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サウジアラビア女性が国外逃亡図る理由 イスラムの厳格さ、虐待、隷属強いられる制度

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
サウジアラビア・ダンマームで運転講習を受ける女性=2018年6月17日、Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times

父に殴られたり、言うことを聞かないからと手や足を縛られたりするたび、10代の娘は、サウジアラビアから逃げ出すことばかり夢見ていた、と言った。

しかし、何が何でも国を出ようとすると、いつも同じ問題にぶち当たった。いったい、どうすれば出られるのか?

サウジ国内で逃げ出しても、警察に捕まって家に連れ戻されるだけだ。それはごめんだ。といって、父親の許可なく海外に出るのはサウジの法律で禁じられている。

八方ふさがりの中、Shahad al-Muhaimeedは17歳の時、家族とのトルコ旅行を絶好の機会ととらえた。彼女はトルコ滞在中に脱兎(だっと)のごとく逃げ出した。

家族が寝ている時にそっと部屋を出て、タクシーでジョージア(グルジア)国境まで行き、自分は難民だと告げた。そうしてサウジに決別し、新たな人生を歩み始めた。

「今、私は思うように生きている」

19歳になったMuhaimeedはスウェーデンの新たな住まいから電話で語ってくれた。「女性の権利が確保されているところで暮らしている」と。

2019年1月初め、もう一人のサウジの10代の女性ラハフ・ムハンマド・クヌンがオーストラリアへ亡命しようとして経由地のタイの空港で留め置かれた。

彼女の逃亡劇後、サウジ女性についての国際的な関心が高まった。

クヌンはツイッターで苦境を訴え、それが世界中に広がった。1月9日、国連(国連難民高等弁務官事務所=UNHCR)は彼女を難民に認定。同11日、彼女はカナダに向かった。

タイのスワンナプーム空港内を入管職員やUNHCRの職員に付き添われてゆくラハフ・ムハンマド・クヌン。タイ入管当局提供=Thai Immigration Bureau via The New York Times/©2019 The New York Times

サウジアラビアから女性たちが逃げ出そうとしている。それは格別新しい事態でもない。1970年代にサウジのプリンセス(訳注=サウド王家の女性)が恋人と国外逃亡を図って当局に捕まった。2人は婚外交渉の罪で裁判にかけられて処刑され、世界中の注目を集めた。

それでも多くの若いサウジ女性が大きな危険を冒してまで国外脱出を企てるようになったのはここ数年のこと、と人権団体は話している。社会的にも法的にも束縛され、不満を募らせている女性が、ソーシャルメディアを使って脱出の支援を求めるようになったのだ。

「15年前ならそうした女性の声は届きもしなかったが、今では届ける手段を手にしている」と国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)のサウジアラビア研究員アダム・クーグルは語った。

ひそかにサウジを出て、米国、その他の国に旅行し、そこで亡命申請をする女性もいる。ただし、うまくいくとは限らない。

2017年、トルコで身柄を拘束されたAshwaq(31)とAreej(29)のHamoud姉妹はそれぞれ、当局の本国送還命令に対して裁判闘争中だ。彼女たちは、もし送還されたら命の危険にさらされると訴えている。

クヌンのようにツイッターが奏功してうまく脱出できた女性もいるが、世界が注目したからといって本国送還を免れるという保証はどこにもない。

やはり2017年のことだが、Dina Ali Lasloom(24)は経由地のフィリピンで留め置かれた後、視聴率の高いオンラインのビデオを通して救いを求めた。しかし、彼女は家族が到着するまで空港に留め置かれ、サウジに連れ戻された。その後どうなったのかは不明だ。

サウジアラビアの首都リヤドで日没時の祈りをする家族=2017年10月29日、Tasneem Alsultan/©2019 The New York Times

サウジを脱出した女性は連れ戻そうとする家族と闘うだけではすまない。財政力豊かなサウジ政府の大掛かりな捜索にも立ち向かわなければならない。

政府は、地元外交官にまで根回しをして本国に送り返そうとすることもある。本国に送還された女性は親に対する不服従、あるいはサウジの評判をおとしめたとして罪に問われ得る。

「サウジの女性は今なお、国家の所有物として扱われている」とMoudi Aljohaniは言った。彼女は学生として米国に渡り、亡命を申請した。「女性の政治的見解がどうのこうのという問題ではない。彼ら(家族や国家)は女性を追跡し、力ずくで連れ戻す」とも語った。

