ウクライナ侵攻から3年、ボグダンさん「国民は疲弊、トランプ政権に期待していない」

――ウクライナがロシアの侵攻を受けてから3年になります。現在の心境を聞かせてください。
心底疲れてしまいました。ニュースを見てもネガティブな情報ばかりですし、体調もよくありません。僕としては30年ぐらいたった感覚です。
戦争が始まったころ、2、3カ月で終わると思っていました。それがどんどん長引いて。最近だと、アメリカのトランプ氏が戦争の早期終結を公約に掲げて当選したので、大統領就任式に合わせて担当特使のケロッグ氏がキーウを訪問して、停戦に関する何らかの発表があるのかなと期待していたのですが、それもありませんでした。
たとえ停戦したとしても、ウクライナの要求が認められた形でなければロシアは確実に再び侵攻してきます。国の未来が見通せない中で生活が続いていくことに対し、僕たちは気持ちをどう持って行けばいいのかわかりません。
前線の兵士たちもそうです。僕は軍に支援物資を届ける活動もしていて、兵士との交流も多いのですが、緊張状態が続く彼らの疲労を考えると、政府による抜本的な対応がないとウクライナはそう長くは持ちこたえられないのではないかと感じています。
――当初はすぐにこの戦争が終わると思ったというのは、ロシア側の勝利で終わるという意味ですか。
確かに最初は僕もそう思っていましたし、ウクライナもロシアも、全世界がそう思っていたでしょう。欧米側はウクライナが3日で負けるという感じの認識だったでしょうし、ロシアとしても、2008年にジョージア(当時グルジア)に侵攻したとき、ジョージアを力でねじ伏せた経験があったから、ウクライナも同じようにできると高をくくっていたのだと思います。
ところがウクライナ人は粘ったんです。コサック魂といいますか、自由を愛するメンタリティー。国民が団結して抵抗しました。欧米も驚いたでしょう。「ウクライナ、負けてないじゃん」と。
振り返ってみれば、ウクライナ人のこういったスピリットは、オレンジ革命1)やマイダン革命2)、ドンバス戦争3)という困難な状況をへて「進化」していったと思います。たとえ武器がなくても国民が力を合わせて立ち上がるんだという思いが形作られてきたところに侵攻が起きたわけです。僕の周りの人たちもみんな銃を手にとって、立ち上がりました。「ウクライナは勝つ」というムードでした。
だから、初期の段階で欧米が出し惜しみせず、武器支援をしてくれれば逆に2、3カ月でウクライナが勝ったのではないかと思うんです。それだけに侵攻が始まってからもう3年もたってしまったことは信じられないし、本当に疲れ切ってしまいました。
――そもそもロシアが侵攻してくることを想像していましたか。
私たちにとってもロシアは同じ東スラブ民族の「兄弟国」という認識が2014年以前にあったので、まさかロシアがウクライナに全面的に侵攻することは絶対ないと思っていました。ウクライナ東部のドンバス地方では2014年からロシアが工作員をウクライナに潜入させ、当時のウクライナ政府に反発する人たちに働きかけて親ロシア派勢力を作り、その結果、ドンバス地方で分離独立を目指す武装蜂起が起きました。まさかその8年後にウクライナ全土が戦争状態になるということは想像できませんでした。
――国民も多くがこの戦争によって疲弊し、一日も早く終わってほしいという考えは共通していると思いますが、問題は終わり方ですよね。
戦線は今、膠着状態なので、両国にとって停戦のタイミングかもしれません。しかし、単に停戦しただけでは、ロシアが力を蓄えて、半年もすれば再び侵攻する可能性があるでしょう。これを何とかしないといけない。
ゼレンスキー大統領はウクライナが1991年にソ連から独立した時に国際的に認められた領土に戻すことを言ってきました。今ロシアが占領している領土はもちろん、2014年に一方的に併合を宣言されたクリミア半島も含まれます。でも、国民はだんだん、それが不可能だと思ってきました。
