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マイケル・ムーア最新作『華氏119』にみるアメリカの今

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
『華氏119』を撮ったマイケル・ムーア監督 ©2018 Midwestern Films LLC 2018

『華氏119』は米大統領選でトランプが勝利を確実にした2016年11月9日の米国から始まる。大手メディアの事前の世論調査が軒並み、民主党候補の元国務長官ヒラリー・クリントン(71)の勝利を予想し、彼女の会場もすでに沸き立っていた中、選挙人による各州の得票数がトランプ(72)優勢と相次ぎ報じられ、米テレビ局のスタジオも呆然とした様子は記憶に新しい。

今作は、全米の総得票数ではクリントンが上回りながらトランプが当選した選挙制度の問題を突きつけながら、ムーア監督の故郷ミシガン州フリントで、トランプ大統領の友人リック・スナイダー知事(60)のもと広がった水道汚染、その街にはアフリカ系が多く住んでいる現状を示しつつ、民主党の立ち位置が共和党に近づくにつれ、労働者や若者の支持を長年かけて失ってきた背景、だから立ち上がろうとする女性や若者などに見いだす希望を、たたみかけるように見せてゆく。

『華氏119』より、マイケル・ムーア監督 ©2018 Midwestern Films LLC 2018

米興行収入データベースサイト「ボックス・オフィス・モジョ」によると、9月21日に米国1719館で封切られると、週末の興行収入は全米8位に。大手スタジオの大作がひしめく中で、ドキュメンタリーが上位10位に食い込むのは健闘だが、3週目にして急速に上映規模が縮小、10月25日時点では全米わずか37館の上映となり、興行収入は前週末の何分の1規模で落ち込み続けた。

米メディアはほぼ軒並み、「トランプ批判が繰り返されすぎたがゆえに飽きられ始めている」と、自戒ともとれる解説を書いた。私自身、10月24日に都内で開かれた試写会トークイベントで、トランプ政権をもたらした源泉を批判的に描けば描くほど、肝心のトランプ支持者には届かない分断の深刻さと、反トランプ派の人々にも批判が響きづらくなっている皮肉などについて話した。

それでも、もっと早く公開されていれば、耳目を集めやすかったかもしれない。もとはこの作品、ハリウッドの大物プロデューサーだったハーベイ・ワインスタイン(66)が弟と出資することが決まっていたのだが、昨年10月にワインスタインの強姦・性的暴行・セクハラ疑惑が大量に発覚したことで業界追放となり、手を引かざるを得なくなった経緯がある。

結果、ムーア監督は『華氏119』の資金繰りに困っていったんクルーを解雇し、製作を一時中断。その後なんとか資金を集め、追加撮影もしてなんとか完成にこぎつけたが、予定よりずれ込んでの公開となった。何より、ワインスタインはよくも悪くも宣伝巧者。あのまま進んでいればうまく動員できた可能性はあった。それでも、業界として実より倫理を優先しようというのが、「#MeToo」がもたらした地殻変動でもあった。

そうした中、ネット上などでは最近ちらほら「最悪のシナリオ」が書き込まれる。トランプ大統領が2020年に再選、2024年からは副大統領マイク・ペンス(59)が2期、2032年からは娘の大統領補佐官イバンカ・トランプ(37)が2期をそれぞれ務める……。あるいは米誌タイムが最近の表紙で描いたように、トランプが終身大統領制を敷いて死ぬまで指揮をとり続けることだって、起きるかもしれない。『華氏119』が指摘する選挙制度の問題にも取り組まない限り、また民主党自身も分裂している限り、あながち冗談で済ませられない話だ。

『華氏119』を撮影するマイケル・ムーア監督(右) ©2018 Midwestern Films LLC 2018

『華氏119』はこのまま、おひざ元の米国で縮小の一途なのだろうか……? そう思っていたら、10月26日からの週末、米国での上映劇場が289館と前週末の8倍近くに増え、興行収入も前週末の約1.5倍へと復調しているのに気づいた。もっとも、ムーア監督は同じ週末、公式のサイトやインスタグラムで「米国での劇場上映は最終週になる」と書いているし、11月6日の中間選挙を控えて少し拡大したに過ぎないのかもしれない。それでも、公開から1カ月以上経ってからの動員増は、今の映画業界ではやはり稀と言える。