サウジの女性が脱出する方法はさまざまだが、脱出に成功した5人の女性にインタビューしてみると、いくつか共通のテーマがあった。

多くは、以前に逃げ出した女性や脱出を考えている女性たちとプライベートチャットで計画を練っていた。たとえば、クヌンは家族と一緒にクウェートにいた時に脱出した。

だが、その数カ月前、友人の女性がサウジを逃げ出し、難民としてオーストラリアにたどり着いていた。友人は脱出について、チャットでクヌンに助言していた。

また、休暇旅行先としてサウジアラビア国民に人気のあるトルコから、ビザなしで入国できるジョージアに逃げる女性も多い。

さらに、脱出先として多くの女性が目指すのは、オーストラリアだった。というのも、オンラインでビザ申請ができるからで、外国大使館に行けない女性たちにとって、それが唯一の選択肢なのだ。

サウジを逃げ出す理由について、何人かの女性は男性親族による虐待を挙げた。

また、同国内では女性を守ったり、女性が公正を訴えたりできるような場所が一つもない点を挙げる人もいた。それ以外は、服装や仕事や交際相手まで規制しているサウジの厳格なイスラムの教えから逃れたかった、としている。

そしてインタビューした全員が口にしたのは、女性親族を男性の従属下に置くという同国の後見人制度で、彼女たちはこの制度から逃れたかった、と語った。

「サウジアラビアから私たちを逃亡させたのは、男たちによる後見人制度だった」とスウェーデンにいるMuhaimeedも断言した。「それこそ女性たちが逃げ出す最大の理由です」と。

サウジでは、すべての女性は男性の後見人を持つよう求められる。結婚するにも、旅行するにも、手術をするときにも、後見人の許可が必要になる。後見人は父親や夫である場合が多いが、兄弟や息子がなることもある。

同国の日常生活の決まりは皇太子ムハンマド・ビン・サルマンが決める。彼はサウジ女性の待遇改善を約束し、不適切な服装をしているとみなした女性を取り締まる恐怖の的だった宗教警察の権限を無力化した。

2018年には、女性の運転禁止も解除した。サウジ女性は男女混合のコンサートに出席することができ、母親たちにはできない仕事までできるようになった。

やはり2018年のことだが、男性による後見人制度に関する法律について問われると、皇太子は「家族、そして我々の文化を傷つけることのないような方策を見つけ出さないといけない」と述べた。

こうした皇太子の言動はサウジ女性からの人気を高めている。多くの女性は、男性親族が女性たちの面倒をよく見てくれるので、後見人制度は重荷ではないと話している。

一方で、社会的な規則がより緩やかなアラブ首長国連邦(UAE)といった隣国などで仕事を見つけ、サウジの厳しい規則から逃れる女性もいる。

とはいえ、それで女性を管理したり暴力的だったりする後見人がいなくなる保証はない、とこの社会制度を批判する人たちは言う。

だからこそNourah(20)もオーストラリアに脱出したのだ。彼女の父親はNourahが生まれる前に母と離婚した。彼女は生まれてからほとんど叔父たちに育てられた、と言った。父親は時々彼女を虐待したが、助けを求めても誰も聞いてくれなかった。

2018年、ボーイフレンドが彼女と結婚したいと言うと、彼女の家族は彼の出身階級が低いと言って拒否した、と彼女は打ち明けた。

Nourahが姓を名乗らなかったのも、身の安全上の理由からだった。父親は、彼女の知らない男性と結婚させようとしていた。男性は妻が働くのを禁止したがっていた。2018年10月、新郎となるはずのその男性が到着する1日前、彼女は逃げ出したのだった。

逃げるにあたって、Nourahは父親の電話を使って旅行許可を出させ、政府からの父親への通知を不能にしてトルコに飛んだ。そこからジョージアに入国しUAE経由オーストラリア行きの切符を買った。経由地でUAE政府当局に捕まり、サウジに送還させられるのではないか、と恐れながら。

「私にとっては特攻作戦だった。でも、それしか方法がなかった」と彼女は言った。彼女はしかし、無事に乗り継ぎ、シドニーに着くと亡命を申請した。

人権団体は、女性たちがひどい状況から脱出したがることは理解している。しかし、それが女性たちを危険に追い込むことを恐れてもいる。

「脱出に成功したわずかな女性たちの陰に、失敗して送り返され、ひどい目にあう女性たちがたくさんいる」。HRWのクーグルはそう語った。

クヌンは監視下に置かれたバンコクのホテルで、亡命を受け入れてくれる国があるだろうかと思案していた。そのホテルから、彼女は新たな人生について話してくれた。大学に行って英語をもっと習い、建築の勉強をしたい、と。

これまで行ったこともない国での生活は簡単なことではない、しかし悔いはない。「逃げ出すこと。それしか方法はなかった」。彼女はそう言った。(抄訳)

(Ben Hubbard and Richard C. Paddock)©2019 The New York Times

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