママは抱くのかと知った(遅い!)。
でも、私のその不安は5秒ほどで消えた。理由は一つ。「いや、フィリピンって子だくさんだよね?子どもいっぱい生まれていて、病院もあるよね。何も原野で過ごすわけじゃないのだし、何かあれば普通に病院に行けばいっか」
「東南アジアの水は赤ちゃんに悪いのでは」という友人もいた。もっともだと思う。ただ、私自身が水も空気も汚い中国で幼少期を過ごし、留学した経験があることも関係したかもしれないが、水が悪い国というのは、それなりに対策があり、外で氷入りの飲み物は飲まない、家ではウオーターサーバーの水をつかう、といった手を打つ。だから、フィリピンでもなんとかなるだろう、と。
ただ、「夫が賛成してくれなかった」という理由で見送ったママ友には、複雑な思いを抱いた。「俺のご飯はどうなるんだ」と冗談(には聞こえないが)で言われたという人に対しては、もう同情するしかなかったが、別の理由を述べる友人もいた。
彼女は、長年の不妊治療の末に一人娘を授かった少し年上の女性だ。彼女の夫は仕事が早く終われば帰宅して彼女のぶんまで食事も作るし、休日も積極的に娘の面倒をみる。「ワンオペ」ではない、と彼女は言っていた。それでも「やっと授かった娘だからか、夫は、生まれてから一度も娘を他の人に預けようとはしないの。だから、週末も自分たちだけでみるし、保育園はおろか一時保育にも預けたことがないの。夫は出張で2週間いないこともあるけど、私は出産して退院したあと、この1年半、1時間も娘と離れたことがないの」
彼女は英語に関してはペラペラだった。バックパッカーも経験しているし、セブには英語を学ぶというよりは、「1カ月、いや2週間でも良いから、シッターに預けて羽を伸ばしたい」と話した。私の留学先のKredokidsの本校はIT英語専門校ということもあり、英語でホームページの制作技術などを学ぶことも出来る。そこで技術を学べば、今後、自宅にいながらできる仕事にも役立つだろうという思いもあったようだ。パンフレットを取り寄せ「出産後、こんなにうきうきした気持ちになったのは初めてかも!ほんと楽しみ!」と絵文字入りの喜びのLINEをくれたので、私もすっかり一緒に行く気でいた。
だが数日後、やっぱりごめん、というLINEが返ってきた。夫にこう懇願されたという。「可愛い娘を連れて行かないでほしい。寂しい」
私は、国際報道部という部署に所属していたせいもあり、同僚や先輩のほとんどが語学留学経験者だ。学生時代だけでなく社会人留学した人も多い。社内留学の選考に漏れたから、などの理由で私費留学をしたひともいて、妻子を置いて1人で1年行った、という話もよく聞く。
……すべて男性だ。
単身での留学と違い、母親になると、いろいろな理由で外に出づらくなるのだと思った。家族の同意、子どもの健康、そして自分の健康。私は、改めて自分と子どもたちが元気であることと、文句も言わずに送り出してくれた夫に感謝を伝え、成田を発った。
「大人1人につき2歳未満は1名まで搭乗可能」とのルールにより、いくつかの航空会社に搭乗を断られた経緯(詳しくは前回)から、私たちが乗れるセブへの直行便はLCC(格安航空会社)のセブパシフィックだけだった。LCCに乗るのは生まれて初めてで、正直、良い印象は持っていなかった。ただ、「幸い」なことに私たちの便は出発予定時刻が50分遅れただけで、LCCにしては、たいした遅れに入らなかっただろう。
……が、その50分で、私が周到に練った子連れ搭乗計画はガラガラと崩れた。
搭乗を待っている間にシンシンとルールーは時間差で眠りから覚めた。用意していたミルクも水も飲み干した。成田空港の、しかもLCC専用ターミナルには自動販売機や売店がなく(当時)、「のどが渇いた」と訴えまくるシンシンのためにペットボトルを買いに往復20分ほどかけて帰ってくると、搭乗ゲートはほぼカラ。2人を引きずるようにして乗り込んだ。
おかげで、私はルールーの一番お気に入りの哺乳瓶を、空港内のどこかに置き忘れた。
機体は狭い上にバシネット席がなかった。脚を伸ばせる非常口の席は取れなかった。私たちは機体の真ん中の3列シートの窓側と中央席だった。ルールーを抱っこして私が真ん中に座ると、もうほとんど身動きがとれなかった。
離陸すると、シンシンとルール-は火がついたように泣き叫んだ。気圧の変化だ。離陸時に耳抜きが出来るよう、ルールーにはおっぱいを、シンシンにはミルクを与える予定だったが、搭乗時刻が遅れたおかげで、その作業を地上で済ませたため、シートベルトサインが消えるころ、2人の不機嫌は絶頂に達した。
子連れで飛行機に乗ったことがある人なら、きっと一度は経験があるだろう悪夢のような空の旅の幕開けだったが、幸運の女神様はいた。3列シートの廊下側、つまりルールーを抱く私の隣に座った女性が、なんと小児科の元看護師だった。20代の彼女は、将来、世界で子どもを救う仕事に就きたいという夢のため、職を辞してセブで英語を学びに行くのだという。彼女は嫌な顔一つせず、2人の子どもを交互にあやし、離乳食を与え、寝入るまで抱いてくれた。
彼女のおかげで無事5時間のフライトを終えた私たちは、現地時間の夜7時ごろ、セブ島のマクタン・セブ国際空港に着いた。彼女とは、セブで再会しようという約束とLINEのIDを交わした。
出口で、「YURI IMAMURA」と大きく書かれた紙を持った学校スタッフの若い男性と、フィリピン人女性が手を振ってくれた。「お子さん2人が見えたからすぐ分かりましたよ!」。女性は、私たちの専属シッターだった。トランクとリュックと乳児と幼児を抱えヘロヘロになっていた私に走って近づくと、シンシンを抱き上げてほっぺをすりよせ、はじける笑顔でこういった。
「ハァ~~イ! Welcome to Cebu!」
ルールーの哺乳瓶を忘れたことに気づいたのは、その時だった。
***セブ島で不安でいっぱいだった私を迎えてくれたのは、明るい笑顔と超がつくフレンドリーさで接してくれる陽気なフィリピン人シッターでした。