「どうやったらよりよく生きることができるだろうか?」
「人生の目的とは?」
私はよく、このような、答えがなかなかみつからない抽象的な疑問を抱くことがあります。そもそも科学者には、そういう性(さが)があるのかもしれません。
そんな時、ナチスの強制収容所を瞑想することで生き抜いた経験を書いた、ヴィクトール・フランクルの著書『夜と霧』(英文タイトル:Man’s Search For Meaning 生きる意味を探す)がヒントをくれます。この本の中でフランクルは、意味・理由こそが私たちのこころの健康を維持し、いかなる状況でも生き抜くことができると述べています。
この本に書かれている普遍的なメッセージは、こころの健康状態や存在理由というものが、誰にとっても必要であるということです。私自身、故郷のロンドンから遠く離れた日本の沖縄で働くことで、自分自身の「意味」をよく考えるようになりました。慣れない新しい環境で心の平静を保つためにはどうしたらいいのか。その答えがこの本の中にきっと見つかると思い、職場である沖縄科学技術大学院大学(OIST)にある本棚でこの本がないかどうか探しました。
「がんじゅう」へようこそ
本棚は、OISTのカウンセリングオフィスである「がんじゅうサービス」の中にあります。 「がんじゅう」は沖縄の言葉で、強さや健康、あるいは幸福などを表します。OISTの研究チームは科学的な疑問を扱いますが、がんじゅうサービスのチームは、どうやってよりよく生きるかについての疑問を扱います。 そして、アイデアを行動に変える手助けをしてくれます。
「どんな仕事でもそうですが、アカデミックの世界で働くことは大変なことです。研究する上では、研究者はあらゆる事象に対して批判的な見方をすることを求められます。でもそれは恐らく、彼ら自身への見方にも及ぶ可能性があります」とがんじゅうで働く臨床心理学者ロレッタ先生は説明します。「ですから、研究者が健康を保つ上で、精神にとってよい習慣を築くということはとても重要なのです」
同じくがんじゅうで働くダレン先生も付け加えます。「これらのよい習慣は、研究者本人のみでなく、その周りの人にとっても重要です。私たちはさまざまな人を受け入れ、できるだけ多くの方法で支援しようとしています」
がんじゅうサービスでは、日英両言語で、一対一のセッション、グループ活動、ワークショップ、オンラインでの資料提供、そして豊富な本の貸し出しといった形で、OISTで働くスタッフとその家族を支援しています。私はこれを、こころの状態を良くするために必要な道具を提供してくれる「メンタルフィットネス」と捉えています。このメンタルフィットネスはOISTで中心的な役割を果たしており、私たちが自分の能力を最大限に発揮できるよう支援してくれています。
私が学生時代を過ごしたインペリアル・カレッジ・ロンドンでも、学生、スタッフ、そしてその家族らのために同様のセンターが運営されていました。このようなサービスはヨーロッパの有名大学では一般的なものです。一流の学術機関は、スタッフが一流の仕事をするためにメンタルフィットネスを置く価値を認めているからです。
仕事をしていると、私は時々、自分を忘れるほど夢中になることがあります。しかし、自分自身がどういう状態であるかを客観的に省みると、ものごとに対処する新たなよりよい方法を見つける手助けになることがあります。 私にとってがんじゅうは自分を省みる空間です。がんじゅうでダレン先生と少し話しをした後で仕事に戻れば、さらに集中することができます。このような空間を持つことは、私のようなサイエンスコミュニケーターにとっても、科学的知識を追求する研究者にとっても非常に有益なことでしょう。
では科学者には、がんじゅうサービスはどう受け止められているのでしょうか。フランス出身のOIST研究員、セッペ博士は、光と物質の相互作用を研究している物理学者で、OISTのメンタルフィットネスであるがんじゅうサービスを最も活用している研究者の一人です。 セッペ博士は、異文化の新しい環境で生活する我々共通の課題に加えて、科学者として働くには、ある種の強さが必要だと考えています。
