いっぷう変わった数人の男女が地下鉄駅から現れた。
8月12日。首都ワシントンで、白人こそが他の人種より優越していると主張する白人至上主義団体と、許しがたい人種差別だとして抗議する市民の集会がそれぞれ開かれた。ちょうど1年前、バージニア州シャーロッツビルで両者が衝突。白人至上主義の男性が運転する暴走車にはねられ、市民1人が亡くなった。
「ファシズムは許さない」「憎悪より愛を」。この日の首都には、白人至上主義団体をはるかに上回る人数の市民が思い思いの看板を手に集まった。こうした動きに対抗する「カウンター」の市民もいた。各地で白人至上主義者らと激しく衝突する「アンティファ(アンティ・ファシズム)」の活動家も押しかけた。
くだんの男女たちの風貌は、少し〝こわもて〟で、黒いTシャツにはこう書かれていた。
――私は元ネオナチ。質問受け付けます――
「ファシズムには絶対反対。でも私たちはカウンターではない」
ジョージア州から来たシャノン・マルティネス(44)はそう言った。
親との関係がうまくいっていなかった15歳のころ、パーティーで出会った男性から性的暴行を受けた。孤独に苦しみ、将来に絶望していた時、白人至上主義を掲げるスキンヘッドの仲間に誘われた。みな優しく、自分の居場所を見つけたと思った。
5年後、親身になって面倒を見てくれる年配の婦人と出会い、脱会した。
「根っこにあるのは恐怖。自分の将来が描けない不安、だれからも評価してもらえない不満。恐怖心のはけ口を怒りと暴力に求めるのが白人至上主義。だから敵意と暴力では対抗できない」
マルティネスと一緒に今年、白人至上主義団体からの脱会を手助けするNGO「フリー・ラディカル・プロジェクト」を立ち上げたクリスティアン・ピチオリーニ(45)も同じ日、ワシントンにいた。マルティネスたちとは違い黒の無地のシャツを着ていたが、使命感は同じだった。「人間は変われるんだということを、身をもって示したい」
私がピチオリーニと最初に会ったのは今年5月、彼が本拠とするシカゴの下町のとあるカフェだった。
30分遅れて待ち合わせの場所にたどり着いた私を、それでも満面の笑顔で迎えてくれた。「この前の休暇に女房と観光で日本に行ってきたんだ。東京、京都。最高だったな。47人のサムライの寺(赤穂四十七士をまつった泉岳寺)にも行ったよ」
びっしりと入れ墨が彫り込まれた太い二の腕がのぞく。だが、瞳は子供のように輝いている。
過激派組織から脱会させるノウハウを伝授するため海外から呼ばれることもある。「そんな旅はつらいし、緊張もする」とちょっと顔をしかめ、また笑顔に戻った。
「だから、日本では本当にリフレッシュできたね」
単刀直入に聞いた。なぜ白人至上主義団体にひかれる若者がいるのか。
「これはイデオロギーでも教義(ドグマ)でもないんだ」
〝自分は何者か(Identity)〟〝どこに所属しているか(Community)〟〝何のために生きているのか(Purpose)〟――。人はこれらの解を求めて生きている。それが壁に突き当たる時がある。ピチオリーニは面白いたとえをした。
「シカゴの道路のように人生にはたくさんの〝穴ぼこ〟があるだろう。そこにはまり込んだ時、しっかりした手助けがなければ、さらに暗い小道に迷い込んでしまう。そこに潜んで甘い声をかけてくる連中がいる。『ここが君の居場所だよ』と。過激組織のリクルーターだったり、ドラッグディーラーだったり、ギャングだったりする」
ピチオリーニの場合、「穴」にはまるきっかけが、自分が家族からも同世代からも疎外されているという感覚だった。イタリア系の移民2世。仕事が忙しかった両親にかまってもらった記憶がほとんどない。家族の中でイタリア語を満足に話せないのも自分だけだった。一方、珍しい名字もあって、学校ではいじめられた。
14歳の時に「甘い声」でささやいてきたのが、シカゴを拠点にするスキンヘッドのリーダーだった。最初は家族の一員のように遇してくれた。それから、いろんな冊子を読ませてくれた。いつしか自分を「白人の血を絶滅から救う戦士」と思い込むようになっていた。そう思うと、自分が強い人間になったような気もした。
黒人の生徒に暴力を振るったり、ナチスのカギ十字の落書きをしたり。16歳の頃にはちょっとしたリーダー格になっていた。高校を次々に放校処分になり、4つめの高校では黒人の警備員を殴って追い出された。
20歳を過ぎた頃、パンクロック専門の小さなレコード店をシカゴで開いた。売り上げを伸ばそうとヒップホップのレコードも置いた。思いがけない出会いが生まれた。
店に足を運んでくる客の中には黒人、ユダヤ人、同性愛者たちもいた。憎むべき敵だと堅く信じ、会話すら交わすのを避けてきた彼らが、「一人の人間」として自分に話しかけてきた。
内面で何かが壊れていくのを感じた。混乱し、取り乱した。
スキンヘッドのグループとたもとを分かった。レコード店もたたんだ。当時の妻は、幼い2人の子供を連れて去っていった。自分は親元に戻ったが、まだ「穴ぼこ」からは抜け出せきれなかった。
それから5年間ほどは自己嫌悪にさいなまれる日々が続き、何をする気も起きなかった。朝起きるのがつらく、ずっと眠っていたかった。
そんなある日、昔の友人が訪ねてきた。「このままだとあなたは死んでしまう」。学校に教育用のパソコンを備え付ける仕事を紹介してくれた。気持ちを振り絞って再び働く決意をした。
