日本の職場の10%で、「心の病」を理由に1カ月以上休んだり、退職したりした従業員がいた。厚生労働省による2013年の調査結果で、前年より1.9ポイント上昇した。心の健康づくりに本腰を入れる企業も増えている。
旭化成グループ(本社・東京)は13年度から社内のイントラネットで行うストレス検査を採り入れている。ここでは個人のストレス度を測ると同時に職場のストレス分析も行う。検査結果を受けて関連部門や組合、産業医らでつくるチームが職場への聞き取りなどをし、職場環境の改善につなげる狙いだ。職場の分析では「公正な人事評価」「同僚のサポート」といった項目ごとに、その職場が全国や事業所の平均値と比べ高いか低いかがひと目でわかるようになっている。本社の環境安全部は「各職場の取り組みの好事例を他の部署にも知らせ、広げる狙いもある」と言う。
厚労省によると、メンタルヘルスで何らかの取り組みをしている企業は300人以上の企業で9割を超えた。一方で全体の4割の企業が取り組んでおらず、取り組みが進まない理由を分析した12年の調査では、100~5000人未満のすべての規模の会社で「専門スタッフがいない」の割合が最も高かった。
そんな中、企業は工夫を重ねる。全国で靴下専門店を展開するタビオ(本社・大阪市)は販売員も含め約820人の従業員を抱え、昨春から本格的な取り組みを始めた。これまで、復職支援のマニュアルはなく、所属長や人事担当がその都度個別に対応していた。同僚たちは不調者をどう扱えばよいかわからず、仕事の負荷も増えるため、職場の雰囲気が悪くなる傾向があった。
インターネットで個人のストレス度を測る検査を全社で行い、3事業所に心のケアの有資格者を配置。精神科医の産業医の協力を得て復職支援プログラムを整えた。67人が働く東京支店の担当者、大川佳奈恵(31)は行政や企業の無料セミナーに片っ端から参加して他社の事例を学び、啓発と予防が大事だと気付いた。「休職者が出てからでは遅い」。ストレス検査の結果を受け、3カ月かけて支店社員全員と面談した。心の不調に関する悩みを気軽に相談できるよう連絡先を書いたカードを配り、産業医の月1回の来社日は積極的に社員に呼びかけて面談を組む。「困った時に頼る先を知っていれば予防につながる」。今年は管内の300人以上の販売員と面談する予定だ。
心のケアの従業員支援を手がけるピースマインド・イープ社長の荻原国啓は「心の健康対策の主眼は、大企業を中心に不調者への個別対応から職場の組織改善に移っている」と話す。
従業員のストレス検査は、昨年6月に国会で可決し今年末までに施行される改正労働安全衛生法で、従業員50人以上の企業に義務づけられる。
検査は産業医や保健師が実施し、本人に結果を通知する。結果を見た本人が希望すれば、医師の面接指導も受けられる。制度の詳細を検討する厚労省の専門家会議は昨年末、「(自分で自分の健康を管理する)セルフケアと同様に、職場環境の改善も重要だ」と指摘した。その上で、検査の結果を匿名化して部や課など職場ごとに集計し、職場の改善に生かすことを努力義務とする提言をまとめた。
職場の「心の健康」が注目されるようになったきっかけの一つに、過労自殺の問題がある。大手広告会社・電通社員の過労自殺訴訟で2000年、最高裁が会社側の責任を認める判断を下した。これ以降、従業員の心の健康を守ることも企業の責任だ、という考え方が広まった。仕事上のストレスでうつ病などを患い、労災を認められたケースは00年度は36件だったが、13年度には436件にまで増えている。
■「ツレうつ」細川貂々夫妻が語る、病との向き合い方
夫婦でうつ病と闘った日々をユーモアを交えて描いた漫画家の細川貂々(45)、ツレ(本名・望月昭、50)夫妻に病との向き合い方を尋ねた。
──病気のきっかけは何ですか。
ツレ 外資系IT企業で働いていたが、リストラで徐々に社員が減り、30人いた部署が5人になった。仕事の量も種類も増え、職場の会話も減った。そのうち夜眠れなくなった。僕は遅刻や欠勤ができない性格なので必死で出社するが、ミスを連発してしまう。どうしていいかわからず、通勤途中に電車に飛び込みたい衝動に駆られた。ある朝、妻に「死にたい」と打ち明けた。
貂々 家ではあまり会社の話をせず、愚痴も言わないので気付かなかった。すぐに病院に行かせたら「うつ病」と。仕事がストレスの原因なら会社を辞めればいいと言ったが、本人は踏み切れない。やがて髪の毛が真っ白になり、顔も土気色になって、最後は「辞めないと離婚する」と言って辞めさせた。
ツレ ただ、病気の時は判断力が弱っていて、仕事や夫婦関係など直接の原因にみえるものを切り捨てようとしがち。環境の急な変化は逆にストレスになるので、ひとまず休むことをすすめる。
──うつ病になるとは思わなかった?
