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ウクライナ侵攻3年、日常に入り込む戦争と核の恐怖 キーウ在住ジャーナリストの視点

World Now 更新日: 公開日:
マルゴ・ゴンタールさん=本人提供
マルゴ・ゴンタールさん=本人提供

2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を本格化させてから、丸3年がたちます。ウクライナの首都キーウ郊外に暮らすジャーナリストでミュージシャンのマルゴ・ゴンタールさんに、この3年間の心境や暮らしの変化、戦争に対する思いをオンラインで聞きました。2024年12月、現地時間の午前中に行った取材中にも空襲警報が発令され、安全のために中断して一時退避することがありました。(聞き手・構成=渡辺志帆)

――Xアカウントで日々の空襲警報の発令状況や、地下鉄に避難する様子をアップしていますね。最近の生活はどうですか。

夜間攻撃があった後、もう一度眠るか、起きて早めに一日を始めるか、いつもジレンマです。私の姉なんかは、ごろりと寝返りを打ってもう一度眠れるのですが、私の場合は、爆発の映像を撮影して四つの異なるプラットフォームに投稿するので、繰り返しその映像を見ているうちにアドレナリンが出て、頭の中が脈打つように興奮してきます。そうなると、もうお手上げです。(インタビュー前に煎れた)コーヒーは、文字どおり、今日の私を救ってくれている存在です。

――2年前には活発にロシア軍の軍事行動を記録していた「7,62プロジェクト」のウェブサイトは止まっているようですが、何があったんですか。

プロジェクトは本格的な侵攻が始まる前に立ち上がりました。ロシアが国境付近にどのくらい武器や兵士を集めているか報じて、ウクライナの人々が受け入れがたい「いつ戦争が始まるのか」という難しい問いに答えるためでした。

2022年2月に全面侵攻が始まった際には、寝ずにぶっ通しで情報を集めました。状況が変わったのは約2カ月後、ウクライナ軍がロシア軍を押し戻し、進軍が止まって「前線」が形成された頃でした。

ロシア軍による住民らへの虐殺が起きたとウクライナが主張するキーウ近郊のブチャ。両軍が激しく戦った通りには、黒ずんだ焼け跡が残っていた=2022年4月8日、朝日新聞社
ロシア軍による住民らへの虐殺が起きたとウクライナが主張するキーウ近郊のブチャ。両軍が激しく戦った通りには、黒ずんだ焼け跡が残っていた=2022年4月8日、朝日新聞社

この活動が不要になったと思ったのではありません。ただ、その頃までに、ウクライナ発の報道を、外国の読者に伝えていくことがより必要だと感じるようになりました。なぜなら、英語で報じるウクライナメディアが少ないために、外国の人たちは何が起きているのか、なぜ起きているのか理解できていなかったからです。世界中の読者の数に比べて、背景まで知ることができている人は多くいませんでした。

ロシアのプロパガンダに学んだ、読者とつながる情報発信

そこで私が始めたのが、ソーシャルメディアで、より私個人の視点から戦争を伝えることでした。

読者との間に感情的なつながりを築くことは、客観性を重んじる伝統的ジャーナリズムがしてこなかったことです。その姿勢が間違いだと言いたいのではありません。ただ、私自身、2014年からロシアのプロパガンダを監視し闘ってくるなかで、「なぜロシアのプロガンダは効果があるのだろう」と考えてきました。なぜなら一部の人には、本当に浸透しているからです。そして、徐々に気づきました。ロシアのメディアやプロパガンダは人々の感情に訴え、温かみがあるのです。人々が共鳴しやすい、分かりやすい感情です。

「午前2時13分、キエフにドローン警報発令。空襲警報を聞くにはボリュームを上げて」=ゴンタールさんのX投稿より

そこにどんな情報を織り込んでいるかは別の問題ですが、性質としては、温かみがあり、とても分かりやすく感情を揺さぶるのです。ただの情報ではなく、接した者を何か大きなものの一部と感じさせ、引きつけます。

これは欧米の伝統的メディアの報道では見たことのなかったものです。学校で習う欧米メディアのジャーナリズムは、正義を貫き、情報に誤りもなく客観的……けれど、冷たいんです。もちろんメディアによって違いはありますが、それが、私がこれまで実践してきたジャーナリズムでした。でも、それを変えて、親しみやすさを出していこうと思ったんです。

家族の歴史を共有して得た気づき

そのことに気づいたのは、ロシアによる全面侵攻が始まった年の秋、毎年11月下旬の「ホロドモール記念日」の頃でした。

ホロドモールは、1930年代、ソ連がウクライナの反乱を抑え込むために人為的に起こした大飢餓です。当時、ソ連に反抗する人の多くが農民でした。農民は独立心が強く、比較的裕福だったからです。私の曽祖父は都市部に住んでいたので、飢餓はそれほどひどくなかったのですが、それでも食料が不足しました。

穀物倉庫で働いていた私の曽祖父は、大きな折り返しの付いたブーツを履いて、倉庫内を歩き回りました。そして、折り返しの中にたまった穀物をひそかに持ち帰って家族に与え、それでパンを焼いて飢えをしのいだのです。

