540枚の青いタイルに宿る「仁王像の魂」 時空を超えて奥出雲に里帰り
「仁王さん、どうもお帰りなさいませ」
島根県奥出雲町在住の森山成夫さんの快活な声が、薄暮の森に響き渡った。
93歳(当時)の森山さんがマイクを手に深々と頭を下げて語りかけていたのは、とうの昔に廃寺になった金厳山岩屋寺の参道に立つ「ブルー仁王」だ。
「分身とはいいながら、こうやって故郷に戻ってきてくれたことを、とても喜び、うれしく思っております」
2025年10月13日、日中の厳しい残暑が和らぎ始めた午後4時。
約50年前に岩屋寺から流出し、京都の古美術商を経てアムステルダム国立美術館へと渡った仁王像の、姿をかえての「里帰り」を祝うセレモニーが行われた。
会場となったのは、標高約600メートルのうっそうとした岩屋寺山の中腹にある、普段はめったに人が来ない仁王門跡だ。その場には不似合いな大型モニターや音響機材が設置され、100人を超える町民が参列した。
ブルー仁王とは、540枚のタイルを使って描かれた仁王像である。
アムステルダムへと渡った仁王像の存在を地元に戻すために、オランダ人彫刻家イェッケ・ファン・ローンさんが奥出雲とアムステルダムの住民約400人と共に絵付けをして制作した。
オランダの伝統工芸デルフト焼の鮮やかな青で、原像と同寸の高さ約2.3メートルで描かれている。阿形像と吽形像は、それぞれ前姿と後ろ姿のタイル画を木製構造に固定したインスタレーションとして、かつて原像が立っていたちょうどその場所に設置された。
暗い森へと続く参道を背に、夕暮れの陽光を受けてきらめくその姿は、美術品とも仏像とも呼びがたい存在感を放っていた。
モニターには、7時間の時差を超えて、ネット中継でつながれたアムステルダム国立美術館アジア館のギャラリーが映し出された。まるで故郷の景色を懐かしむかのように、クローズアップされた仁王像がこちらを見つめる。
そして画角が広がると、像と向き合うように、キュレーターのメノー・フィツキさんや駐オランダ日本国大使を始め、30人ほどの来賓が着席している姿が映った。
メノーさんがマイクを取り、館内に立つ仁王像に向かって言葉をかけた。
「この美術館は、美術と歴史、そして人々を結びつける場所でありたいと願っています。仁王様、あなた方は、その象徴のひとつとなりました。多くの人が、あなた方に会うために何度も足を運びます。そうした人々の物語は、遠い昔の人々の物語と重なり合い、あなた方のまわりに目に見えない幾重もの層を織りなしています。それらの層が重なっていくことで、あなた方は以前にも増していっそう輝きを放つ存在になったと感じています。今、奥出雲・横田でお披露目されている美しい青と白の“写し”と共に、あなた方は日本とオランダをつなぐ象徴となりました」
実家が岩屋寺の檀家(だんか)で、仁王像には数々の思い出があるという森山さん。そのスピーチは、このセレモニーを実現させたイェッケさんと彼女を支えた地元の有志たちへの感謝の言葉と共に、「これからは、皆で岩屋寺山を開かれたものとして町の発展に貢献できるよう尽力しましょう」という町民たちへのよびかけで締めくくられた。
「あなたのお陰で、今まで知らなかった奥出雲の歴史にふれることができました」とブルー仁王に謝辞を伝えたのは、地元横田中学校の男子生徒だ。セレモニーの2週間前、大阪・関西万博のオランダ館でブルー仁王が展示された際、共に会場に立って、全国からの来館者に奥出雲とブルー仁王プロジェクトについて紹介した。「万博での経験は特別でした」と振り返り、最後に、これからは自分たちがブルー仁王を大切にしていくと宣言した。
足かけ10年のプロジェクトの集大成となるこのセレモニーを実現させたイェッケさんは、両地の仁王像に向けてその心境を明かした。