じゃあ、戦争の終結としてベストな形は何か。国民の間で意見は色々あると思いますが、僕の考えは、ロシアがウクライナに今後、手を出せない状態を作ることだと思うんです。それはウクライナがスイスのような立場になることです。
確かにウクライナはオレンジ革命で、国民は国の舵取りは欧米路線を取ろうとはっきりと打ち出しました。でもそれはあくまで自由や平等、法の支配を重んじる価値観の話であって、アメリカが好きとか、ヨーロッパが好きとか、そういうことではなかったはずなんです。もちろん、ロシアと手を組む気もなかった。だったら、どちらにもくみせず、欧米とロシアの対立に巻き込まれない中立的な立場に身を置くのがいいと思います。ただ、それにはウクライナ自体がもっと強くなる必要があります。世界のリーダー国になるというレベルまで「進化」しないといけない。
現政権は基本的に外国頼みです。欧米からの支援を取り付けるために全勢力を傾けています。もちろん今はまだ、その方針は大切ですが、これからは自分の国を自分で守れるだけの態勢を整えないといけない。
実際、昨年の夏ごろから国産兵器の開発が進み、特にドローンはロシア国内の製油所などへの攻撃を成功させています。これまでは一方的にウクライナが侵攻される側でしたが、ロシア領土に攻撃をしかけることで、ロシア人にとってもこの戦争が他人事ではなくなってきて、終結につなげることができると考えます。
――その意味では、ウクライナ軍が昨年、ロシア領内のクルスク州に越境攻撃したことはどう受け止めましたか。
侵攻が始まってから最も興奮しました。ある意味、ウクライナがこの戦争の「ルール」を変えましたよね。だってそれまではロシアが一方的に侵攻し、ウクライナは守るだけで、ロシア領内は攻撃できなかったわけですから。
ロシアは北朝鮮兵を投入してもまだクルスクからウクライナ軍を排除できていないでしょう。そこはウクライナの底力だと思いますし、こういう反撃が戦争を終えるためのかぎになると思います。
――国土の2割はロシアに実効支配されています。昨年12月にあったウクライナの世論調査によると、和平や国家の独立を維持するためには一部の領土を放棄してもいいと答えた人の割合が増えています。
そうですね。先ほども言いましたが、1991年時点の領土に戻すことは不可能だと、国民は思い始めています。でも領土について譲歩を許さず、「最後まで戦え」と強硬な態度の人もいます。そういう人ほど、海外にいるなどして、実はあまり戦争の影響を受けていない。やっぱり自分の家族が前線に行っている人、ボランティアで危険地帯に出入りしている人であれば、一日でも早く戦争が終わってほしいと思うでしょう。
――侵攻後のゼレンスキー大統領の対応についてはどう評価しますか。
戦争開始直後、逃げずに国民を励ましたことは本当に素晴らしかった。世界のどのリーダーよりもリーダーにふさわしい振る舞いでした。彼は元々政治家ではなくて、コメディアンです。それが戦争という非常事態が起きたのをきっかけに、いい意味で人が変わりました。外交に関しても全く不満はありません。よくあそこまで頑張れるなと感心します。
ただし、国内問題に関する対応はよくありません。まず汚職が蔓延(まんえん)した、腐敗した社会構造です。政権メンバーの中にも国民から問題視されている人も多いです。ゼレンスキー氏は「なくてはならない存在」と言っていますが、首をかしげますね。
国会議員の中にも、親ロシア派と言われる人たちが今も現職にとどまっています。侵攻直後に導入された戒厳令のせいで議員選挙が延期されているからです。
戒厳令によって憲法も停止され、人々の行動や言論の自由がありません。例えばテレビは一見、国民に対して情報発信をしていますが、政府のコントロール下にあるので、一種のプロパガンダになっています。YouTubeに投稿する動画でさえ制限があります。
大人の男性が出国することについて規制がかかっているのも問題です。男性が海外に出てしまえば戦争で戦う人がいなくなるからというのが理由です。でも、ウクライナ人は愛国心があるから、制限なんてかけなくても動員されれば戻ってきます。