一つ考えられるのが、米連邦捜査局(FBI)の10月24日の発表だ。オバマ前大統領(57)やクリントン、オバマ政権下の高官や民主党議員、慈善家で投資家のジョージ・ソロス(88)に俳優ロバート・デニーロ(75)、CNNニューヨーク支局など宛てに、爆発物とみられる不審な小包が送られたという。

ターゲットに共通するのは、トランプ大統領に批判的な立場である点。CNNなどのニュース映像によると、逮捕されたフロリダ州の共和党員シーザー・セヨク容疑者(56)の白いバンには、トランプ大統領のステッカーが貼られた下に、クリントンらの顔に銃の照準を思わせる赤いマークをつけた写真がずらりと並んでいた。その一人に含まれていたのが、ムーア監督。このためムーア監督のもとにも不審物が届いていないか、当局の捜索が入った。

ムーア監督には、別の点でも注目が集まった。『華氏119』撮影で、このセヨク容疑者の様子をたまたまカメラに収めていたのだ。ムーア監督の公式サイトによると、2017年のトランプ大統領就任から約1カ月後、早くも2020年の再選を呼びかける集会がフロリダで開かれた。盛り上がる支持者たちが「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again)」というトランプ大統領のスローガンを熱狂的に唱えるのに続き、「CNN最低(CNN sucks)!」と繰り返す声が上がった。その中の一人がセヨク容疑者で、前列で仁王立ちになって叫んでいた。

この場面は最終的に、『華氏119』には含まれずカットされたが、ムーア監督は公式サイトに3分38秒の当該動画をアップ、「自由に使ってほしい」と呼びかけ、米メディアもこぞって使用した。

2017年にトランプ米大統領が就任した約1カ月後、マイケル・ムーア監督が『華氏119』のため撮影したフロリダ州での支持者集会。トランプに批判的な人物に爆弾とみられる不審物を送りつけた疑いで逮捕されたシーザー・セヨク容疑者(前列左から2人目。42秒目と1分34秒目、1分44秒目、3分15秒目からそれぞれ登場している)が前列で気勢を上げていた(ムーア監督提供動画より)

動画のセヨク容疑者は一見、トランプ大統領就任の喜びと熱狂に包まれているだけに見える。だがムーア監督は彼をつぶさに観察し、こう書いた。「(動画を)一時停止して彼を見れば、何か深いものをも感じられる。見たところ(マーベルのキャラクター)超人ハルクが威嚇しているかのようだが、彼の目にほんの一瞬、恐怖心がよぎる。まるで行き場を失った迷い犬のように見てとれるだろう。私たちは、同じような何千もの『セヨク』とともに、何ができるだろうか?」

ところで、ムーア監督とは何者か。このページにたどり着いたみなさんの多くはすでによくご存知かもしれないが、今でこそ米国で隆盛ながら、従来地味な分野だったドキュメンタリー界にもたらしたインパクトと功績は、彼のキャラクターの濃さも含めて特筆に値するので、改めて整理したい。

地元フリントで新聞を立ち上げた後、米誌マザー・ジョーンズの編集者となって解雇されたが、監督デビュー作『ロジャー&ミー』(1989年)が米映画批評会議ドキュメンタリー賞を受賞。米自動車大手GMの工場のリストラによる地元フリントの惨状を描き、当時のGM会長、故ロジャー・スミスにアポなし突撃取材を試みて話題となった。彼の名を世界レベルに押し上げたのが『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年)。米コロラド州のコロンバイン高校で10代の学生2人が起こした39人死傷の銃乱射事件を踏まえ、米国の銃社会ぶりがいかに尋常でないかを突きつけ、アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

さらに、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領(72)がいかにしてイラク戦争に突き進んだか、ブッシュが民主党候補アル・ゴア元副大統領(70)に競り勝った再選がいかに疑問点だらけだったかを『華氏911』(2004年)で描き、米国のドキュメンタリー史上最高の興行収入を達成。その記録は今なお破られず、マイケル・ジャクソンの急死を受けて作られたドキュメンタリー『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年)も上回っていない(ちなみにこちらは同4位)。

『華氏911』は欧州でも絶賛され、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた。米国の医療保険をめぐる問題を暴いた『シッコ』(2007年)や、資本主義にメスを入れた『キャピタリズム~マネーは踊る~』(2009年)はワインスタイン社配給の下、動員を続けた。

