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サッカーの国際主審という仕事 笛とカードにかける信念

Breakthrough 突破する力

サッカーで主審がスタジアム中の視線を集める瞬間がある。レッドカードで選手を一発退場にする場面だ。

西村雄一(38)は7月2日、世界中の注目を浴びることになった。

ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会準々決勝のオランダ対ブラジル戦。優勝候補どうしがぶつかり合う大一番の後半28分、ブラジルのMFフェリペメロがオランダのFWロッベンの足を踏みつけた。西村は迷わずレッドカードを出した。

ブラジルが1-2と逆転された直後である。残り時間は20分たらず。ここで人数が減れば、追いつくのは難しい。ブラジルの選手たちは猛然と抗議したが、もちろん西村の判定は変わらない。

副審の相楽亨は、ブラジルベンチが静かになるのを感じた。「アナタハ、マチガッテイル」と、それまでは日本語で盛んに判定に抗議していたドゥンガ監督も口を閉じた。サッカー王国ブラジルを黙らせた判定だった。

判定に自信はあった。だが、帰国後にあちこちで「よくレッドカードを出せたね」と言われ、「正しい判定ができてよかった」とホッとしたという。

この試合は、西村にとって南ア大会での4試合目。日本サッカー協会審判委員長の松崎康弘は「終盤は完全に試合をコントロールしていた」と感じた。国際サッカー連盟(FIFA)にも高く評価され、決勝では主審を助ける「第4の審判」に選ばれた。日本人では初めてだ。

審判が主役になるのは、よくない場合が多い。だが、日本代表チームが決勝トーナメントで敗退した後、西村は間違いなくいい意味で「主役」になった。


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5、6歳のころにボールをけり始めた西村に、いまも「選手をやめた」という意識はない。「選手も審判もサッカーの一部だ」と考える西村の中で、審判の比重の方が大きくなったというだけだ。

きっかけは高校時代だ。コーチをしていた少年チームが、あるトーナメントで審判の判定ミスのため敗退した。たった一つの誤審が子どもたちの夢を壊すなんて──。

この時、独学で審判の勉強を始めた。若い審判は重宝され、経験を積むうちに「比重」が逆転した。

ちょうど日本のサッカー界は、歴史的な転換点を迎えていた。1993年5月にJリーグがスタートし、その年の10月には日本代表が「ドーハの悲劇」でW杯初出場を寸前で逃した。多くの日本人がサッカーに目を向け始めていた。

その翌年、西村はオフィス機器販売・メンテナンス会社「ボナファイド」に就職する。土日が休みで転勤がなく、サッカーにかかわり続けることができる。そんな条件で探した就職先だった。

「最初から言っていましたね、Jリーグで笛を吹くのが夢だと」。ボナファイド社長の大森泰彦は、新人時代の西村を今も鮮明に覚えている。

西村は週末ごとに審判を務め、夏休みや冬休みは研修にあてた。2002年にはJ2主審として「夢」をかなえ、次の年にはJ1に昇格できた。

そして04年、西村は人生の大きな転機を迎える。サッカー協会からスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー)の誘いがあったのだ。

SRになるには、仕事をやめないといけない。相談された大森は「もったいないな」と思った。営業マンとして西村の素質を見込んでいたからだ。

大森は西村と2人でサッカー協会の審判部長に会った。プロの世界の厳しさも見えたが、西村の思いを知る大森は言った。「人生には1度くらい勝負の時がある」

西村にも不安があった。

SRといえば、W杯主審の経験がある岡田正義や上川徹のように実績のある先輩たちが務めてきた。前年にJ1で吹き始めたばかりの自分は、「どこがスペシャル?」と笑われてしまうのではないか──。

だが、営業マンとして3年で一人前になったことを思い出して覚悟を決めた。「プロになったら、3年で百戦錬磨の先輩たちに追いつこう」

サッカー協会には20万人ものサッカー審判員が登録されている。このうち、JリーグやJFLで笛を吹くことができる1級審判は150人だ。代表チームどうしの試合を裁く国際主審ともなると、わずか7人しかいない。西村はSRになった年、その1人に抜擢された。

西村の何が優れているのか。

FIFA審判委員の上川は、180センチを超える体格と、試合の最後まで動ける持久力を挙げる。そのおかげでポジショニングがうまく、反則につながりやすい競り合いを近くで見ることができているという。

サッカー協会審判委員長の松崎は「選手と会話をしようという姿勢がある」と評価する。確かに、取材後にも必ず笑顔で握手を求める。営業マン時代に培ってきたコミュニケーション能力が、ピッチの上でも生きているのだろう。


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W杯審判への道のりは長い。

まずはアジアのレベルの高い国際試合で腕前を認められ、アジアサッカー連盟(AFC)がFIFAに推薦する必要がある。

この時期、西村はミスをしている。05年の東アジア選手権で、副審の判断ミスをカバーできず、退場させるべき選手を間違えてしまったのだ。

もともと西村に対しては、カードをむやみに出すとの批判もある。たしかに、昨年12月のJ1で8回の警告を連発した時の西村は、はた目にも冷静さを失っているように見えた。

だが、ぶれない判定こそ大切だという信念は固い。「警告が多いのは、選手がそういうプレーをしている結果です。審判は正しい判定をしている」

幸い東アジア選手権のミスは大きな問題にならず、07年、西村は南ア大会の候補に選ばれ、相楽と韓国の鄭解相とのチームが組まれた。世界中の54チームが、本番までにふるいにかけられることになった。

西村はFIFA主催の国際大会で笛を吹き、欧州の審判セミナーに何度も参加した。セミナーとは名ばかりで、実際は体力や知識を試すテストである。

今年2月、FIFAが発表したW杯審判団は30チームに減っていた。西村チームも含まれていた。
4年後のブラジル大会では決勝で吹くのが目標か? そう問われるたびに西村は「今後の試合がブラジルにつながるわけではない」と答える。周囲の期待をよそに、本人はいたって冷静に今後を見つめている。

ただ、オランダ対ブラジル戦という大勝負を裁ききった自信は、間違いなく4年後につながるはずだ。

(文中敬称略)

自己評価シート

自分にどんな「力」が備わっているのか。何が強みなのか。編集部が10種類の「力」を示し、自信のある順に並べてほしいと事前にお願いしたところ、取材時に明確に番号を振ってくれた。

「決断力」は、主審のベースになる能力だという。基本的にプレーが途切れないサッカーの試合を、主審の笛は止めることができる。「どっちつかずでは主審の役割を果たせません」

主審には、ピッチにいる誰よりも高い「集中力」が求められる。90分間、ボールがどこにあろうと追い続けなければならない。「笛を持ち替えたり、気持ちをリフレッシュする自分なりのまじないがいくつかある」

もちろん、主審1人ですべてができるわけではない。「協調性」を持つことで「自分と同じ考えを持つ副審2人をつくることができる」という。

意外にも「語学力」は最下位。「言葉ができなくてもジェスチャーと笛で試合はコントロールできる」。W杯では選手に笑顔で接する姿も評判だった。

西村雄一(にしむら・ゆういち)

1972年、東京都生まれ。
99年、1級審判員取得。
2004年、国際主審、スペシャルレフェリー(SR)。
07年、U17(17歳以下)W杯で決勝を担当。
08年、日本サッカー協会の交換プログラムでポーランドで主審を務める。
09年、Jリーグ優秀主審賞。