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巡礼と観光編② 遍路の「逆打ち」はなぜ道に迷うのか

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山道側から来ると気がつく道しるべも、反対からたどると・・・=8月、女体山、村山祐介撮影

9世紀以来の歴史を誇るサンティアゴ巡礼の道と四国遍路は第2次大戦後、ともに巡礼者がほとんど姿を消す苦境に陥った。その後、復活を遂げた原動力の一つは、観光との出会いだ。「巡礼ツーリズム」とも形容される巡礼の新たな姿を報告する。(村山祐介)

四国遍路では、1番札所の次は2番、と番号順にたどる「順打ち」が一般的だ。順路を示す矢印のシールや道しるべに導かれるように歩いて行く。だが、うるう年の今年、番号が小さくなる順にたどる「逆打ち」が人気だ。苦労が多い分、御利益が高まるとされる。実際、どのくらい大変なのか。88番札所の大窪寺(香川県さぬき市)から逆に歩いてみた。

境内から険しい登山道を約1時間。女体山(776メートル)の山頂を過ぎると、分かれ道に出た。

車道を下るのか、右の山道を上るのか。岐路に置かれた道しるべには、88番に向かう順路を示す赤い矢印のシールが張られている。でも、それだけでは87番への方向が分からない。手がかりを探すと、道しるべの裏側に矢印があった。山道から来れば見える、つまり、山道から来るのが順路だったというわけだ。

しばらくして車道に出た。右に上るのか、左に下るのか。車道の右の電柱に矢印があった。右が順路と思って10分ほど上ると、元来た道に戻ってしまった。

では左だったのか?道をいろいろな角度から調べると、パズルが解けた。電柱のシールの向かい側に、車道から下る別の山道があったのに気づかなかったのだ。

道の脇に道しるべも見つかった。こけむして雑木林に紛れていた。たまたま元の道に戻ったことで間違いに気づいたが、そのまま山中にどんどん進んでしまっていたら、と思うと背筋が寒くなった。

84番札所の屋島寺(高松市)まで2日間、32キロの道中、この調子で何度も行ったり来たりさせられた。矢印や励ましのメッセージが書かれたプレートはなかなか見当たらず、分かれ道のたびに少し先まで歩いて、電柱やガードレールの裏側を振り返って探さなくてはならない。矢印に見放されて、「アウェー」でたたかっている気分だった。すれ違うお遍路の助言や、地元の人や有志で支えられている矢印のありがたみも痛感した。

遍路の「逆打ち」はなぜ道に迷うのか


歩きで逆打ちするなら確かに、御利益にちょっとはボーナスがついても良さそうだ。でも、運転手が最短距離で連れて行ってくれるバスツアーでも御利益が3倍だとすると、ちょっとずるい気がした。

太陽に向かって歩く

サンティアゴ巡礼路でも、帰路を歩く巡礼者とときおりすれ違った。中世のように歩いて帰宅しようと呼びかける人たちもいた。

逆に歩くと違う景色が見える。そう教えてくれたのは、聖地まで約370キロのサアグーン郊外ですれ違った大学2年の渡辺ゆず(20)だった。

「太陽に向かうと未来へ歩いている気がした」と話す渡辺ゆず=8月、サアグーンで、村山祐介撮影

この日早朝、親しくなったドイツ人巡礼者にお別れを言おうと前の町まで戻り始めたら、足取りが軽いことに気づいた。昨日たどった道がまったく違って見えた。「太陽に向かって歩いていると、自分の明るい未来に向かっていくような気がしたんです」

仏南部からスペイン北西部を目指す巡礼路は、ずっと太陽を背にして西向きに歩く。いつも自分の影が目の前にあって、「過去に向かって歩いているような気がした」のだという。