要するに、ゼレンスキー氏は国内の問題を「戦争が終わったら解決します」と言って、後回しにしたんです。でも侵攻が始まってからもう3年です。ゼレンスキー大統領が就任してから5年です。いつまで延ばすのか。戦争が10年続いたら、国内の問題も10年は解決されないのか。それは待てません。ゼレンスキー氏には感謝もしていますし、侵攻当初は本当によくやってくれたと思います。でももう、新しい人が指導者になって、ウクライナを立て直す時期が来ていると思います。
――アメリカのトランプ大統領が就任早々、戦争の終結に向けて動いています。期待感はありますか。
全くありません。多くのウクライナ人が同じ思いでしょう。トランプさんは結局、ビジネスマンなんですよね。世界をよくしたいとか、正義があるとか、そういうことではないように見えます。トランプさんはどうやら戦争を強引に終わらせようとしている気がしますが、ウクライナ抜きでの交渉はありえません。トランプさんも自分の成果にできないと思ったら、急速に興味をなくすんじゃないですかね。別のことに気移りすると思います。
――ボグダンさんは日本語で戦況を解説する動画や、日本からの支援物資を前線や戦争孤児らに自ら届け、それを撮影した動画をYouTubeで配信していますね。日本との関わりは?
僕は1986年6月、ウクライナ東部の工業都市ドニプロで生まれました。当時はウクライナもほかの共和国とソ連を構成していて、この2カ月前、チェルノブイリ原発事故が起きていました。それまで僕の家族はキーウに住んでいましたが、放射能の影響を避けるため、一時的にドニプロに移住したというわけです。
キーウに戻りましたが、4歳のころ、研究者だった母親が神戸大学で研究することになり、ともに日本にやってきました。僕が日本と関わりを持つ始まりでした。
日本にいる間にソ連が崩壊したので、すぐにウクライナに戻ることも難しく、そのまま残ったのですが、今度は阪神大震災が起きて僕たちも被災しました。
その後は大阪で暮らしていたのですが、高校入学の段階でキーウに戻りました。大学院を終えた後、三菱商事の現地法人で働くかたわら、書道家の森本龍石さんに師事して書も学びました。三菱商事を退職後は名古屋の美容機器などのメーカー「MTG」に入りました。2年ほど在籍しましたが、ビジネス修行にもなりまして、その後キーウに戻って起業しました。
YouTubeに動画を投稿し始めたのはウクライナ侵攻が始まって1カ月ほどたってからでした。侵攻直後、日本のテレビ番組などで出演して現地の情報を報告するなどしていたのですが、話せる時間に限りがあったからです。
動画は、戦時下のキーウの状況を自ら報告したり、日本の皆さんから送ってもらった支援物資をウクライナ人に届けたりする内容です。ユーザーはほぼ日本の方です。
一方で、2023年にはウクライナの報道をもとに戦況などを解説する動画も配信するようになりました。そもそもウクライナ関連の報道量が日本で少なくなっている気がしましたし、もっとウクライナ発の情報が必要だと思ったからです。軌道に乗ってからは、1日2本ぐらい投稿していますが、皆さん見てくださるんですね。それだけウクライナのことに関心を持ってもらっているんだと思います。
――日本や日本人に訴えたいことは?
ウクライナの事を「自分ごと」の様に感じてくださって、支援をしていただいて、本当に感謝しています。この応援にしっかりと正義が勝つという形で応えたいです。
ただ複雑な気持ちもあります。と言うのも、今でも日本はロシア人の入国を止めていません。今回日本に来てびっくりしたのですが、観光などの目的でたくさんロシア人が入国しています。ロシアは北朝鮮と事実上の軍事同盟を結んでいます。日本がいつ、戦争に巻き込まれないとも限りません。
戦争を起こしたのはプーチン政権を作った一般のロシア人です。世界秩序を脅かしている国民の入国を許可することは彼らの行為を正当化していることを意味します。ウクライナ人として、世界を守っている国の代表として入国規制を切に願います。