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オランダ在住約50年、ヤタさんが選んだ安楽死 そのプロセスは?

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生前のヤタさんこと松崎八千代さん。語学が堪能だった彼女は、通訳やコーディネーターとして、メディアやビジネスの幅広い分野で活躍した=2024年11月、Reiko Ichikawa氏撮影

5月2日金曜日、午前11時を少しまわった頃。かねての希望通り、松崎八千代さんは、安楽死によって83歳で生涯を閉じた。皆から「ヤタさん」と呼ばれて愛されていた彼女は、オランダ在住約50年。通訳やコーディネーターとしてメディアやビジネスの分野で活躍し、日本とオランダの架け橋となっていた。友人のヤタさんに請われ、私は最期の看取(みと)りを引き受けた。前半は、安楽死を決めるまでの法的プロセスを振り返る。(オランダ在住ライター・ユイキヨミ)

オランダに家族はなく、独り暮らしをしていたヤタさんが末期の膵臓(すいぞう)がんだとわかったのは、亡くなる18日前のこと。がんに対する治療は一切拒否し、できれば家で安楽死したいと願った彼女をサポートするために、私は彼女の家で寝泊まりをしながら最期の日まで伴走した。

4月14日月曜日。それまでも思わしくなかったヤタさんの体調が急変したので、家庭医で診察を受けると、今すぐ総合病院で精密検査を受けるようにと言われた。

救急に駆け込みCTスキャンをとった結果、彼女を苦しめていた背中や腹部の激しい痛みの原因は末期の膵臓がんと判明。余命は数カ月。がんが肝臓や脾臓(ひぞう)にも転移しているので、おそらく1カ月くらいで会話をすることができなくなるだろうと医者は言った。

友人の突然の余命宣告で頭の中が真っ白になる私をよそに、この結果を予測していたかのような落ち着きで、「では、安楽死を希望します」とヤタさんは言った。

3日間の検査入院を終えて家に戻り、治療が家庭医の手に移ると早速、安楽死に向けた法的手続きが始まった。自宅で行われることが多いこの処置は、家庭医が担うのが一般的だ。とは言え、それを行うことは医者にとって義務ではなく、宗教や倫理的な理由から対応しないと決めている医者も多い。安楽死を選択肢と考えているなら、なるべく早い時期に家庭医に確認しておく必要がある。もし家庭医やかかりつけ医が応じてくれない場合は、「安楽死専門センター」という特別認定医療機関に申請を出すことができる。

家庭医による意思確認は厳格かつ慎重に

安楽死に関心を持つ人々に有益な情報を提供する「オランダ自発的安楽死協会」の会員でもあったヤタさんは、この希望に応じてくれることを条件に家庭医を探していた。

彼女が通っていたのは3人の医師で運営されている診療所で、自ら安楽死を行うのは初めてという若手の男性医師が担当することになった。彼は日を変えて、幾度も彼女の決心に揺らぎがないかを確認した。同じことを繰り返し尋ねる印象もあったが、それは安楽死法の手続きの慎重さの表れでもあった。

死に方には、注射かドリンク薬があることも説明された。後者は致死薬を患者が自ら飲むので自殺幇助(ほうじょ)になるが、飲み込めなかったり、吐き出してしまったりするトラブルも多く、あまり勧められないとのことだった。

医師、訪問看護、薬局によるスムーズな医療連携に支えられて、ヤタさんは最期の日々を静かに家で過ごした。そのかたわらで私は、日本とオランダでは異なる「自己決定権」や「尊厳」の解釈について考えさせられていた=2025年5月1日、オランダ・アムステルダム、ユイ・キヨミ撮影

「本当に安楽死を望みますか?」と確認されると「はい、できるだけ早く!」と即答する彼女の言葉に、私はついつい「そんなに急がなくても!」とか「安楽死以外の可能性については聞いておかなくて大丈夫?」と横から口を挟んでしまう。

