色づきはじめた木立の中を走り抜けると、周囲の景色と不釣り合いな巨大な金属製のゲートが現れた。気づけば私の車の後ろをパトカーがずっとついてきている。車を降りて「写真を撮りたい」と話しかけると、女性の警官が「ここではダメ。道路の向こう側から撮るように」と告げられた。
10月半ば、米東部コネティカット州の人口3万人ほどの町ニュータウンには、どことなく張り詰めた雰囲気が漂っていた。比較的、裕福な住民が多く、凶悪犯罪はめったにない。しかし、この町のサンディーフック小学校が、2012年12月14日に低学年の児童20人と校長を含む教職員ら6人が犠牲になった銃撃事件の現場だと思えば、少しは納得がいく。
事件後、惨劇があった校舎は取り壊され、木の外壁に囲まれたしゃれた新校舎が今年はじめに完成した。強化ガラスの大きな窓は、陽光をふんだんに取り込んで明るいムードを醸し出すのと、外から不審者が侵入した時にすぐに気づくためだという。
事件を起こしたのは、この町に暮らし、かつてサンディーフック小学校に通っていた20歳の青年だった。2人暮らしだった母親を自宅で射殺し、半自動式ライフルなど4丁の銃を持って母校に乗り込んで乱射、その場で自ら頭を撃って自殺した。
遺書など動機をうかがわせるものはなかった。当時の記事をみると、青年には精神面で問題があり、普通の人付き合いができなかった、とある。母親が銃の愛好家で、息子に自立心を持ってもらおうと、一緒に射撃場に行っていた。犯行に使われた銃と銃弾は、母親が正規の手続きで購入したものだった。
それにしても、あれから6年たったというのに、ただならぬこの緊張感はなんだろう。
小学校のゲートは日中、堅く閉ざされている。こうした惨劇があると、犠牲者を悼むメモリアルなどの施設がつくられるものだが、ニュータウンでは、計画はあるものの、まだ実現してはいないという。
多くの住民が、あえて事件を思い出さないよう心を閉ざしているようにも感じる。それは、かけがえのない幼い命を無残に奪われたというトラウマ、いったいなぜ彼らが犠牲にならなければならなかったのかという割り切れなさばかりではないだろう。
「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」(アメリカ合衆国憲法修正第2条)
アメリカで市民が銃を所持することを正当化する憲法の条項だ。
これだけ多くの銃にまつわる惨劇があっても、これがあるためにアメリカ人は銃を捨てられない。それどころか、毎回、銃規制をめぐり激しい賛否の対立が起きる。
事件で最愛の子を失ってしまった家族と、生き残った家族の間に横たわる微妙な溝。それに加えて「銃」をめぐる論争がもたらす地域社会の分断。そうしたものへの恐れから、多くの住民が6年前の惨劇を「封印」してきたのではないか。
そんなニュータウンの町に、この春、「風」が吹いた。
地元の高校生を中心に、銃規制の強化を求める活動をしている「ジュニア・ニュータウン・アクション・アライアンス」という若者のグループがある。
以前は例会に集まるのは良くて15人。「たった5人しか現れない時もあった」と会長のトミー・マレー(17)はいう。それが3月の例会には60人以上が集まった。
「パークランドの仲間たちに肩を押された。『自分たちも、動かねば』と」
2月14日、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校に男が押し入り、銃を乱射。生徒ら17人が亡くなった。パークランドも人口約3万人の落ち着いた住宅街だ。
事件の直後からこの高校の生徒たちがソーシャルメディアなどで自らの体験などの発信をはじめた。銃規制を求める若者の声がたちまち米国中にうねりとなって広がった。
パークランドから約2千キロ離れたニュータウンの高校生たちも、これに呼応した。事件1カ月後の3月14日、高校生たちが授業をボイコットして校舎の外に出て銃社会に抗議の声を上げる「ウォークアウト」にも大勢が参加した。
「全校生徒の半分はウォークアウトに加わったんじゃないかな」と「アライアンス」メンバーのイザベラ・ウェークマン(17)はいう。
