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『ローマ法王になる日まで』 フランシスコ教皇、成長の軌跡

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
ダニエーレ・ルケッティ監督=仙波理撮影

© TAODUE SRL 2015


物語は、後にフランシスコ法王となるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(セルヒオ・エルナンデス、60)が、コンクラーベ(教皇選挙)のため訪れたバチカンで半生を回想する形で始まる。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで信仰を志し、イエズス会に入った若きベルゴリオ(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、40)は南米イエズス会の管区長となるが、足元では1976年からの軍事独裁政権の恐怖政治が強まり、人々の拘束や失踪が相次いだ。軍政におもねる神父も出て、「教会は見て見ぬふりをしている」と批判も上がるなか、反政府的とされた神父が銃殺される。ベルゴリオは反政府運動に携わった神学生らを何とか逃すが、一方で、人道支援のため武装組織の家族たちを世話する神父2人には活動をやめるよう説得。だがイエス・キリストにならう形で聞き入れなかった2人は軍に連れ去られる。解放をめざして奔走するベルゴリオ。そうするうち恩師エステル(メルセデス・モラーン、61)が逮捕され、残虐な仕打ちを受ける。多くの人が葬られ、あるいは深い傷を負うなか、ベルゴリオは無力さに打ちのめされて嗚咽する――。

ローマ・カトリック教会の総本山、バチカンと接するイタリアの映画監督とはいえ、現役のローマ法王を映画にするとは非常にチャレンジングだ。これまでとは一味違う法王の登場にイタリア人プロデューサー、ピエトロ・ヴァルセッキ(63)が興味を持ったのがきっかけだという。

© TAODUE SRL 2015


フランシスコ法王は「清貧」を説いて専用車を使わず、誕生日をホームレスの人たちと祝い、同性愛を基本的に認めないカトリックにあって性的少数者(LGBT)の人たちとも対話。紛争解決のため各国首脳とも盛んに「法王外交」を進め、信者に限らず人心を引きつけている。 「彼について探求し、理解してみたい。彼を知る人たちと話してきてくれないか」とヴァルセッキはルケッティ監督にアルゼンチン行きを促した。ルケッティ監督自身、「彼が法王に選ばれた時、人々に語りかけるさまがとても現代的、直接的かつフランクだったのに驚いた。同性愛や社会問題への態度についても驚きを感じた」。脚本はすでにあったが、多くの文献にあたりながら、アルゼンチンで少なくとも40人と話をするうち、ほぼ一から書き直すことになったという。

ルケッティ監督は現地取材を振り返って言った。「彼はとても人気のある枢機卿だったから、彼の人生について研究した人たちも多くいる。彼は現地のテレビ番組にも出演していたし、彼の言葉は政治においてとても影響力があった。私は多くのジャーナリストに手助けを求めながら、彼が教師をしていた時の教え子や、司教時代の友人にも会った。彼に近かった人たちを中心に、彼には本当に助けられたという人たちがいた」

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だが、そうして彼を誇りに思う人たちが大勢いる一方で、アルゼンチンの忌まわしい時代に「軍事独裁政権による虐殺に手を貸した、当時何もできなかった、と言う人たちもいる。彼を許していない人たちもいた」とルケッティ監督。神父たちの拘束がベルゴリオにも責任がある、との批判もなお現地で根強かったという。「多くの人の証言や文献によると、ベルゴリオは神父たちを助けようとはしたが聞き入れられず、そのままにした。結局、彼らは拘束された。そうしたプロセスは彼自身も言っているし、神父たちも新聞のインタビューで後に語っている」。そうして「最もリアリティーのあるバージョンを今作に盛り込んだ」そうだ。

1983年まで7年にわたり続いた軍事独裁政権は、クーデターで政権に就いたホルヘ・ビデラ大統領(故人)が左派組織や労働組合の運動家を苛烈なまでに弾圧。拷問を含む厳しい取り調べや、生きたまま飛行機から川に突き落とすなど残虐な手法が横行、死者・行方不明者は推定約3万人に上り、「汚い戦争」と呼ばれている。非道がまかり通る恐怖政治に、当時は多くの人々が沈黙した。教会には迫害を受けた人たちの擁護に熱心だった聖職者たちもいたが、軍の要人にも信者が多かっただけに、教会は全体として軍との対立を避けてきたとされる。宗教を否定する共産主義を警戒した教会が、軍とあえて密接な関係を築く面もあった。

ダニエーレ・ルケッティ監督=仙波理撮影


ベルゴリオや教会への批判が現地でなお色濃く残るのは、恐怖政治の傷跡に今も苦しむ人たちが少なくない裏返しでもある。「今作の拷問の場面は当初アルゼンチンで撮ろうとしたが、実現しなかった。現地のクルーが撮影したがらなかったからだ。結局、イタリアで撮った。また、共同で脚本を書いたマルティン・サリナスもその妻も、独裁政権下できょうだいを殺されている。当時の記憶は今も生々しく、解決されていない政治問題が、見えない形でとても多く残っている」

