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カンボジアのタクシー運転手強盗殺人事件で聞いた「犯人は日本人のはずがない」の意味

トッケイ7回鳴いたかな。 更新日: 公開日:
殺害されたヒム・チャンさんの遺影の向こうで、無邪気に遊ぶ4歳の末っ子=シェムリアップで小市琢磨さん撮影

3月17日、カンボジア北西部シェムリアップ州で、タクシーの強盗殺人事件が起きた。日本人の若者2人が、乗り込んだタクシーを奪おうとして、40歳の運転手を殺害した事件だった。運転手ののどをナイフで切り、その体を路上に捨てて逃げようとした、という残忍な手口だった。

地元紙の報道によれば、容疑者2人はともに23歳の男で、3月12日にタイに到着。その後、3月16日にシェムリアップに移動した。2人はここで車を略奪しようと計画したが、地元警察によれば、「あちらこちらに防犯カメラがあり、うまくいかなかった」。

そこで17日、彼らはシェムリアップを出て、タイ国境のバンテアイミエンチェイ州へと向かう。都市部であるシェムリアップよりも、略奪しやすいと考えたのか。彼らは、午後5時ごろ、30米ドル(約3300円)で、今回犠牲となったヒム・チャンさんのタクシーを雇い、移動を始めた。

30分も走らないうちに、車は人気のない地域へとさしかかった。そのとき、2人は車を止めるように告げ、ヒム・チャンさんをナイフで襲った。警察によれば、ヒム・チャンさんはほぼ即死。彼らはその体を道端に投げ捨て、車を奪った。しかし、車は300メートルほど走ったところで、村人のトラックに衝突。駆け付けた警察官が、逃げようとする2人を逮捕したという。

事件直後から、フェイスブックには、地面にねじ伏せられた2人の容疑者の写真や、パスポート写真が出回った。確かに、日本のパスポートだった。

だが、容疑者の「国籍」情報は錯そうした。彼らは日本人ではない、日本のパスポートを持った別の国の人間だ、という話が出回ったのだ。そこにあったのは、「日本人が、こんな理不尽で残忍な事件を起こすはずがない」と、いうカンボジア社会の日本人に対する信頼や親愛の情だった。それだけに、事件が日本人によるものだ、と確定したときの衝撃は大きかった。シェムリアップに住むカンボジア人の友人は、「わたしの周りでも、日本人であるはずがない、とみんな言っていた。日本人が犯人だと分かり、ほんとうにびっくりした」と、話した。

日本人が海外で罪を犯すことは、珍しいことではなくなった。しかし、カンボジアでは「まさか日本人がするはずがない」と、思われる。これだけ明白な事実が報道されても、「あれは日本人ではない」という人がいる。私は、そのことに驚いた。

この国に住む日本人として、その信頼に心打たれたことを伝えたい、と思った。でも何ができるのか。考えあぐねているところに、同じ在住日本人の友人である小市琢磨さんから連絡がきた。「被害者遺族のために、募金をしたいが、どう思うか。日本人がこれまでこの国で積み重ねてきた信頼をこんな事件で台無しにされたくない」。私は正直、迷った。犯罪被害者は彼らだけではない、ということ。これからも日本人の犯罪が起きたら支援を求められることにはならないか、ということ。この方法には賛否両論があるだろう。けれど、これはこの国に住む日本人が声を上げなくてはいけない、と思った。なによりもまず、被害者遺族を少しでも助けることになるのであれば……。そんな思いで、事件から2日後の3月19日、有志による募金活動を始めた。シェムリアップ在住の楠見敦美さんも呼びかけ人に加わった。

寄付金をお渡しする前にお参りに行った私たちを見送るヒム・チャンさんの遺族。右端が奥様=シェムリアップで、木村撮影

最初は身のまわりの人たちから数千ドル程度を集めて、お葬式や借入金の一部に充ててもらえば、と考えていた。しかし、フェイスブックページを立ち上げると、次々に情報が拡散され、知人以外からも寄付の申し出が相次いだ。募金箱を置いてくれる日系の店舗もあった。その勢いに、私たちはただただ、驚いてしまった。