長らく「眠っていた」ニュータウンの町が、目覚めた瞬間だった。
パークランドの高校生は銃撃の最中、学校内の物陰に身を潜めながら、起きていることをスマホで発信したり、家族や友人に「別れ」のメッセージを送ったりしていた。トミーは、その全身が凍り付くような体験に覚えがある。
あの日、トミーは中学生だった。体育室にいたとき、突然、教室内に逃げて内側から鍵をかけるよう呼びかける「ロックダウン」の警報が鳴った。最初は「訓練(ドリル)」だと思った。でも30分がたってもロックダウンは解除されない。「何かまずいことが起きたのだろうか」。だんだん心細くなった。校長のアナウンスがあった。「サンディーフック小学校で事件がありました」。それ以上のくわしい説明はなかった。
それが町で未曽有の惨事と知ったのは、ロックダウンが解除されて後、自宅に帰されてからだった。前年まで通っていたサンディーフック小学校で大勢の児童が亡くなっていた。犠牲者の中には、自分が通っていたときの校長、クラス副担任だった教師、カウンセラー――。なじみの名前がたくさんあった。
輪をかけてショックだったのは、容疑者が自宅近くに住んでいたことだった。顔見知りではなかったが、ハロウィーンの時には子どもたちがお菓子をもらいに家々を回るエリアだった。それを知ると身震いがした。
やはり中学生だったイザベラもロックダウンを経験した。サンディーフック小学校の卒業生ではなかったが、帰宅してテレビで惨劇を知り、「いったい何が起きたのか、さっぱり理解ができなかった。悲しいとか、怒りとかいうのではない。なぜ? どうしてこんなことがこの町で起きたの、という感情だけ」。心がかき乱され、何も考えられなかった、という。
トミーの母親のポー・マレーら、一部の親たちがさっそく立ち上がった。
「ともかく何かをしなければ、心が押しつぶされると思った」とポーはいう。「銃所持に関する法律を変えなければ。まずはコネティカットで、それから全米レベルで」
政治にかかわる活動に加わるのはポーにとって初めての体験だった。幼いころに家族と韓国から移民として米国に渡り、東部バーモント州で育った。狩猟が盛んな土地柄で、そこで出会った夫も狩猟用のライフルを持っていた。銃犯罪は必ずしも多くなかったが、銃を用いた自殺は多かった。実際、義理の妹のボーイフレンドも銃で自らの命を絶った。
身近な場所で銃撃事件が起きて、初めて強い怒りがわいた。なぜ、戦争で用いるような銃を一般市民でも入手できるの? なんで銃購入時の身元確認用のデータベースが州ごとにバラバラなの? 個人間の取引や銃見本市での購入などには身元確認が義務づけられないなど抜け穴が放置されているのはどうして?
年が明けて2013年3月、ポーやトミー、イザベラらニュータウンの親や子供たちを乗せた貸し切りバスが首都ワシントンに向かった。民主党や共和党の連邦議員に陳情するためだ。いらい折に触れて、バスがニュータウンとワシントンの間を往復することになる。
殺傷力の強い攻撃用の銃を規制してほしい。すべての銃購入にあたって身元照会制度を義務づけてほしい――。
涙を浮かべて話を聞いてくれる議員もいた。オバマ政権も規制の強化に前向きだった。「最初のころは、私たちは親たちに連れて行かれた。でもそのうち、私たちが世の中を良くしなければ、という使命感がわいてきた」とイザベラ。
だが、政治の壁は厚かった。
地元コネティカット州をはじめ、民主党が優勢ないくつかの州では銃規制を強化する法令ができた。だが、ワシントンの政治家たちの腰は重かった。
「私たちはひたすら懇願した。彼らは一応、耳を傾けるふりはした。でも動かなかった。多くの議員が全米ライフル協会(NRA)など銃ロビーからお金をもらっていたから」
一方、警備ばかりがますます厳しくなった。銃を携帯した元警察官が警備要員として学校に配備された。学校でのロックダウンの訓練はほぼ毎月のようにある。
「彼らはロックダウン・ジェネレーション(世代)ね」。そうポーはため息をつく。
トランプ大統領は、銃規制よりも、銃撃犯にすぐに対応できるよう教師に武器を携帯させるアイデアに前向きだ。