「今日はとても特別な日。わくわくして、悲しい気持ちとうれしい気持ちを同時に感じる。この絵は私の曽祖父ミコラ。大きな折り返しのついたブーツを履いて、ホロドモールの時に私たち家族を救った。この絵を見るのは初めて。やあ、おじいちゃん。やっと会えてうれしいよ」=ゴンタールさんのX投稿より

そして、その話をSNSに投稿しました。事実に基づいていますが、それまで私がやってきた日付や事実を羅列する「冷たい」ジャーナリズムではなく、もっと「ブログ」風でした。

すると、驚くべき数のリアクションがあったんです。コメントを寄せてくれる人、投稿をシェアしてくれる人もいました。さらには、自分自身の家族の物語を共有してくれる人もいました。

そこで私は気づきました。これまでの私の報道スタイルは、いかに人々との接点が小さかったか。普段、私の書いた記事に感想を送ってくれる読者はほとんどおらず、同僚くらいでした。それが、人々が私にどんな投稿をしてほしいのか分かりました。私の出自や、何が起きているかに関心を寄せてくれました。

中には、私にメッセージを送ってきて、「友人がキーウにいて安否が知りたいけれど、そう頻繁に連絡を取れないから、あなたの投稿を見て状況を把握している」という人もいました。これまで報道機関で働いてきて、そんなメッセージを受け取ったことはありませんでした。だから今はSNSへのフィード投稿に集中しています。

それから、少しずつですが、家族の歴史についての本も書いています。ウクライナ軍にいる弟が体験したことも書こうと思っています。

ロシアと戦争に翻弄された家族

――弟のミーシャさんは、今も前線でロシア軍と戦っているんですか。

はい。今(2024年12月の取材時)は休暇で帰省しています。負傷、というほどではありませんが、暗闇でものを見るための暗視スコープのせいで、視力が低下しています。全面侵攻の前から痛めていたひざも、まだ治りません。

マルゴ・ゴンタールさんの弟ミーシャさん。ウクライナ軍でロシア戦に加わっている。(画像の一部が加工されています)=ゴンタールさんのX投稿より
マルゴ・ゴンタールさんの弟ミーシャさん。ウクライナ軍でロシア戦に加わっている。(画像の一部が加工されています)=ゴンタールさんのX投稿より

戦争に伴う負傷の程度でいえば、これらが軽いのは分かっています。でも外観はまったく健康に見えても、塹壕の中に長時間いて暗視装置を身に付ける影響は避けられないし、これも戦争がもたらす結果なのです。こうした話も本に書かなければと思います。

そう考えた理由をお話ししましょう。

さきほど母方の曽祖父とその両親がホロドモールを生き延びた話をしましたが、私の父方の高祖父母(曽祖父の両親)は、いったい誰かも分からないんです。私たちは「粛清された」と言っています。「粛清」とは要するに、ソ連に殺害されたということです。

彼らがいつ生まれたかも分かりません。高祖父の姓は子孫が受け継いでいるので、なんとかたどることはできますが、高祖母になると名前も分かりません。

私が子どもの頃、祖先のことを尋ねても、周囲の大人たちは誰も話したがりませんでした。今なら分かりますが、子どもにそんな話をするのは安全ではなかったと思います。

でも、自分が大人になって、フォロワーたちに自分の家族の話をしようとして、あるべき情報がぽっかりと穴が開いたように抜け落ちているのは非常につらいことです。おそらくは、ある程度裕福な農民だったか、(ソ連に抵抗する)活動家だったのかもしれません。ウクライナ政府の公文書も脆弱で、資料を見つけるのは容易ではありません。

そうした経験があるから、私は伝えるべき話があると、どうにかして発信して、保存しなくてはという衝動をかき立てられるのです。そうでなければ、数年後、弟は自分自身の物語を、私も体験したことを忘れてしまいます。ソーシャルメディアも記録という意味では信用できません。

特にウクライナ人は、自分の経験を、「たいしたことではない」と軽視しがちです。夜中に(攻撃の)爆発音で目を覚ますウクライナ人が「私にみんなに伝えるべき体験なんて特にない」と言うのは、この状況に耐え抜くために、自分の身に起きたことを過小評価しているからです。こうした体験の記憶は、どんどん失われていってしまいます。

これは高祖父母の喪失の直接の原因ではないにしろ、どこかでつながっていると思います。ソ連が高祖父母を粛清し、存在を消してしまって私にはもう見つけ出す方法が分からないということに怒りを覚えますし、そのことが私をより感情的にさせていると思います。

――ウクライナでは、抑圧された歴史が再び繰り返されようとしていて、その流れに抵抗したいという思いもありますか。

難しく言えばそうですし、書くことは私の仕事だからです。自分の家族のすべてについて伝えることができるようにしたいのです。それは私のエゴなのではなく、世界中のどの家族も大切だからです。

家族の歴史が途切れていて、たどるすべもない、どんな人だったか分からないというのは不愉快なことです。だから、今手にしている話は保存したい、より深く語りたいという欲求があります。