© TAODUE SRL 2015


それでも、「当時の軍事政権に共感し支持する人たちもまた、なお存在していた。しかも、アルゼンチンでごく一部というわけでもない。教会にすらいる。彼らは『軍事政権が共産主義者から私たちを守った』『テロリストから守ってくれた』と言う」とルケッティ監督。「とはいえ、イタリアにだって、ファシズムやムッソリーニ政権をいまだに信じる人たちがいる。彼らは『ムッソリーニは美しいものを好んだ。なぜ彼の悪い面ばかり見るんだ? それは間違いだ』などと言うんだよね」

それだけに、というべきだろうか。「当時の教会を批判し、ベルゴリオを嫌う人たちから見ても、今の彼はとても違った人物になっていると映るそうだ。今の彼をどうとらえるべきか、測りかねているところがあった」とルケッティ監督は言う。

実際、彼が当時のアルゼンチンの法廷で話す動画を見たルケッティ監督は、違いを目の当たりにした思いだった。「画面に映し出された彼はとても陰鬱で心痛めた様子で、罪悪感に満ちた雰囲気だった。とても理解しがたいが、今よりものすごく年老いて見えた。当時の彼は人々のことを心配し、人間の運命を憂えていたと思う」「当時彼はテレビに毎週出ていたが、いつも彼は憤った様子だった。レストランで浪費する人々がいる一方で、わずかの外食もできない人たちが存在することに怒りを感じていた。彼は十分なことをできていないと感じていた。当時の彼の表情や目からもそれは理解できる」。その表情と、法王に選ばれた日の笑顔を重ね合わせてルケッティ監督は今、こう思うそうだ。「あの笑顔は、ついに他者を助ける最高位に就いたからこそのものなのだろう」

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そうしてリサーチを重ねるうち、ルケッティ監督は映画化への思いを強くした。「独裁政権下の地獄のような状況、また経済危機や貧困に見舞われた国を生きた当時の彼を見ることで、今の法王を理解できると感じた。彼は本当に、他者をなんとか助けしようとしてきたことと思う」「苦しみとは何か、貧困とは何か。それを身をもって体得し、変わらなければならないと感じ、適応した。今作は彼の成長物語だと思う。人々を助けたいと思うようになった彼が、本当に人々を助ける最高の地位に就く。困難な時を生き延び、若い頃になりたがった人物についになれた。そうした美しい物語を持つ人物はそういるものではない」

豊富な取材をもとにした映画だが、ドキュメンタリーではない。「実際にどんな会話が具体的になされたのかまでは、私にはわからない。だからフィクションを織り交ぜている。また、時に複数のキャラクターをひとりのキャラクターに集約させたりもした。ただしそれらは、あくまで真実を語るための『嘘』となるよう努めた」

© TAODUE SRL 2015


ルケッティ監督はカトリック信者ではない。特定の宗教信仰もない。なのに法王の物語に取り組んだのは何ゆえか。そう聞くと、ルケッティ監督は言った。「この物語には、人生は何度でもやり直せるのだという希望がある。私たちが人生を生きるにあたって、有益な物語だ」。イタリアの観客も、「信者でない人たちが好んで今作を見た。そのことに、彼ら自身も驚いていた」そうだ。

ルケッティ監督は1年ほど前、法王としてバチカンのサン・ピエトロ広場に現れた彼をじかに見たことがある。詰めかけた人々に混じって、ルケッティ監督も数秒、握手した。そばにいた俳優が『私たちは映画のクルーです』と言うと、法王は「あぁ、あの映画ね」と答えたそうだ。果たして、法王は作品を実際に見たのだろうか。「それは、わからない。見てほしいとお願いはしているのだけれど。どうなったか知りたいね」とルケッティ監督は笑った。

ダニエーレ・ルケッティ監督=仙波理撮影


ポピュリズムが世界を覆うように台頭し、不寛容や不安が蔓延する今の世界で、法王の存在に期待を寄せる人は少なくない。アルゼンチンでの苦悩の日々を取材した監督として、法王のあり方をどうみているのだろう。ルケッティ監督は語った。「彼はエネルギーや力強さをもって、多くを約束して就任した。だが法王に選ばれて4年、教会内部には味方よりも敵だらけだと感じていることだろう。彼はイタリアでも人気だし愛されているが、右派からは信用されていない。移民や同性愛への姿勢が左派的すぎると感じられている。彼がどこへたどり着くのか、私にはよくわからない。でも彼は超越している。ふさわしい立場に立てば、人心を引きつけながらも賛否が分かれるのは必然だ。私は神は信じないが、人間は信じる。そして彼は、人間だ」


藤えりか(とう・えりか)
1970年生まれ。経済部や国際報道部などを経て2011~14年にロサンゼルス支局長、ラテンアメリカを含む大統領選から事件にIT、映画界まで取材。映画好きが高じて脚本を学んだことも。現在GLOBE記者。『なぜメリル・ストリープはトランプに嚙みつき、オリバー・ストーンは期待するのか~ハリウッドからアメリカが見える』(幻冬舎新書)が3月30日に発売。ツイッターは@erika_asahi


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