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バイカル湖に押し寄せる中国人、地元住民との深い溝

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
バイカル湖畔の静かな暮らしにあこがれてサンクトペテルブルクからリストビャンカに越してきたアンドレイ・スハノフ(57)=2019年3月3日、Emile Ducke/©2019 The New York Times。ところが、中国人が押し寄せるようになり、「このまま放っておけば、あいつらにここを乗っ取られる」と憤る

自分が営むひなびたモーテルの最大の魅力は、バイカル湖への素晴らしい眺めだった。それが、隣で進む中国人のホテルの建設で台無しになってしまうことが分かると、アンドレイ・スハノフ(57)は実行を決断した。まず、ウォッカを一杯ひっかけた。次にチェーンソーをつかむと、工事現場に入り、建物を支えていた木の柱を8本切り倒した。

建物は倒れず、非難されることもなかった。むしろ、中国人に立ち向かった英雄としてもてはやされた。湖の周辺では、事業を始めようとする中国人のあの手この手の進出が続き、地元のロシア人の反感は怒りに変わっていた。中国人締め出しの署名運動や抗議活動、提訴が相次ぐ中で、この実力行使は、闘いの鬨(とき)の声をあげたのに等しかった。

「このまま放っておいたら、中国人に占領される」とスハノフは憤る。数十年前に、大都会のサンクトペテルブルクから、ここリストビャンカに越してきた。世界で最も深く、最大級の面積を誇るこの淡水湖のほとりで、田舎暮らしをすることに憧れてのことだった。それなのに、こんな事態になった。「あいつらがお金をすべてかすめ取り、地元には何も残らなくなってしまう」。

凍結したバイカル湖を走る観光客用の犬ぞり=2019年3月1日、Emile Ducke/©2019 The New York Times。後ろにあるのは、建設工事が中断したままのホテル

プーチン大統領は5年前、クリミア併合で西側との関係が悪化すると、中国に顔を向けた。貿易、外交から軍事協力にいたるまで、新たな最大の友好国として極めて緊密な関係を築き上げ、米国のグローバルな影響力に対抗した。

しかし、その中ロ新時代とは裏腹に、バイカル湖畔(こはん)のリゾート拠点となってきたリストビャンカでは、双方の間に抜き差しならない緊張関係が生じている。人口2122の村に、中国から押し寄せるようになった観光客と進み始めた関連事業の数々は、ロシア側では土地を奪いにきたという以前からの不安を一層かき立て、湖を汚染するとの懸念を強めた。

一方で地元当局は、観光客の増加自体は、開発が遅れたこの地域の振興を促し、新たな職場をつくる最善の兆候だと期待もする。

2018年に訪れた観光客は160万人以上。大半はロシア人だが、外国人では中国人の18万6200人が最も多く、前年比で37%も増えた(地元観光協会調べ)。モスクワからは空路で6時間もかかるが、北京からは2時間で済むこともあり、この傾向は今後も続くと見られている。

バイカル湖の氷の上に立つ中国人観光客=2019年3月5日、Emile Ducke/©2019 The New York Times

「中国の国力の方がはるかに力強く、その経済がロシアではありえないような数字を達成していることを住民はよく知っている」と地元メディア編集長のユーリ・プローニンは語る。「その熱い息遣いを、肌身で感じているのだから」

地球の地表にある淡水の20%近くをたたえるバイカル湖が、中国人に包囲されていると多くのロシア人は思っている。

松林に囲まれ、はるかに山々の頂を望む絵に描いたような風景は、夏だけでなく冬も観光客を引きつける。湖面は深い青色の分厚い氷で覆われ、トラックもその上を通れるようになる。しかし、リストビャンカのインフラは未発達で、今でさえ観光客が出す下水やゴミを処理するだけの能力がない。さらに、何万人もの中国人が増えたらどうなるのか。住民の不安は募る。

地元当局は、裁判に訴える作戦に出た。中国人の投資で建てられた10軒以上のホテルの所有者を相手に、違法建築物として提訴した。申請時の用途は1世帯用の建物なのに、これとは違うものを建てたなどとの理由があげられた。

19年の初めには、二つのホテルに対して地元の裁判所が取り壊しを命じた。残る訴訟も、同様の結論になりそうだ。

中国人批判は、地元の感情を無視したこうした事案にとどまらない。湖の水そのものを持っていこうとする計画が明らかになり、反発はロシア全土に広がった。

リストビャンカに近い村で、中国に水を輸出するためのボトリング工場の建設が進んでいることが、この冬に発覚した。たちまち、ネットで全国的な反対の署名運動が始まり、110万以上のロシア人が応じた。

この地方の中心都市イルクーツク(訳注=バイカル湖への交通の主要拠点でもある)の地方裁判所は19年3月、環境への影響を理由に工場の建設を差し止める判断を下した。

この地方の中心都市イルクーツクの宝石店には中国語の貼り紙があった=2019年2月28日、Emile Ducke/©2019 The New York Times。中国人観光客が増え、さびれていた中心街は息を吹き返した