そんな私に対して、医者は「あなたには聞いていない」と主張するかのように、終始背を向けていた。彼にとって重要なのは、ヤタさんがどうしたいかの一点。家族や周囲の意向で本人の決定が左右されてはならないのだ。

こうして家庭医が確信を得ると、法的プロセスは次の段階へと進む。スケン・ドクターと呼ばれるセカンドドクターが日を改めてヤタさんと面談し、第三者的な立場から、法的適合性が再度評価される。他に治療法がなく、治る見込みのない病気で耐えがたい苦痛を伴い、本人が熟考の末、自発的に安楽死を要請していること。患者に対して病状や治療の選択肢が説明されていることなど、定められた条件が会話の中で一つずつ確認されていった。

ちなみに死後には、安楽死を行った医師は当該ケースを「地域安楽死審査委員会」という国が定める機関に報告し、法律家、医師、倫理専門家からなるチームの審議を受ける。これも法的プロセスの一環で、基準違反があれば、医師は調査や処罰の対象になる。

長年信頼関係を築いてきた家庭医、その柔軟な対応 

当初、「お見舞いは全てお断りして、残りの時間を静かに過ごしたい。片付けなければならない事務的なことが落ちついたら、なるべく早く逝きたい」と話していたヤタさんだったが、何人かの友人に会ってみると、やはり死ぬ前に近しい人たちには一通り会っておきたいと言うようになった。

安楽死への決意にかわりはないものの、タイミングは少し遅らせたいという本人の気持ちをくみ、家庭医は、必要なプロセスは判断能力がしっかりしているうちに早めに済ませ、日程は体調を見ながらゆっくり決めようと柔軟に対応してくれた。

末期がんの痛みから解放されるための措置は、安楽死の他にも、医師による自殺幇助や終末期セデーションなどがある。2024年秋にRTLというテレビ局が行った調査によれば、調査対象の8割強が安楽死制度の緩和や拡張を望んでいる=2025年5月1日、オランダ・アムステルダム、ユイ・キヨミ撮影

日頃から不調の度にまずは家庭医に相談するオランダでは、かかりつけの医者に対する患者の信頼は厚い。そんな関係性あっての、思いやりのある対応だと感じた。

準備には3、4日必要で、基本的には薬局が閉まっている週末と休日には行えないと言われた。

日ごとに衰弱はしていくものの、午前中は体調が良いことも多く、その時間帯を見計らって友人たちに見舞ってもらっていた。社交的だったヤタさんには、多くの友人がいた。

「終末期セデーション」という選択肢も

だが、しばらくの間そんな風に過ごしていると、体調の良い日は案外長く続くようにも思え、それを使い切ることなく安楽死してしまうのが私には「もったいなく」思えてきてしまった。痛みや吐き気は、薬でおおかたコントロールできていた。とは言っても、あまり先送りし過ぎると、その日が来る前に痛みに耐えられなくなり、緊急処置として間接的安楽死とも呼ばれる終末期セデーション(オランダでは、死期が2週間以内と予測される場合に行うことができる)に切り替えざるを得なくなる可能性もあると医師は言う。

死期を早める目的はなく処置の意図が異なるとは言え、終末期セデーションにも、意識をなくして苦痛を緩和するという安楽死との類似点がある。

現に、オランダでも「安楽死の代替」と見られる傾向があり、実態調査が行われていたと聞く。考えるほどに、ヤタさんにとってこの二つの処置にどれだけの差があるのかがよくわからなくなってきてしまったと家庭医に打ち明けると、彼はこんな説明をしてくれた。

ヤタさんの容体に鑑みれば、終末期セデーションはいつでも開始できる。そして安楽死はキャンセルができる。実際彼は、患者が当日の最後の意思確認で「やめたい」と言い、安楽死が取りやめになったケースを経験していた。

患者の立場から見る二つの決定的な違いは、死の瞬間を自覚して迎えられるかどうか。そして、意識が消えた後に、衰弱していく体がしばらくの間残るかどうかだと言う。

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