『華氏119』撮影の合間に、銃規制を求めてたたかう米フロリダの高校生たちとマイケル・ムーア監督(中央) ©2018 Midwestern Films LLC 2018

ここまで書けば、いわゆる「映画界の成功者」のようにしか映らないかもしれない。それは一面事実なのだが、彼はいわゆる主流派ではない。2003年3月、イラク戦争開戦3日後に開かれたアカデミー賞授賞式の壇上で、ムーア監督は「恥を知れ、ブッシュ」と言い放ち、大きな非難を浴びた。

授賞式の中継映像には、会場で拍手が上がったり、ただ見守ったりする著名人の姿ばかりが映っているが、カメラを向けられる前列は自身のイメージを意識せざるを得ない名のある監督や俳優らで占められるため、おおむね穏健だ。ところが当時会場にいた人たちによると、大手スタジオ幹部やプロデューサーらが多く陣取る後方の席はブーイングの嵐だった。リベラルと思われがちな彼らも、政権ににらまれてビジネスが成り立たなくなることだけは避けたく、他ならぬアカデミー賞授賞式でイラク開戦直後の反政府発言など許しがたく思った人も多かったということだ。

結果、米報道番組「デモクラシー!ナウ」のインタビューによると、ムーア監督のフリントの自宅は荒らされ、嫌がらせや脅迫が続き、熱いコーヒーをかけられあわや火傷を負いかけ、自宅を爆破されかけたりもしたという。このため彼は、アポなし突撃取材で知られる一方で、自身は取材を受けるにも居場所を明かすのにも慎重だ。今回セヨク容疑者に狙われたことがわかった際も、「言うまでもなく少し震え上がったが、過去15年、彼のような人物に何度も遭遇してきた。殺害予告の数を数えるのもやめたほどだ」と公式サイトに書いている。

ただ、ムーア監督を取り巻く状況が今回違うのは、ムーア監督を忌み嫌う人たちはこれまではおおむね、ウォール街でもうけた人だったり、大企業と昵懇の富裕層や権力者だったり、あるいは政権に睨まれたくないハリウッド大手スタジオだったりしたのが、本来ムーア監督と共闘していてもおかしくない層が、今や対立軸の向こう側にいる点だ。

ムーア監督の生まれ故郷ミシガン州フリントは、まさに「ラストベルト」と呼ばれる米中西部の工業地帯。ムーア監督自身、祖父も父もGMの工場労働者で、叔父は自動車工場労働者の組合を立ち上げた一人。彼自身は大学を中退している。はっきり言って、いわゆる「置き去りにされた人々」とされたトランプ支持者と重なる。彼らの考え方はよくわかるとするムーア監督は、だからこそトランプ当選を早くから予測し警告していたし、トランプも、自身の支持者が多い地域で活動するムーア監督と大きくは対立したがらない、という指摘もある。ここがうまくつながれば、米国の分断も少しはましになっていくのだろうか?とも思う。

東京都港区のギャガ試写室で10月24日夜、『華氏119』の試写会トークイベントに登壇する筆者(左)。司会は浜田敬子・ビジネスインサイダー統括編集長 Photo: Miharu Furukori

ムーア監督は実は、トランプ大統領に似ているとも言われる。撮影した動画や既存の映像を編集し組み合わせてドキュメンタリーにし、自分のメッセージを伝える手段にする。トランプ大統領が物事の片言隻句をまぜこぜにして他者を攻撃するのと何が違うのか?という皮肉な指摘だ。だからこれまでも、例えば『華氏911』は反ブッシュの溜飲を下げる役割こそ果たしたが、ブッシュ支持者には届かず、2004年大統領選でも結局ブッシュは再選したのだ、と言われる。

そのせいもあるのだろうか。ムーア監督は公式サイトでこうも書いている。「いつかセヨク容疑者とパンをちぎって食事を囲む機会があるかもしれない。そうして『なぜ僕をターゲットにしたのか?』と尋ねたい」。「トランプのアメリカ」の暴走を食い止め、世界中の左右の分裂やポピュリズムの台頭に対処するためにも、日本をはじめ世界中の私たちが考えるべきアプローチの一つかもしれない。簡単ではないなりに、一歩として。