――ゴードンさんは日本の近現代史の歴史学者ですが、なぜ「観光学」の分野でもあるダークツーリズムを研究対象にしようと考えたのですか?
ダークツーリズムは、自然災害や人びとの苦難、死など、悲しい記憶のある舞台を観光の対象とすることです。世界のダークツーリズムポイントであれば、ナチスドイツのホロコーストを学べる「アウシュヴィッツ」、日本であれば広島の「原爆ドーム」などがあたりますね。
歴史の重要性や意味合いを知ってほしい
「観光」は「遊ぶ」だけでなく、意味のあることを学んだり体験したりする意味合いも含まれます。かつて刑務所があった米国サンフランシスコのアルカトラズ島は、極めて人気のある観光地です。いち観光客として訪れましたが、語り方も上手で、よくできているなと感じました。
そもそも私が歴史を研究しているのは、広く市民に「この歴史の重要性や意味合いを知ってほしい」と考えているからです。だからこそ、公の誰でも入れる観光地や博物館で、歴史がどのように伝えられているのかに興味があります。また、もし歴史の伝え方が変わっているところがあれば、その変遷についても調べたいと考えています。
ダークツーリズム概念は25年ほどで生まれた
ダークツーリズムはここ25年ほどで生まれた研究概念です。ただ、死者を悼んだり悲劇の歴史から何かを学んだりといった旅の行動自体は古くから、世界中でさかんにあったと思います。
――興味を持ったきっかけが、2015年にユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ申請だったのですね。
私は長年、日本の労働史を研究していました。この2015年に登録されるまでの議論では、明治時代の明るい産業革命だけが取り上げられ、戦時中の暗いエピソードは含まれておらず、負の部分がすっぽり抜け落ちていたんです。
もちろん23カ所は産業革命が起きたところでもありますが、過酷な労働条件のもとで、労働者が立ち上がってストライキをしたり、「人として認めてくれ」と経営者に訴えたりしてきた過去もあります。
――申請にあたっては、韓国が「徴用があった」と待ったをかけましたね。
日本政府は「朝鮮半島からの強制労働がなかった明治期に限って登録対象にしたい」という理屈を持ち出しました。
戦時中の徴用労働制度は、朝鮮半島からだけではなく日本人も対象だったとも反論しています。また、徴用労働制度自体は、戦時下で強制性はありましたが、違法ではなかったとも主張しています。
結局、日本側は「強制労働はあった」と認めるかたちになり、韓国側もそれで妥協して、申請が認められました。
ですが、私がネットで探した限り、産業革命遺産において「強制労働があった」という記述はほとんど見かけませんでした。
明るさや暗さが混ざる、歴史の面白さ
たとえば長崎の軍艦島は、35年ほど前のアメリカの公共テレビのドキュメンタリーで「過酷な労働条件」がフォーカスされ紹介されています。「タコ部屋」があり、逃げようとした労働者もいたが、島なので逃げられなかったことも紹介され、極めて「暗い歴史」です。私の軍艦島のイメージはこれだったので、世界遺産に申請したときの一方的な見せ方にはショックを受けました。
歴史は一色では語れません。明るさや暗さが混ざっているところに歴史の面白さがあると思っています。もちろん、世界遺産や産業遺産は、ダークだけではなく、いろんな側面があります。どう見せるべきなのか、それを研究したいと考えるようになりました。
――これから研究したいと考えているのはどんなことでしょうか?
複数の視点を取り入れる展示と語り方を可能にする条件とは何なのか。さらに、いろんな側面を紹介できる・できないという違いはどこにあるのか、というのを調べたいと思っています。
また、その場所が国境を越える「グローバルな注目」を集め始めるとき、どのような変化が起きるのかにも興味があります。ユネスコの世界遺産や文化遺産に登録された後、展示が変わったのかといったプロセスについて調べれば、ダークツーリズムという現象と可能性が理解できるのではないでしょうか。
――歴史をさまざまな側面から紹介するのに成功しているスポットはありますか?
まだ訪れたことはないのですが、教え子のJesus Solisの研究に北海道の『網走監獄・中央道路』があります。
博物館網走監獄(網走市)は、展示に戦争までの継続性があるといいます。中央道路をつくったあとに朝鮮半島から来た人も、労働者として使われたことを紹介するなど、複数の視点の紹介に成功しています。
また、福岡県の旧三井三池炭鉱では、1995年に開館した「大牟田市石炭産業科学館」が、石炭産業の技術面の明るさにふれながら、労働問題にもふれることに成功しています。
活発な労働争議を紹介したり、朝鮮人労働者が壁に書いた「望郷の落書き」を展示したり。さらに、サイトでは「捕虜問題の記述を増やしてほしい。朝鮮半島から徴用された人の絵が残されていて、胸に詰まった」という来館者の声も発信しています。
震災の遺構をどう残していくのか
――日本には自然災害の遺構も多くあります。ゴードンさんはライシャワー研究所にいた2011年、東日本大震災の直後に「日本災害DIGITALアーカイブ」を製作されています。
被災された人びとが記憶を共有したり、研究者がデジタル資料にアクセスしたりできるようにオープンしたものです。このアーカイブは、日本が大変な時に「とにかく何か貢献したい」と考えました。
その時は「悲しい記憶の継承」といったことまでは考えていませんでしたが、今ダークツーリズムに興味を持って、二つがドッキングしていこうとしているのは興味深いと思っています。
――被災の歴史をどう残していくのか、遺構を残すのかどうかについて、住民の意見は分かれています。
東日本の被災地を将来どのようにするかは活発な議論がされていますね。亡くなられた方々のいる遺構を残すと、そこを見るだけでつらい人もいる。一方で、残さないと街の犠牲者の記憶が残らない、という意見もあります。
「時間をおく」というやり方は賢明なのではないでしょうか。どう感じ方が変わるのかを待って、最終的に決めるのが正しいんじゃないかと思います。広島の原爆ドームは当初、「壊すべきだ」と言う人もいました。だんだんと「残そう」という地元のコンセンサスができて今に至っています。
例えば福島第一原発の周辺に記念碑をつくるべきか、博物館をつくるべきか。地元の意見は割れていると思います。10~30年ぐらい経てばコンセンサスが得られるのではないでしょうか。
日本への旅行者「リピーター」
――ダークツーリズムが注目されることで、日本にも影響はあるでしょうか?
日本を訪れる外国人旅行者の数は3000万人を突破しています。驚きました。きっとこれからも増えるでしょう。
そうなると「リピーター」も現れます。「これまでと同じ場所ではつまらない」という人たちがダークツーリズムスポットを訪れる可能性はあるでしょう。
昨年、視察で福島第一原発を訪れましたが、非常に興味深かったです。東京電力が廃炉作業を説明する「つくられた」ツアーではありましたが、原発構内はコンクリートで固めてあるため放射線量が低いといったことが見えてきました。
原発周辺をダークツーリズムスポットとする場合も、世界のみんなでこの先のエネルギーについて考えられるような場にできれば、多くの人が訪れるのではないでしょうか。
ただ、朝から晩まで悲劇の地を巡って悲しんでばかりいる……ということも難しいでしょう。あくまでも楽しい旅の中に、「少しまじめに考えてみる」とか、「ついでに訪れてみたら悲しい歴史にふれて驚いた」という要素を盛り込むのがダークツーリズムではないでしょうか。