米アリゾナ州の医師エド・ドーリング(62)はエベレストの登頂が生涯の夢だった。数日前にその夢をかなえたのだが、山頂で見た光景にショックを受けた。
クライマーたちが自撮りをしようと、押し合いへし合いしていたのだ。エベレスト山頂の平らな部分は、ドーリングの見立てで卓球台二つ程度の広さだが、そこに15人から20人ほどが詰めかけていた。頂上に立つために彼は、数千フィートを見下ろす凍った岩の尾根で、膨らんだジャケットを着た人たちで数珠つなぎになった行列に何時間も並ばなければならなかった。
亡くなったばかりの女性の凍結遺体を避けながら通らなければならなかったことさえあった。
「恐ろしかった」とドーリング。ネパールの首都カトマンズのホテルの部屋でひと息ついていた彼は、電話取材に「そこは動物園のようだった」と語った。
今季はエベレストで少なくとも10人の死者が出ており、同山としては最悪の登山シーズンの一つになった。だが、少なくともその何人かは回避できたかもしれない死だった。
問題は雪崩や吹雪、強風といったことではなかった。ベテランの登山家や業界のリーダーたちが非難しているのは、全体としてあまりにも多くの人が入山したこと、そして特に経験の浅い登山者があまりにも多いことだ。
無責任な冒険会社が、訓練されていないクライマーたちの登山を請け負っている。そうしたクライマーは山ではみんなを危険にさらすことになる。経験豊富な登山家たちの間には、入山料稼ぎに貪欲なネパール政府がエベレストでの安全を確保できる範囲を超えた数の登山許可を出していると指摘する声もある。
加えて、エベレスト独特の魅力が、世界中で増えているスリルを追い求める人たちをひきつけているのだ。それに、アジア最貧国の一つでエベレスト登山の最大拠点でもあるネパールには、ずさんな規則や管理の不行き届き、汚職といった問題の長い歴史がある。
その揚げ句の果てが大混雑を招き、小説「Lord of the Flies」(訳題=英作家ウィリアム・ゴールディングの著作で、邦訳は「蠅の王」。飛行機事故に遭い、無人島で過ごすことになった英少年たちの物語)を彷彿とさせる無秩序だ。そこは標高2万9千フィート(8800メートル余)。高所では、1時間か2時間の遅れが生死を分ける可能性がある。
山頂に到達するために、登山家たちはどの登山用具もできる限り軽くして、登頂と下山に十分な圧縮酸素のキャニスター(容器)を持って行くのだ。登山家たちが言うには、そうした高所では頭が正常に働き難くなる。
シェルパ(ネパール人登山ガイド)や登山家たちによると、今年の(エベレストでの)犠牲者の何人かは頂上への最後の約1千フィート(約300メートル)地点で行列にはまってしまい、酸素補給が間に合う速さで登り下りできなかったことによる死だった。その他のケースは、そもそも登山に適していなかったためだ。
アイゼンの装着の仕方すら知らないクライマーもいた、とシェルパたちは言っている。アイゼンは、氷上での牽引力を高めるクリップ式のスパイクである。
ネパールにはエベレスト登山ができる人についての厳格なルールがなく、登山家たちはそれが災難の原因の一つだと言っている。
「鉄人レースに出場するには資格が必要だ。ニューヨークマラソンを走るには資格が必要だ」と著名なエベレスト年代史家で登山家のアラン・アーネットは言う。「それなのに、世界で一番高い山に登るのに資格は必要ないのか?おかしくないか?」
今季以前に10人かそれ以上の人がエベレストで亡くなったのは2015年で、雪崩の発生時に起きた。ある見方からすれば、エベレストが制御不能になった。
昨年、ちょっとした高山病でトレッカー(山地旅行者)を避難させて保険会社から数百万ドルをだまし取るという、登山ガイドやヘリコプター会社、病院による広範な陰謀事件が発覚した。ベテランの登山家と保険会社、報道機関が暴いた事件だ。
登山家たちは、エベレストでの盗難やゴミの山について苦情を訴えている。今年の初めには、政府の捜査官が、多くの登山家が使う救命酸素系統に関する大きな問題を暴露した。登山家たちの話だと、酸素が漏れたり、爆発したり、闇市場で不適切に詰めた酸素ボンベ(複数)が見つかったのだ。
安全上の問題でクレームが出ていたにもかかわらず、ネパール政府はエベレストの商業化推進策の一環として、今年は381件という記録的な数の登山許可を発給した。登山家たちによると、登山許可件数は年々増えており、今年のエベレストはこれまでを上回る混雑ぶりだった。
「この状況は改善しないだろう」と登山ガイドのルーカス・フルテンバッハは言う。ネパール側が過密になったことや経験の浅いクライマーたちが押し寄せるようになったため、彼は最近、拠点を中国側に移した。
「ネパール政府内にはたくさんの汚職がある」とフルテンバッハは言い、「彼らはとれるモノは何でもとる」と指摘した。
ネパールの当局者たちは不正行為を否定、登山の安全責任はトレッキング会社にあると反論した。
頂上へのレースは天候に左右される。山頂を目指す最適の時期は5月だが、それでも晴天で頂上を狙える風の穏やかな日はほんの数日しかない。
だが、ベテラン登山家が言うには、今年の重大な問題の一つは非常に多くのクライマーが同時に山頂を目指したことにあるらしい。高地に、交通整理の警察官がいるわけではないから、登山パーティーがいつ山頂を目指すかの決定は登山会社に委ねられている。
クライマーたちは、登山経験豊かな人もそうでない人も、頂上征服の思いに駆り立てられ、たとえ危険が増すとしても登り続けることが往々にしてある。
数十年前は、エベレストに登る人はおおむね経験が豊富で大金を払ってもいいという人たちだった。しかし最近は、ベテランの登山家たちによると、カトマンズの小さな店先で商売をする低コストの登山業者や、より高額だが安全面には配慮しない外国の登山会社が市場に参入し、誰彼かまわず登頂業務を請け負うと持ちかけている。
こうした登山は、時として大きな間違いをおかす。
何人かの登山家へのインタビューによると、登山パーティーは山頂が近づくにつれてプレッシャーが強まり、良識を失うケースもあるらしい。
最近のことだが、レバノン人の経験豊かな登山家Fatima Deryanがエベレストの山頂を目指していた時、彼女の前で、経験の浅い登山者たちが倒れ始めた。気温はマイナス30度にまで下がっていく。酸素ボンベの中身は少なくなりつつあった。ざっと150人ほどのクライマーたちが一緒に同じ安全路上に留め置かれた。
「多くの人がパニックになり、自分たちのことを心配し、倒れだしていた人たちのことに気を配る人は誰もいなかった」とDeryanは振り返る。
「それは倫理の問題だ」と彼女は言う。「みんな酸素を吸って生きている。あなたが(自分の酸素を分け与え)誰かを助けるとすれば、自分が死ぬだろうと計算する」
Deryanは、倒れかかっている何人かに手助けを申し出たが、自分自身が危険にさらされ始めていることを考えあわせ、現在2万9029フィート(8848メートル)とされる頂上に向かって登り続けたのだと言う。下山時もまた、クライマーたちの群れをすり抜けるために奮闘しなければならなかった。
「ぞっとした」。そう彼女は話していた。(抄訳)
(Kai Schultz, Jeffrey Gettleman, Mujib Mashal and Bhadra Sharma)©2019 The New York Times
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