貂々 実は、前向きで頑張り屋のツレがマイナス思考の私を励ます役だった。まさか彼が、と。
ツレ いま思えばリストラの対象にならず、増えた仕事をこなす自分への過信があったかも。どんなに前向きな人も過度のストレスにさらされ続ければ調子を崩す。誰にでも起こる病気だと思う。
──家族はどう支えたのですか。
貂々 すぐに双方の両親や友人、知人に事情を話した。周囲の助けが必要だと思った。おかげで、夫が急に調子が悪くなり、会合の途中で帰ったり、失礼な態度をとったりしても、おおらかに受け止めてもらえて助かった。
ただ、特別扱いはしなかった。ムッとしたら怒っていい。相手が落ち着いてから「病気でイライラしていたんだね」などと言って、病気がそうさせたのだと気付かせる。大事なのは「カーテン1枚隔てた距離」。支える家族も自分の時間や空間を大切にしたほうがいい。私は好きな本を読む時は部屋のふすまを閉め、週1回は気分転換で外出もした。
ツレ 病気の間は「人に迷惑ばかりかけている」というマイナス思考が強いので、妻も気楽にやっていると思えるほうが、こちらとしても楽だった。
──当時、言われてつらかったことは。
ツレ 「○月までに良くなって旅行に行こう」などと期限を切られるときつい。最初の半年は自分も早く病気を治して働かなければと焦り、「失業保険が切れるまで」「40歳まで」と期限を決めていた。でも、うつの症状は振り子のように揺れる。調子がいい日に先の予定を入れても、当日調子が悪くてキャンセルすることが重なり、自分を責めて、かえって症状を悪化させた。
貂々 うつ病の人は「自分は何の役にも立たない」という思いが強い。ゴミ出しなど、小さなことでも役割を決め、できたらほめ、できなくても怒らない。「○○までに良くなろうね」ではなく、今できることを「やってくれない?」と。
──病気をして変わりましたか。
ツレ 病気になる前はすべてを効率や能率で考えていた。ムダだと思っていたことが実は人生には大事だと気付いた。
貂々 自分たちが幸せだと思える生活は人それぞれ。「世間はこうだから、こうあらねば」という、自分の中の「世間のものさし」を捨てることも、心の病を乗り越えるひけつかもしれない。
ほそかわ・てんてん
1969年生まれ。漫画家・イラストレーター。うつ病になった夫との闘病生活を描いたコミックエッセー『ツレがうつになりまして。』(幻冬舎)がベストセラーに。映画やテレビドラマにもなる。『ツレと貂々、うつの先生に会いに行く』(上のイラストを収録)、『ツレはパパ1年生』(ともに朝日新聞出版)などの著書も。2008年に長男誕生。
もちづき・あきら
1964年生まれ。2004年、突然うつ病になる。06年12月以降、主な症状は治まり、薬も飲んでいない。現在は専業主夫として家事・育児を一手に担い、夫婦の個人事務所「てんてん企画」社長も務める。ATOMサーチ - 掲載記事 本文
うつ病の患者は1990年ごろまで、今よりもずっと少なかった。1カ月で体重が3キロも5キロも減って、夜もほとんど眠れない。入院しなければ体が衰弱してしまう。自殺しそうで目が離せない。妄想がある。そのくらい重い状態の人だけをうつ病と呼んでいた。ところが、有名人がうつ病だとカミングアウトしたりして、うつ病に対する偏見が減って、精神科の垣根が低くなると、症状の軽い人たちが多く受診できるようになった。
私は大学病院に加え、企業の診療所でも30年ほど診ているが、当時と比べて、軽いうつ症状の人が受診しやすくなったと思う。軽い人の場合には「適応障害」と診断することも多い。一方で、職場の労働環境も変わった。昔と違って、新人に早く一人前になることが求められる。特に正社員には高いスキルとノルマが求められる。そのような環境にうまく適応できない人たちが増えているように思う。