みんな、ショックを受けていたのだ。公共交通機関がほとんどないカンボジアでは、タクシーは日本のように「ぜいたく」な乗り物ではない。タクシー運転手が、大金など持っているはずがない。車だって借金をして買ったに違いない。そんなこと、カンボジアを知っている人ならばだれでも想像できる。だが、罪を犯した2人の若者には、カンボジアという国に関する正しい情報も、想像力も圧倒的に欠けていた。

自分たちの見ているカンボジアの姿が、この2人の若者たちには、まったく見えていない。情報があふれているように見える時代に、闇のように深い、情報の溝が同じ日本人の間に存在する。カンボジアにかかわった日本人たちが、この事件で衝撃を受けたのは、そんな理由もあったのではないだろうか。

募金は、カンボジア国内にとどまらず、日本からも次々に寄せられ、参加者は300人を超えた。3月31日の申し出分までで締め切ったが、金額は想定よりもはるかに大きくなり、遺族への「渡し方」に配慮が必要になった。大金を一気に渡して、遺族の生活がかえって崩れてしまわないか。周囲からねたまれ、余計傷ついたり、危険な目にあったりすることにならないか。私たち以外にも、シェムリアップを本拠とする日系のサッカーチーム、在カンボジア日本国大使館、民間の日本人有志や元日本留学生の団体からすでに100万円以上が手渡されていた。

私たちは、まず弁護士に監査役を依頼し、続いて「渡し方」についてカンボジア日本人会に判断をゆだねることにした。個人の判断ではなく、日本人会に集まるさまざまな知識と経験とで、最適な方法を探ってもらおうと考えた。遺された家族の将来の生活も支えることができるように、一時金だけでなく、長期にわたって渡していく方法も合わせて、現在検討している。被害者遺族への支援は、子供たちが成長するまでの長期にわたるものになる可能性が高い。

4月8日、私たちは被害者遺族のもとを訪れた。事件からまだ3週間、ほんとうは訪問も躊躇した。日本人が訪れることで、遺族の気持ちを傷つけることにならないか、と。家族は私たちを迎え入れてくれた。お参りもさせてくれた。しかし、その表情は終始固く、持って行き場のない憤りと深い悲しみを感じた。

がらんとした家に、一家を支えたはずの主の遺影が置いてあった。遺された家族は、38歳の奥様と、19歳、14歳、8歳、4歳の子供たち。そのうち一人には障害がある。タクシーの車両は3か月前に15,000ドル(約165万円)の借金をして購入したばかりだった。そのほかに生活資金として1,000ドル(約11万円)の借金がある。いまも月に500ドル(55,000円)の返済をしなくてはならないが、仕事は、妻が調味料や食品を細々と販売するだけ。主をなくし、とても返済する余裕はないだろう。

寄付金と集まった日本人の気持ちは、いずれこの家族に届けられる。暮らしの不安は一時的には軽減されるだろう。帰り際、見送る奥様に少しだけ笑顔が見えたのが救いだった。けれど、何よりも大切なご主人は戻らない。命は取り返せない。募金件数が増えれば増えるほど、その虚しさが苦しい。

ただ、何もしなければ後悔しただろうと思う。

カンボジアにおける存在感のある外国といえば、いまや中国である。政府間援助も民間投資も訪問観光客数も、日本は中国に抜かれ、町は中国化している。それでもこの国の人々が「親日」であることを、皮肉にもこの事件がくっきりと浮き彫りにした。人として信じてくれていることを、感じた。お金では買えない絆があることを、改めて教えてくれた。「日本人のはずがない」。そう思ってくれたカンボジアの人たち。私たち一人ひとりが襟を正してこの国に住まわなくてはいけない。