「故郷から遠く離れた美術館で、本来の役目を果たせずにいるあなたが哀れだなどと思った私は、なんと的外れだったことか。そして、この地を訪れよというあなたの声に従った私は、なんと正しかったことか。(中略)あなたを故郷に帰すために、本当に多くの人達が尽力しました。時には倒れそうになるほどでした。一体、540枚のタイルに宿る何が、これほどまでに私たちの心を揺さぶったのでしょう。あなたは私たちに、自らの限界や固定観念、信念のその先を見つめ、慈悲と叡智(えいち)の道を歩むよう促しました。そして私は、わからないこと、何もしないでいることの薄明かりの中にたゆたうことを学びました」
振り返れば、この日までのイェッケさんの道のりは長かった。
アムステルダムで見た仁王像に駆り立てられて、その故郷に立つ岩屋寺仁王門にあいさつをしようとやって来たのは2015年。それから立ち上がっていった彼女のアートプロジェクトは、奥出雲の人々との文化交流から始まり、2018、19年の「一緒に、共に」というブルー仁王制作プロジェクトへと発展した。
コロナ禍を挟み、2021年からは、倒壊寸前だった仁王門の解体とブルー仁王を納めるための門の再建を目指す「仁王門プロジェクト」へとスケールアップしていった。
その過程で、地元の支援者との議論や軌道修正、町との調整、寺や土地の購入など、事前にはおよそ想定できなかった多くの課題に直面した。言葉の壁もある中で、彼女が言う「わからないこと、何もしないでいることの薄明かりの中にたゆたう」日々は多かったことだろう。
仁王の「里帰り」を実現させた今、彼女はその壮大なアートプロジェクトに幕を引こうとしている。そして、ブルー仁王の未来を地元の人々に託すべく、こんな言葉を添えた。
「私は、とても楽しみにしています。あなたがこれからどう過ごし、再び森や木々、風と、あなたの人々と、どうつながっていくのかを」
最後に、「オカエリ!」と弾けるような明るい声で呼びかけた。
セレモニーの後半、私は皆から少し離れて、仁王像の背中越しに会場全体を眺めていた。後ろ姿の阿形像と吽形像は、描かれた角度のせいか、正面から見るよりもいっそうまっすぐに参列者を見おろしているようだった。
式が終わり、進行係が阿形像と吽形像の間を通るように促すと、主賓を先頭に参列者が次々とこちらに向かってきた。それはまるで、廃寺になる前には存在していたはずの結界の内の世界へと、人々が数珠つなぎになって入ってくるかのようだった。
お年寄りは皆、両側の「仁王さん」に会釈をした。子供たちは、森の中に突如として現れた不思議な像の間をうれしそうに通り抜けた。
その様子を見ながら、私は12年前の10月13日からのことを思い出していた。
2013年の今日、アムステルダム国立美術館で執り行われた開眼供養式。そこで原像の仁王像が放つ圧倒的な存在感を目の当たりにした翌年、彼らの故郷の廃寺に残る不在の形をこの目で見たくて、初めてこの地を訪れた。それから何年も経ってイェッケさんと知り合った。
このプロジェクトを終える2025年には、アムステルダムと同じ10月13日にブルー仁王もなんらかの形で開眼供養をするつもりだと聞き、そこまでの道のりがどのような文脈を紡ぎうるのかをただ見たくて、私は幾度もここへ通っていたのだった。
かつてこの場所を訪れた人が皆行っていた参拝の所作を、原像に代わってなぞらせていたブルー仁王を、森山さんは「仁王さんの分身」と呼んだ。メノーさんは「写し」と表現した。
私には、「依り代(よりしろ)」に見えた。
イェッケさんの公式サイトでは、「仁王門プロジェクト」はこう説明されている。
「物理的な意味での門、すなわち帰郷したブルー仁王の安置所としての門と、非物理的な“学び、叡智、慈悲“へと通じる入り口としての門を実現するための活動である」
だが「物理的な門」は実現しなかった。
一時は再建方法やデザインが検討されていたが、将来的な管理の難しさや、宗教色が強く出ることへの懸念などから、最終段階で白紙に戻ったのである。
現在は、540枚のタイルは剝がされて、丁寧に梱包(こんぽう)された状態で保管されている。ブルー仁王の恒久的な設置場所は、今のところ未定だ。