「私が話した先生たちはみな反対している。誤って自分の教え子に銃を向けることになるかもしれないし、学校に保管されている銃が何者かに奪われるかもしれない」とイザベラはいう。
「壁」は身近なところにもあった。
銃規制を求める親や子供の活動を好まない住民がいることは彼らも感づいていた。子供や知人が銃撃事件に巻き込まれたにもかかわらず、陳情活動への参加を拒む家族も少なくなかった。中学や高校でも、校内では銃の問題について表だって話すのがはばかれる雰囲気があった。
ニュータウンには「全米シューティングスポーツ基金」という名称の団体の本部がある。銃や銃弾など関連メーカーがつくる団体で、NRAと同様に、銃規制に反対するロビー活動を繰り広げていた。その影響力をいたるところで感じた。だが、この問題に消極的な反応を示す大人たちの決まり文句はこうだった。
「この町には事件のトラウマに苦しむ住民がいる。そっとしておいてほしい」
銃規制を求める陳情活動に参加するトミーやイザベラたちに対して、「政治がかった親のあやつり人形」という陰口も聞こえてきた。「僕たちは(親が言う通りに演じる)役者とすら呼ばれていたんだ」。トミーはそう憤る。
それだけに、フロリダ州パークランドでの事件をきっかけにした「目覚め」は、トミーやイザベラ、ポーにとってもちょっとした驚きだった。
3月24日のワシントン。銃規制を訴える「私たちの命のための行進」に全米から集まった約80万人の人並みの中にイザベラやトミーたちの姿があった。
6月2日。参加者がオレンジ色の服を着て銃暴力への反対を呼びかける「オレンジデー」の行進で、ニュータウンでは数百人が町を練り歩いた。
そして8月12日。銃規制を訴えて夏休みに全米各地をバスで巡っていたパークランドの高校生たちがニュータウンに到着。2カ月に及ぶ全米ツアーを締めくくった。町には2千人が集まった。
サンディーフック小学校での惨劇を直接・間接的に体験した当時の小中学生は、いまや多感な10代だ。当時、高学年だった生徒の中には、トミーたちのように、まもなく選挙権年齢の18歳に達する若者も少なくない。
なぜニュータウンは目覚めたのか。
「パークランドの高校生が、銃撃事件中の極限の恐怖の中で行った発信に僕たちも接し、『ああ、あれは6年前の僕たちだ』、そして、『このままでは同じことがまた僕たちの身に降りかかるかもしれない』と思った」とトミーはいう。
パークランドの高校生たちがとりわけ力を入れたのは「自分たちが米国民として投票権を行使することで、銃規制を成し遂げよう」という運動だ。ニュータウンとパークランドの若者たちが出会った8月12日も、一緒に同世代に有権者登録を呼びかけあった。
「議員たちに働きかけるのも大事だけど、投票こそ、自分たちの願いを直接、政治に届けられるアクションだと気がついた」とイザベラはいう。
米国では今もなお、銃の暴力が止まらない。最近もペンシルベニア州ピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)で多くの犠牲者を生む乱射事件が起きた。
「何も私たちは革命を起こそうとしているのではありません。コモンセンス(常識)を形にしようとしているだけ」とポー。
トミーとイザベラは来年、大学生になる。
「大学に行っても運動は続ける」と言ってから、笑ってつけくわえた。
「でも大人になっても延々とやり続けたくないよね。こんなひどい銃の事件を、アメリカからさっさとなくさなければならないから」
◇
11月6日にアメリカで中間選挙が投票される。銃規制も大きな争点のひとつだ。相次ぐ学校での乱射事件をきっかけに、全米各地で若者の有権者登録が増えており、彼らが結果にどう影響を及ぼすかも注目されている。
一方、銃を所持する権利を信奉する声はいぜんとして強く、豊富な資金力で政治家を囲い込む銃ロビーの力は岩盤のように堅い。銃規制の行方は予断を許さない。
とはいえ、見逃せない現実もある。
それは「銃の恐怖」と隣り合わせで育ってきた若い世代が、いま、まさに目覚め、これから次々と有権者に仲間入りしていくということだ。
これが将来、アメリカを変える大きな声に育っていくのか。選挙の後も注視していく必要がありそうだ。
(敬称略)