日本でも大きく報道されたように、3月1日、韓国は1919年に起こった3・1独立運動から100周年を迎えた。植民地朝鮮の人々が日本からの独立を宣言し、全国で「万歳」を叫んだ運動だ。この万歳デモを先導したとされる人物の一人は、女性独立運動家の柳寛順(ユ・グァンスン)。ソウルで始まった運動を地方に広げるのに貢献したとされる。100周年の今年は、柳を主人公にした映画「抗拒:柳寛順物語」(チョ・ミンホ監督)が公開されるなど、特に関心を集めている。
2月、日本から旅行に来た一行のガイドを頼まれた。一行の中には韓国が初めてという人も何人かいて、朝鮮王朝の王宮、景福宮(キョンボックン)やソウルタワーなど、代表的な観光地を勧めてみたが、あまり反応がなかったので、「今年は3・1運動100周年なので、西大門刑務所というのはどうか」と恐る恐る提案してみると、ぜひ行ってみたいという人がいた。
西大門刑務所は、万歳デモの参加者が多数収監されたことで知られる。そのうちの一人が柳寛順で、獄死したとされる。現在の正式名称は、西大門刑務所歴史館。赤レンガの外壁は、映画やドラマの撮影にもよく使われる。「抗拒」の舞台も、メインは西大門刑務所だ。塀の中は資料館となっていて、3・1運動や軍事政権下の民主化運動で収監された人たちの歴史が分かる。拷問の様子なども生々しく展示されていて、最初に見た時はかなりショックだった。やや不安な気持ちを抱えながら、一行を案内した。
西大門刑務所の前に立ち、その歴史を説明しようと、「西大門刑務所は1910年の日韓併合の少し前にできた…」と話し始めたところで、一行の一人に「日韓併合って何だっけ」と、想定外の質問を受けた。韓国に興味を持って韓国に住んでいる私は、一般の日本人に比べると韓国について知っている方だとは思うが、日韓併合を知らないというのには、絶句してしまった。どこから説明すればいいのだろう。これはもう、見て感じてもらうだけでいいのかもしれないと思い直して、説明は最小限にとどめた。
1910年の日韓併合から1945年の終戦まで、日本は朝鮮を統治した。3・1運動のみならず、その間多くの独立運動家たちが日本の支配に抵抗し、収監された。西大門刑務所歴史館には、それが一目で分かる部屋があった。四方の壁いっぱいに、独立運動に関わって収監された人たちの写真がはられた部屋だ。日本からの一行は、「こんなにたくさん…」と、圧倒されていた。
よく見ると、その中には若い女性の写真が多いのが分かる。柳寛順も当時10代だった。監房には、柳の写真入りポスターがはってあった。「2019 1月の独立運動家」と書かれている。100周年の今年は毎月、「今月の独立運動家」が選定されるが、最初に選ばれたのが、柳寛順だった。
映画「抗拒」にも、柳と共に収監された女性独立運動家たちが登場する。自分も男性のように独立運動をしたいと、釈放後は上海の大韓民国臨時政府に向かう女性も描かれた。実際、3・1運動の起こった翌月に臨時政府が樹立され、独立運動家たちの活動拠点となっていく。
映画では、刑務所の中でも柳が主導して受刑者たちが万歳を叫ぶ。反抗的な態度の柳は特に厳しい拷問を受け、棺桶を縦にしたような木箱に立ったまま閉じ込められるシーンがあるが、これは西大門刑務所歴史館にもあった。こんなところに閉じ込められたら誰でも発狂しそうだと思ったが、映画の中の柳はそれでも意志を曲げない。
「柳については史実はよく分からない」と言う専門家もいて、どの程度史実に基づいた映画なのかは定かでないが、獄死した柳に代わって、釈放された女性たちが独立運動を続ける、という余韻を残して終わった。何が柳を含む若き女性たちを命がけの運動に駆り立てたのか。もっと知りたい、と思わせる作品だった。