病気で休んだ後に復帰するのも難しくなった。合理化が進み、復帰時のリハビリに向いた負担の軽い職場が少なくなり、体調を崩した元の職場に戻るしかないことも少なくない。休職期間内に戻れないと退職せざるをえない。
軽い心の病が増えているのは、世界的な流れだろう。職場に適応できないでうつになった人たちをどうやって治すか。オーストラリアの医師は「簡単だよ。職場を移ればいい」と言っていた。日本ではそんなに簡単に転職はできない。今の日本は、グローバル化した競争社会と、以前からのタテ型社会の文化がミックスされて、患者さんにとって苦しい状況が生まれているように思う。元の職場に戻れなくとも、本人が新たな道を選んで、再びやりがいをもって頑張れるようになれば、それも治療のゴールかも知れない。
そもそも、うつにならないためにどうすればいいか、絶対的な答えはない。まずは仕事を少し忘れて、趣味や運動の時間をもってみよう。仲間との交流も大切だ。そして心にも、健康的な生活習慣が大事なことも忘れてはいけない。
■支える環境作りを
ニコラス・ローズ、英キングス・カレッジ・ロンドン教授(医療社会学)
現代社会において、心の病が増えた理由はさまざまで複雑だ。
今や、世界の人口の半分以上が都市に暮らしている。暴力、貧困、排他主義など、都市にはあらゆるストレスがある。どんな要素が心の病を引き起こすのか、医学と社会学の専門家がともに調べる必要がある。
心の病は脳の病気と信じられているが、脳でどうやって診断するのか、脳でどう治すのか。明確な答えをまだ誰も見つけていない。
それでも、重いうつ病や双極性障害、統合失調症など一部の症状によく効く薬があることは分かってきた。重い心の病と診断されても、外で働ける可能性が出てきた。家族や職場や社会が差別しなければ、実りある人生を送れるのだ。
本当に苦しんでいる人たちと、うつや不安を感じているが何とか暮らしている人たちは、区別しなければいけない。
症状の軽い人には心理療法が効果的だと思う。ただ、英国でも心理士が足りず、待ち時間が長い。資金の少ない国で大規模に導入するのは困難だ。
いわゆる途上国では、専門家以外の地域の人材に期待したい。ブラジルでは地域にメンタルヘルスセンターが置かれ、心の病を抱える人を支援する動きが職場にも広がっている。
私たちはすでに、体の障害については世界をより良く変えてきた。車いすを使う人のために歩道の段差をなくし、窓口に(補聴器を聞こえやすくする)磁気誘導ループを置く銀行もある。
体の障害以外でも、生きづらさを感じている人たちへの配慮は広がっている。英国のある店ではクリスマスを前に、強い刺激が苦手な自閉症の子どもたちのための特別な日を設けた。まぶしい光を消し、うるさい音楽も止めて、クリスマスの買い物を楽しめるようにした。
心の病に苦しむ人たちのためにも、環境を変えることはできるのだ。
取材にあたった記者
左古将規(さこ・まさのり)
1976年生まれ。大阪社会部を経てGLOBE記者。大学時代の友人が20年近く抗うつ薬を飲み続けてきたことを最近知った。心の問題について考え続けたい。
後藤絵里(ごとう・えり)
1969年生まれ。細川貂々さん・ツレさん夫婦に学んだ。世の中がどんなに速く進もうが、自分のペースで歩けばいい。世間とのほどよい距離を保ちたい。
浜田陽太郎(はまだ・ようたろう)
1966年生まれ。ストレス耐性の無さには自信あり。社会保障を取材して15年だが、宇宙と介護を結んだ山崎直子さんの発想力には脱帽した。