Don’t Take Me Out to the Ballgame—I Can’t Afford It
ウォールストリート・ジャーナル 2018年7月12日
“Take Me Out to the Ball Game”(「私を野球に連れてって」)という歌は110年もの間、アメリカで愛され続けている。大リーグの試合では、ホームチームが7回裏の攻撃に入る前、観客全員でこの歌を歌う。私のような野球に全く関心がない者でも、そのメロディーが好きだし、歌詞も知っている。この歌を聞くだけで、夏の晴れた日に野球を楽しく観戦するという、アメリカではごくありふれた風景が目に浮かぶ。
ところが今回取り上げたオピニオン記事で、著名な随筆家は、野球を見に行くことが驚くほどお金がかかるようになっていると嘆く。オペラや芝居、バレーのチケットも高いが、この随筆家は、文化活動とスポーツはintrinsically(本質的に)異なると主張。スポーツは従来、もっとdemotic(庶民的)なものだという。家族4人で野球を見に行くのに500ドルもかかるのは、もはや庶民的とは言えず、inherently wrong(本質的に間違っている)と憤っているのだ。
スポーツファンはいまや、チームへのdevotion(献身的愛情、強い愛着)を持つが故に、have been penalized(罰せられ)、astronomical(桁外れ)とも言える値段のチケットを買わなければならなくなっていると皮肉っている。随筆家自身も最近、シカゴで野球の試合を見に行った際、席が172.48ドルもしたという事実にappalled at(愕然とした)そうだ。彼の知人が所有するシーズンチケットは例外なく高いという話も紹介している。
こうした現象は野球に限ったことではない。dismal(惨憺たる)成績に苦しむバスケットボールのシカゴ・ブルズであっても、その試合を観戦するチケットはnosebleeds(高所にある安い席〈高所では気圧の低下で鼻血が出ることがあることに由来〉)でさえ、普通の人にはcan’t afford(手が届かない)ほど高額だそうだ。
このように最近のアメリカでは、チケットがあまりに高騰して、スポーツ観戦は一つのtreat(楽しみ)という従来の認識が崩れ去ってしまうかもしれない。そんな状況になっているthese days(このごろ)では、die-hard(何があってもやめない)ファンにしても、fair-weather(好天の時だけの)ファンにしても、スポーツファンであることはもはやdubious undertaking(うさんくさい活動)だと、この随筆家は結論付けている。アメリカの国民的娯楽と言われる野球だけあって、なんとも残念である。