「シャンパン社会主義者」「リムジン・リベラル」という言葉が最近よく取りざたされる。「貧困や格差をなくそう」と理想を掲げながらシャンパンにリムジンで裕福に暮らす人たちを揶揄する表現だ。チリのノーベル文学賞詩人、故パブロ・ネルーダを描いた11日公開のチリ・アルゼンチン・仏・スペイン映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』(2016年)では、生涯の大半を逃亡に費やした国民的詩人のそんな「矛盾」が浮き彫りになっている。ネルーダを演じたチリ人俳優ルイス・ニェッコ(54)に、スカイプで聞いた。
ネルーダは詩人として世界的に愛されてきた一方で、政治家としても活動した。1934年に外交官として赴任したスペインで内戦を目の当たりにして共産主義に接近、1945年にチリで上院議員となり、共産党入りする。今作『ネルーダ』の舞台は冷戦下の1948年。中南米の共産化を恐れた米国の圧力を背景に、当時のビデラ大統領(アルフレド・カストロ、61)が共産党を非合法化。ネルーダは、ビデラ大統領の命を受けた警視オスカル・ペルショノー(ガエル・ガルシア・ベルナル、38)らに追われる身となるが、追っ手をもてあそぶかのように酒場にも顔を出しては人気を博し、ペルショノーらを苛立たせる。ペルショノーは父はチリ警察創始者ながら母は娼婦、貧しい暮らしから這い上がってきただけに、理想主義の一方で酒や女性との遊びを好む享楽主義のネルーダを「左翼エリート」と敵視し、執着する。
ちなみにネルーダの妻デリアを演じたメルセデス・モラーン(62)は、ローマ法王フランシスコ(80)の半生を描いた『ローマ法王になる日まで』(2015年)で法王の恩師エステルを演じている。
今作でガエルが「大衆に愛された左派詩人を追う警視」を演じると聞いて、当初は意外に思った。彼は『モーター・サイクル・ダイアリーズ』(2004年)で若き日のチェ・ゲバラを、今作の監督でもあるパブロ・ラライン監督(41)の『NO』(2012年)ではチリのピノチェト独裁政権にノーを言うCMを作る広告マンを、『ノー・エスケープ 自由への国境』(2015年)では追われる不法移民をそれぞれ演じてきた。「大統領の手先」とはまるで逆だ。でも『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を見進めるうち、最近インタビューしたガエルの言葉とも響きあうメッセージを感じた。
というのも、『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』の舞台は第2次大戦終結まもないチリながら、ネルーダに対峙するペルショノーはまさに、世界そして日本で今高まる左派やリベラルへの批判や、既得権益層への反発を体現している。政治犯を追う警視と、大衆に愛される逃亡詩人との対比はたいていは、後者に過剰移入しそうなものだが、ぜいたくを好むネルーダが身勝手な動きをすればするほど、複雑な生い立ちを跳ね返そうともがく警視ペルショノーの屈折に気持ちが傾く自分に気づく。かつネルーダは劇中、妻デリアにもボディーガードにもひどい言葉をぶつける。いわゆる「シャンパン社会主義者」の矛盾を突かれても仕方がない人物像をも、つまびらかにしている。
そう言うと、ネルーダを演じたルイスは、スカイプ通話の画面越しに語った。
「ネルーダは社会に常に抗い、挑発してきたが、多くの人にとってはいまだに謎の人物だ。チリでは誰もが学校で彼について教わるが、表面的な形だ。一方で彼はとても矛盾した人物で、確かにシャンパン社会主義者だ。でも彼のようなアーティストとしては当時はきわめて普通だった。ネルーダが交流した画家や作家も、ブルジョア的な暮らしをしながら社会主義を語っていたのだから」
ルイスは続けた。「だが、今の世界は真剣味のある人を求め、『誰が真剣で実直な人物か?』を問う。世界が不安定なためだ。今ならネルーダは大きく批判されているだろう。いや、当時だって多少は問題になったんじゃないかと想像する」。だからこそ今作でも、ガエル演じる警視ペルショノーが、ネルーダや仲間たちを「左翼エリート」と呼ばわるのだろう。
「その意味で今作は、現代へのヒントを示してもいる。この問題を解決するにはどうしたらいいか? この映画は答えを明示せず、ただ問題を私たちに突きつけている。非常におもしろいことに、自由な今の世界でもこれがなお問題だということだ。映画を通して今の私たちにこの問題を示したのは、ラライン監督のとても知的な手法だと思う」。ルイスは言った。
チリは、今作が描いた時代ののちに共産党を合法化、民主政権が誕生した。ネルーダも復権、駐仏チリ大使となった1971年にノーベル文学賞を受賞する。だが帰国した翌1973年にピノチェトのクーデターで軍事政権が生まれ、ネルーダは自宅を破壊された末に、まもなく病死する。毒殺説も根強く、2010年代になって何度か調査されたものの、真相は闇の中だ。
ルイスは言う。「チリはネルーダの死因をずっと突き止めようとしてきた。つまりこの国は彼をめぐって今も問題を抱えている。彼が独裁政権に殺されなければならないほど偉大なシンボルだったかどうかはわからないが、左派にとっては偉大なシンボルだった。人間は常にシンボルを求め、利用しようとする。とはいえ左派政治家も、アーティストであるネルーダがどんな人物かつかみきれず謎であり続けている。だからネルーダは偉大になった一方で、多くの人に嫌われ、攻撃もされてきたのだろう」
長らく軍事政権の混乱が続いたチリだが、今の大統領はミチェル・バチェレ(66)。ピノチェトのクーデターで父を拷問死により失い、自身も母とともに逮捕・拘束されるも豪州への亡命を経てチリ初の女性大統領となった人物だ。独裁政権に翻弄されたネルーダを演じた俳優として、今のチリの政治や社会をどう見るのだろう。「チリは独裁政権によって、発展のための年月が失われた。軍事クーデターは社会全体を破滅させる。それが民主化で回復した。私たちはこの歴史を忘れることはできない。今のチリは秩序ある社会。問題は抱えながらも、民主主義社会になった。今の民主主義はポピュリズムの苦難にさいなまれているが、それでも安定しているのは、過去から過ちを学んだことが大きい」
ルイスはネルーダについて、こうも強調した。「彼は南米の植民地としての歴史を塗りかえ、南米をスペイン植民地主義の足かせから解き放った」。ネルーダが理想を掲げて独裁政権に異議を唱えたことを、シャンパン社会主義者と批判してかき消しては、ものごとが見えづらくなってしまう――そんな気持ちにさせられた。