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空港での乗り継ぎ待ちは、真のヒトに戻れる時間

ニューヨークタイムズ・マガジンから
Manshen Lo / The New York Times

私はこれまでの人生で2度、上海で12時間という乗り継ぎ待ちをしたことがある。1度目は、同行者とともに市内を探索することにした。極上のカクテルを楽しみ、同行者は路上のいかさま師が連れている猿に襲われたりもしたが、悪くない時間だった。だが、最終的にはがっかりした気分になっていた。限られた滞在時間で、最上の心地よさを堪能するまでには至らなかったと感じてしまった。明け方に空港に戻った時には、体は冷えて心は途方に暮れていた。

2度目の乗り継ぎ待ちの時は空港ターミナルにとどまり、方向性もなくあれこれと考えに耽る時間を楽しんだ。まるで広々とした子宮の中にいるようだった。前回よりもずっと、素晴らしい時間だった。

空港内での乗り継ぎ待ちは、一般的に、ストレスがたまる退屈な時間だとみなされている。例えば、ヒマラヤ山脈にハイキングに行く途中で、ヘルシンキで立ち往生して無駄な数時間を過ごすこともあるだろう。休暇を楽しむはずが、強制的に監禁状態にされてしまうのだ。

しかし、上手に乗り継ぎ待ちをすることができれば、その退屈な時間は健康的で元気を取り戻せるものとなる。乗り継ぎ待ちというものは、人生における強制的な空白の時間である。空調の利いた天国と地獄の狭間に、一時的に滞在しているようなものだ。出発ゲートまでたどり着いてしまえば、しばらくの間、実質的にやるべきことなど何もない。そう、自由の身だ。空港ターミナルには、解決すべき問題はなく、探索すべきものもほとんどない。非常に空虚な空間だと言えるだろう。空港が表すものは、面白みのなさや自動性でしかない。

ほとんどのターミナルが似たような構造をしているので、それほど旅慣れてはいない人であっても、ほぼ全ての空港ですぐに快適に過ごせるだろう。概して、新たに建設されたターミナルには目新しいものはほとんどなく、利用者が空想に耽るのを邪魔しないようになっている。ターミナルとは、実質的には飛行機が駐機できるショッピングモールで、世界中どこでも同じスターバックスのコーヒーを飲みながら、現地の料理を食べられる場所だ。芸術的なスペースにしようと試みるケースもあるが、幸いにも、徒労に終わっていることが多い。

こうした環境下では、目的もなく、新たな挑戦を誓うこともなく、動物としての真のヒトになれる。今のあなたの状態は、自然にいるのと似たような状態だ。ただし、窮乏や捕食の心配はない。100%安全なサンドイッチや、悪くない形のりんごが売られていたりする。さあ、商品を買いあさる時だ。だが時間があるわけではない。軽い昏睡状態になって日々の生活の縛りから解き放たれるだけだ。周囲に大勢いる見知らぬ人の姿を見てわくわくすることもあるだろう。しかし彼らは注目を浴びたいとは思っていないだろうし、あなたも同じ気持ちのはずだ。今のこの貴重な非実在の状態を邪魔されたくはないのだ。

乗り継ぎ待ちについて感嘆すべき点のうち最も重要なのは、まさに落ち着きたくなる瞬間にその時間が訪れるということだ。旅の半ば、いろいろとつらくなってくる頃である。飛行機に乗り慣れていない人にとっては、金属の筒状の物体に乗り込み、思わず叫びそうになる、精神安定剤を飲みたくなる人もいるタイミングである。また、様々な重大な疑問が、ゲートの向こう側に待ち受けている。家に帰ったら、夫はまだ私を愛しているだろうか?

大学をちゃんと卒業できるだろうか?モロッコは、ずっと夢見てきたとおりの所だろうか?もちろん、乗り継ぎ待ちの間に、そうした疑問に答える必要はない。答えることなどできないからだ。しばしの猶予を与えられ、今までの、そしてこれからの人生について考える機会を得たということだ。代わりに、自分の好きなペースで雑誌に没頭してもいい。

では、空港に来る前と後に難問を抱え、今は手にプレッツェルを持ったあなた。あなた自身、問いかける必要に駆られるかもしれないが、大した問いにはならないはずだ。コーラにするか、ダイエットコーラにするか。背筋を伸ばして座るか後ろに倒れて座るか。何をしてもOKなのだ。結局は、何もできないのだから。(サーシャ・チェイピン、抄訳 河上留美)©2018 The New York Times