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私はウィーンから証拠を持ち帰った 秘密作戦を指揮したモサド元最高幹部の証言

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元モサド副長官のラム・ベンバラク氏=渡辺丘撮影

■10年たって公表されたシリア空爆

昨年、モサドが関わったある秘密作戦がイスラエルメディアで大々的に報道された。モサド最高幹部としてこの作戦の中枢にいた人物に筆者は会い、モサドの活動の一端を明らかにする貴重な証言を得た。

イスラエル北部の緑豊かな集落に、ラム・ベンバラク(60)の自宅を訪ねた。かつてモサドの特殊作戦部門を率い、2009年~11年には副長官も務めた最高幹部の一人だ。モサドには長官の下に管理担当と秘密作戦担当の2人の副長官がおり、ベンバラク氏は秘密作戦担当の副長官だった。

2018年3月、イスラエル軍は10年半前にシリアの原子炉を空爆したことを公式に認め、地元メディアの報道を解禁した。イスラエル空軍の戦闘機が2007年9月5~6日の夜間、シリアの首都ダマスカス北東約450キロで完成間近の原子炉を空爆、破壊したとし、空爆時の映像や写真も公表した。当時の軍の指揮官は「イスラエルと地域全体への核の脅威を除去した。イスラエルの存在を脅かす能力の構築は許さないというメッセージだ」と述べた。イスラエルのネタニヤフ首相は「イスラエル政府、軍、モサド(情報機関)はシリアが核能力を開発することを妨げた」とたたえた。

シリアで空爆を受け、破壊された建物。米政府が公表した写真。撮影日不明=ロイター

イスラエルはどのようにしてこの原子炉の存在を知り、何が行われているかをつかんだのか。

イスラエルの有力紙ハアレツは、イスラエルと米国で作戦に関与した25人に取材した検証記事を掲載した。それによると、シリアの原子炉開発の情報は1990年代後半からあり、2003年末ごろからモサドや軍の情報部門が本格的な情報収集を始めた。

■決定的な証拠はウィーンから

衛星画像などの情報はあったが、決定的な証拠の一つが空爆に先立つこと半年前の2007年3月にもたらされた。当時の米高官への取材などに基づいて報じた米誌ニューヨーカーなどによると、シリア原子力委員会のトップだったイブラヒム・オスマンが滞在していたオーストリア・ウィーンのアパートに、モサドの特殊作戦要員が侵入し、オスマンのパソコンから機密情報を入手した。ちょうど国際原子力機関(IAEA)の会議に出席するためにオスマンが外出していた時間帯だった。

建物内部を写した30枚以上のカラー写真には、核兵器を製造可能なプルトニウム型原子炉や北朝鮮の作業員が映り、原子炉は北朝鮮の寧辺にある核関連施設と多くの共通点が浮かび上がった。イスラエルが軍事目的の原子炉と判断する重要な証拠となったという。

ハアレツ紙によると、ウィーンでの特殊作戦を実行したのは、Keshet(ケシェト)と呼ばれるモサドの秘密組織だった。当時、この組織の責任者を務めていたのがベンバラクだ。

私はベンバラクに「そのとき、あなたは何をしていたのか」と尋ねた。ベンバラクは開口一番、答えた。「私は証拠を持ち帰った一人だった」

「シリアで核開発がされているという情報は聞いていたが、確証はなかった。シリアの核保有は、イスラエルという国にとっては生死を分ける問題だ。シリアで核開発がされているのか、いないのか。我々は知らないとは言えなかった。証拠を持ち帰ることが必要だった」

「核開発計画を知りうる人を探して分かったのは、シリアの政権内にバシャール・アサド大統領を含めて5、6人しかいなかった。その一人がシリア原子力委員会のオスマン委員長だった」。モサドはそのような情報をどのように得て、人物の選定を進めたのか。ベンバラクは「一般論」と断った上で、「人は間違いを犯すものだ。我々の仕事の大部分は、その誤りを見つけることだ」とだけ言った。

オスマンのホテルの部屋に侵入し、パソコンから情報を入手したというウィーンの作戦の詳細を尋ねた。「報道されたことは事実かもしれないし、そうではないかもしれない」。はぐらかしつつも、こうも言った。「オスマン氏のことは非常によく知っているよ。言えるのは(証拠を持ち帰るまで)長い時間がかかったということだ。そして非常にうまくいった作戦だった。特殊作戦はジェームズ・ボンドの映画のようだが、現実は映画よりももっと想像力に富んでいる」

ベンバラクは米誌ニューヨーカーの報道がかなり核心を突いていることは認めた。「作戦自体はそれほど難しいものではなかった。日頃からよくやっているような、ありふれたものだった。問題はその情報がどこにあるのかを探り出すことだった」

元モサド副長官のラム・ベンバラク氏=渡辺丘撮影

■アメリカは共同作戦に二の足を踏んだ

こうして得られたシリアの原子炉に関する情報について、モサド長官(当時)のダガンは首相のオルメルトに報告し、軍事作戦の決行を求めた。オルメルトは、事実上の同盟国である米国の大統領ジョージ・W・ブッシュに説明し、米軍による軍事攻撃を要請。ブッシュ政権はイスラエルとの共同作戦を検討したが断念したとされる。2003年イラク戦争開戦の根拠となった「イラクの大量破壊兵器保有」の情報は誤っていた。ブッシュ政権は、インテリジェンス(情報収集・分析活動)の誤謬(ごびゅう)を恐れたとも言われている。

結局、イスラエルは単独でシリアの原子炉空爆に踏み切った。約半年後の2008年4月、米政府は、「空爆された施設はシリアが北朝鮮の支援を受けて秘密裏に建設中の原子炉だった」と発表した。国際原子力機関(IAEA)は11年の報告書で、北朝鮮の原子炉と酷似していると指摘した。一方、シリア側は空爆を非難したが、原子炉だったことは否定している。

ゴラン高原で隣接するシリア南部地域の警戒にあたるイスラエルの兵士たち=村山祐介撮影

空爆から10年以上が経った。イスラエルはイランの核開発を安全保障上の脅威とみなし、軍事行動を起こす懸念は常に消えることがない。イランの核開発を抑えるための国際合意の枠組みからトランプ米政権は離脱し、合意の存続が危ぶまれている。一方、北朝鮮をめぐっては、歴史的な米朝首脳会談後も非核化の具体的な道筋は見えていない。そうした国際情勢下で、今もイスラエルを含む関係国の情報戦が水面下で行われている。

■短期集中連載「イスラエル情報機関「モサド」の素顔に迫る」