地元住民にとって最も腹が立つのは、中国人が事業に手を出しながら、納税を避けていることだ。

「一銭たりとも払おうとしないんだから」と先のスハノフは息巻く。「本来の20%を納めれば、必要とされるインフラを整え、学校を建てることができるのに」

中国人の事業意欲と住民の板ばさみになっているのが、リストビャンカの村長アレクサンドル・A・シャムスディノフだ。

18年のほとんどは、自宅に軟禁された状況にあった。村長としての権限を超えて、数多くの1世帯用住宅の建築許可を中国人に出したと非難されたからだ。この許可に基づいて、違法な中国人観光客向けの宿泊施設の建設が、雨後の筍(たけのこ)のように始まった。

3階建てで、バルコニーが付いた寝室が14もある建物は、どう見ても普通の一戸建てではないと村長も認める。「『親類がたくさんいる。みんな来たがっているので、大きな家が必要』と異口同音に言われたんだ」

建築が進むにつれ、村も様変わりした。ドアや窓に昔ながらの飾りを施した、独特の趣がある青い木造コテージは、目立たぬ存在になった。代わって、中国語などの大きな広告看板が目を引くようになった。「ラスベガス・ストリップクラブ」といったものまで現れた。

村には整備された上下水道がなく、ゴミが山積みになった。脇道は未舗装のまま取り残され、古びた木造バラック同然の幼稚園の室内は、相変わらず水道設備もなかった。

「集落の周辺では、湖の水はもう飲まないことにしている」と環境保護に携わるマリーナ・リフワノワは嘆く。漏れ出た汚物が藻類の異常繁殖を招き、「病原菌のカクテルができている」。

元警察官の村長は、観光客と住民の双方の需要をバランスよく満たす開発計画を国が作るべきだと強調する。「誰もが、バイカル湖はロシアの真珠であり、ユネスコの世界遺産にも登録されていると声高にいうが、ゴミ処理を始めとする環境問題は、小さな村の村長任せにされている」

この村の北方にあるオリホン島も、バイカル湖観光の目玉だ。イェレーナ・コピロワは、もう25年もここで宿泊業を営んでいる。自宅の1室から始め、今では10棟のビルに32室を設けるまでになった。

オリホン島から望む景色=2019年3月5日、Emile Ducke/©2019 The New York Times

夏場は、予約でふさがっている。受け入れているのは、ロシア人ガイドを雇い、地元の車を利用する中国人団体客だけだ。

「若い人たちにとっては、これが主な収入源になっている」とコピロワは指摘し、「地元住民の利益をきちんと確保しなければ」と続けた。

バイカル湖を中国人はよく「北海」と呼ぶ。漢の時代にまでさかのぼる呼称で、これが地元住民の不評を買っている。中国人はひそかに、バイカル湖とその先にある広大な土地を取り戻そうとしているに違いないと確信しているロシア人もいる。1858年の条約(訳注=アイグン条約)で、当時の清朝がロシア帝国に認めた領土だ。中国側は、長らくこれを列強に余儀なくされた不平等条約の一つと見なしている。

凍ったバイカル湖の上を通ってオリホン島に観光客を運ぶ車=2019年3月3日、Emile Ducke/©2019 The New York Times

この地域にいる中国人といえば、かつてはイルクーツクにある上海市場で安物を売る貧しい行商人だった。それが今では、ルーブルの札束を手にする中国人観光客にとって代わった。おかげで、すっかりさびれていたイルクーツクの中心街カールマルクス通りは、息を吹き返した。

ある宝石店をのぞくと、金と琥珀(こはく)でできた6500ドル余のネックレスが売れていた。「1200ドル以上のお買い上げで、プレゼントを差し上げます」という中国語の表示が出ていた。

大半の中国人観光客は、ロシア側にそんな憤りがあるとも知らずに、バイカル湖観光を楽しんでいる。

中国南部から新婚旅行にやってきたカップルは、湖で採れた魚の軽食を小さな屋外市場で買い求めながら、「こんな寒さを体験したのは初めて」と幸せそうだった。

なぜ、ここを選んだのか尋ねると、スマホで中国の流行歌を聞かせてくれた。題名は「On the Shore of Lake Baikal(バイカル湖のほとりで)」。自分の恋人を連れてくる歌で、数え切れないほど多くの中国人を引き寄せるきっかけとなった。

中国生まれの実業家で、ロシア国籍を取得したアレクセイ・ジャオ(37)の口調は、このカップルとはかなり違った。

リストビャンカを見下ろす森に、2軒の大きな家を18年に建てた。「バイカルアザラシのゲストハウス」と名付けたが、もともとは個人の家として使うつもりだった。周辺の木々に少し変わった巣箱を取り付け、松の材木の香りがする居心地のよい部屋が並ぶ快適な複合施設に仕上げた。これを適法な建築物にしてもらうためなら、労を惜しまないとジャオは語る。しかし、建築許可は取り消されてしまい、遠からず取り壊されることになりそうだ。こうした物件を抱える中国人は、ブルドーザーがやってくる前になんとか売り抜けようと思案している。

「ここでは、もう穏やかにものごとを進めることができない」と唇をかむジャオは、モスクワに移る計画を立てている。「これだけ民族主義的な緊張が高まってはね」(抄訳)

(Neil MacFarquhar)©2019 The New York Times

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