「実験をしていると、計画どおりに物事が進まないこともあり、その理由がさっぱりわからない時もあります。そんなとき、自分自身に向かってついこう言ってしまうのです 。『私は間違っているんだろうか? 科学者としてダメなんじゃないだろうか?』。でも、こういう考えは、はっきりいって仕事の生産性を完全に妨害してしまいます。だから、がんじゅうサービスから有用なツールを学ぶことができて助かっています 。おかげで、もっと集中して自分の研究を行うことができますから」
ルーマニアからの留学生で理論物理学を研究しているアディは、セッペ博士と同様、がんじゅうのサービスから恩恵を受けていると言います。
「博士課程の学生は、こころの健康を崩しやすいという研究があるんです。それに、科学者として訓練されている批判的な考え方は、自分自身に向かうことがありますね。私たちみたいに、故郷や家族から一人離れ、海に囲まれたこんな小さな島の中にある小さな社会のOISTで生活していると、そういう傾向が強くなってしまうのでは、とも感じています」
「がんじゅうは、この小さな科学者コミュニティの中で失いがちな視点をもたらしてくれ、それが研究に向かうためのメンタルを鍛えてくれます」
もうひとつ大切なこと
がんじゅうのダレン先生は、「こころの健康が職場でのパフォーマンスと相関することがわかっていますが、実はそれには、家族、友人や社会とどのように関わっているかということも関係しています」と言います。
その言葉通り、がんじゅうは、みんなが周りの人々と関わることを勧めています。もともとOISTには、育児やリクリエーションサービスなどを通して、多様性を尊重する文化の中で皆が過ごしやすいコミュニティを作るという取り組みがありますが、その一つとして、週に一度、昼休みの時間にグループ瞑想を行っています。普段あまりお互いに話す機会のない研究者、学生、スタッフの間に新しい関係を作る場となっています。
「個人の幸福は、共同体にも影響します」とがんじゅうのロレッタ先生は言います。 「職場でのグループ活動は、スタッフの結束を強め、長く続く職場文化を作り出すのに役立ちます」
沖縄の長寿の秘訣から学ぶ
最近、OISTでは、他にもメンタルフィットネス機能を果たす活動がありました。沖縄長寿研究の権威である鈴木信博士がOISTを訪れ、講演をしてくださったのです。
鈴木博士は講演の中で、どのように長生きするかだけでなく、どのように健康的に暮らすかという点についてもお話しされました。
沖縄は、平均寿命が長い地域「ブルーゾーン」の一つとして世界でも知られています(他にはイタリア・サルディーニャ、ギリシャ・イカリア島、米国・ロマリンダ、コスタリカ・ニコヤ半島)。ブルーゾーンに共通する長寿の理由としてよく言われている気候や食べ物、「腹八分」についてはもちろんですが、さらに鈴木博士は「生きがい」、つまり、がんじゅうのサービスとフランクルの本に共通する、メンタルフィットネスの側面に焦点を当てました。
鈴木博士は、「精神的幸福」が長寿の鍵であると説き、自分自身の生きる理由を発見し、他者とつながる時間を大切にすることを勧め自分だけの「ブルーゾーン」を作ることができる。言い換えれば、特にブルーゾーンに住まわずとも、メンタルフィットネスを実践することでどこでも健康で長生きができるのだと話したのです。
これはまさに、がんじゅうが目指していることです。人々に幸福について考えること、そしてみんなと一緒に活動をすることを促すことで、自分のブルーゾーンを作り上げる手伝いをしていると言えます。忙しい毎日の中でも、バランスを保つことは可能です。このバランスが、究極的には仕事でも遊びでも私たちがよりよく活動することを助けてくれるのです。そして、がんじゅうのようなサービスが素晴らしいのは、誰でもどこでも実践できる方法をプロの心理学者が教えてくれることです。
さて、また金曜日がやってきました。いつもの研究者や新たに参加する学生らなどに混じってグループ瞑想をする日です。今週はロレッタ先生が瞑想を通して呼吸とつながる方法を教えてくれました。
靴を脱いで姿勢を正して座り、静かに目を閉じた私の耳にフランクルの本の一節が聞こえてきます。「意味さえあれば、人間はおよそどのような苦しみにも耐えられる」。それは、鈴木博士の言葉にも通じるものです。「精神的幸福がなければ、私たちはすぐに果ててしまう」