まもなく8年前に放校になった高校から仕事の注文が入る。心が凍りついた。昔の所業がばれて、せっかく軌道に乗ってきた職を失うかもしれない――。
作業中、自分が襲った黒人警備員がたまたま目の前を通りかかった。彼は気づかないようだった。自然に体が動き、警備員のあとをついて行った。乗り込んだ車の窓をコツコツたたくと、ようやくそれが誰かに気づいた彼の表情に恐怖の色が浮かんだ。
”I am sorry”
つい、そう口走っていた。なぜ謝るのか。あれからの自分の体験を彼に話した。
警備員は耳をすまして聞き、最後にこう告げた。
「君はとても大切なことを話してくれた。失敗が運命づけられた悪い子供の話ではなく、いい人間なのに道を誤ってしまった子供の話だ。そうした子供は大勢いる。君には自分自身の話を彼らに語る責任がある」
思わず、抱き合った。一緒に泣いた。
その言葉に押され、スキンヘッドや白人至上主義の団体で活動している若者の近親者や、脱会しようか迷っている若者の相談に乗る活動を始めた。ようやく自分の存在に意味を見いだすことができたと実感した。2009年には仲間と非営利団体を立ち上げた。
いったい、彼らをどうやって説得し、翻意させて、脱会に向けて肩を押すのか。
「Compassion(共感)だね。自分がしてもらったことをするだけさ」
ひたすら彼らの話に耳を傾ける。おまえは間違っているなどと説教じみたことは言わない。
「彼がはまった〝穴ぼこ〟が何かを見て、それを埋めてあげるんだ」
自信を少しずつ取り戻してくると、自らの境遇を他人のせいにすることもなくなってくる。
その次に、彼らが否定していたり憎悪対象としていたりした人物と引き合わせる。ホロコーストを生き延びた人、イスラム教徒の家族、LGBTの人たち。彼らが決して「悪魔」ではなく、同じ「生身の人間」であると気づいてもらう場を提供する。
だれもがすんなり脱会に至るわけではない。3年間かかっても完全に足抜けできない人もいれば、立ち直りかけて再び団体に舞い戻っていった者もいる。
殺害予告などの脅迫も絶えない。「おれのことを『FBIの秘密捜査員』だとか、『イスラエルのスパイ』だとか。果ては『本当の名前はモハメドで、イスラム国のテロリストだ』とか。まあ、言いたい放題だ」とピチオリーニは笑う。この手のコンスピラシー(陰謀論)は彼らの常套手段でもある。
20年間近く、こうした活動をしてきて、極右団体や過激な新興宗教(カルト)、イスラム過激組織など様々な過激団体からの脱会を手助けする欧州や中東、アジアの仲間との交流も広がってきた。こうしたノウハウを共有するために立ち上げたのが、冒頭の「フリー・ラディカル・プロジェクト」だ。ピチオリーニ自身、いまでも米国以外も含めて60人以上の相談に乗っている。
気がかりなこともある。この数年、過激な考え方になびく白人の若者が増えていると感じられることだ。「自分たちが脇に追いやられている」と信じるムードが彼らの間に静かに広がっている。実際にそんな状況になっているわけではないのに、そうであるかのような言説をまき散らし、若者を引きつける大人たちがいる。
1年前のシャーロッツビルの「事件」はその懸念が現実のものであることを示した。
事件直後、トランプ大統領が、白人至上主義者と反対派の双方に非があるかのような発言をして、さらに世論の憤激をかった。
ピチオリーニは、白人至上主義を毅然と非難できない大統領の態度に怒りを感じた。一方でそうした団体に加わることになった若者を「悪」と決めつける風潮にも違和感を覚えている。それはまさしく自らがたどってきた道でもあるからだ。
「おれは、なにも生まれつき差別主義者だったわけでも、そのように親に育てられたわけでもない」
彼らを「モンスター」として遠ざける対象ではなく、むしろ積極的に関わって、迷い道から抜け出す手助けをすべき対象だと信じている。
過激な政策や発言でアメリカ社会の分断をますます深めている当人であるトランプ氏に果たして、「両者に否がある」などと言えるのか。ピチオリーニの怒りはさらに奥深いところにある。
8月12日のワシントンでの集会の後、ピチオリーニからメールが届いた。警察当局の厳戒態勢もあって、参加した白人至上主義者は20人足らず。かたや、反対する市民は数千人。
「反対派の市民には〝相互愛〟の精神があふれていた。でもこれで白人至上主義の脅威がなくなったとみることはできない。連中はこれからますます大勢の目に触れないように、地下に潜っていくだろう。集会は(反対派にとって)小さな勝利だが、白人至上主義に対する圧勝とまではいいきれない」
「非寛容」がはびこる社会の現実と日々、向き合っているからこそ感じるのであろう張り詰めた緊張が、メールの文面からひしひしと伝わってきた。
◇
上下両院の議員選挙(中間選挙)が11月にある。アメリカ第一主義を声高に唱え、移民を攻撃し、差別に抗議する黒人アメフト選手に罵声を浴びせるトランプ氏は、共和党支持者だけに限れば9割近い高い支持を誇る。一方で#MeTooや銃規制強化を求める高校生たちの運動など、トランプ政治に異を唱える声も強まっている。つまり、アメリカはますます分極化し、お互いが歩み寄る余地はどんどん小さくなっている。憂うべきこの大きな流れに抗おうともがくピチオリーニは、あまりに非力にみえる。だが、少しずつではあるけれども、分断を埋めようとする動きは広がり始めている。もう少し、そこに携わる人々を追ってみよう。
(敬称略)