ジャーナリズムを勉強し始めた頃に誰かから言われて忘れられないことがあります。「もし、あなたがその場にいて書かないなら、誰か別の人が書くだろう。そしてあなたは、その人があなたについて書いたことを、きっと気に入らないだろう」

ロシアが広めるプロパガンダやフェイクニュースについても同じことが言えると思います。これに対処する方法はただ一つ。その場にいて、自分自身、自分の国、ニュースについての情報を十分に発信することです。フェイクニュースの入り込む余地のないほど十分に。そうでないと、人々は答えを求めて探すからです。あなたが情報を提供しないと、人々は真偽の怪しい理論や「事実」を見つけ出します。そうならないようにする唯一の方法は、自分自身が語ることです。

マルゴ・ゴンタールさん=本人提供
マルゴ・ゴンタールさん=本人提供

「ウクライナの現実は、みんなの現実」

情報によって人々を武装させているとも言えると思います。また、(情報を提供することは)「窓」を提供しようとしているとも言えます。私たちウクライナ人の身に何が起きているか、ウクライナ人として生きるとはどういうことかを、いわば説明しているのです。

結局のところ、ウクライナ人の私にも、そうではない皆さんにも、大きな違いはないのです。戦争は皆さんの身にも起こりうることです。人々は信じないかもしれません。「これがあなたたちの現実だなんて、お気の毒に」と言う人には、こう言います。「これは、『みんな』の現実です」

ウクライナから遠く離れた、たとえばアメリカやオーストラリア、南米、日本にいる人が、「悲惨なニュースが多すぎるから(見ないでいいように)スイッチを切っておこう」と考えてもおかしくありません。日本にいながらウクライナの戦争に深くつながりを感じられる人が多くないことは当然で、人間だから仕方ありません。

でも、たとえ遠く離れた国でも、過去に戦争や飢餓があって、ウクライナで起きたことを自分たちの経験と結びつけて共感することができれば、もう無関係ではなくなります。私が最終的に目指しているのは、人々に、より正しい事実と、(体験を結びつける)リンクを提供することなのです。

だから、様々なプラットフォーム上にいる約7万6000人のフォロワーに私とつながれる機会を提供して、コメントや質問になるべく答えるようにしています。「どうしてミサイル攻撃を受けながら、そんなにきれいなネイルをしているの?」とか(笑)、「どうして戦争中なのに、カフェでコーヒーが飲めるの?」といった質問もあります。平和な状況にいるフォロワーに対して、侵攻を受ける中で仕事をしたり、生活したりするとはどういうことか、説明しています。言葉に書くこと、伝えることは私が得意としてきたことです。

「自分を甘やかすことは必須。ネイルが完成(私の神ネイリストは地下にいるよ。まさに美と安全)それに、たっぷりの女子ゴシップ。退屈な人へ、はい、私たちは戦争中ですがネイルをします。なぜなら私たちは自分を美しいと感じたいし、ウクライナのビジネスを支援したいし、ロシアくたばれと思うから」=ゴンタールさんのX投稿より

最愛の母と親友を亡くして

――2024年にお母さんと親友を亡くしたそうですが、戦争が原因だったのでしょうか。

戦争中に亡くなると、前線での戦闘で亡くなったのとは違っていても、どこかで戦争とつながっています。

私の母はがんとパーキンソン病だったのですが、パーキンソン病はストレスを受けると悪化することで知られています。パーキンソン病とうつ病の関係も強くあります。だから、母は一時的にウクライナを離れた際は、状態が改善したのです。でも彼女はホームシックになったりして結局、ウクライナに戻りました。すると病状が急速に悪化して、1年もたたないうちに亡くなりました。

「私と母。いつもきれいだったけど、母自身はそう思ってなかった。最初はエンジニアになって、次に波乱に満ちた90年代のキーウで自分のビジネスを立ち上げた。母はいつも私に『自分自身のボスになりなさい』と言い聞かせた。これは女の子が聞くべき一番重要なこと。ありがとう、ママ。天国でもコーヒーが美味しいといいね」=ゴンタールさんのX投稿より

私の親友はバイク事故で亡くなりました。戦闘が原因ではありませんが、彼はウクライナ軍のためにエンジニアの仕事を数多くこなしていました。2014年当時にロシア軍と戦ったし、さらにもう一度軍隊に行きました。それでも亡くなった原因が戦闘ではなくバイク事故だったことは皮肉なことですが、私たちの誰一人として、彼が「平和な状況で亡くなった」とは思っていません。戦争の爪痕の中で亡くなったと思っています。

戦争は全てのものの中に巣くっていきます。うまくコントロールできる日もあれば、できない日もあります。コントロールできずに、様々な感情が一気に押し寄せることもあります。

たとえば、私は時々、「あなたと一緒にいるよ(We’re with you.)」とメッセージを送ってくる人に、強い怒りを感じることがあります。「いいえ、一緒になんかいないじゃない」と。送ってくれた人の気持ちはよく分かるから普段なら返事をしません。だけど、一度だけ「いいえ、一緒になんかいない。私と一緒に(退避場所の)廊下にはいないじゃない」と返信してしまったことがありました。あなたは快適な場所から、私のことを画面上で眺めているだけじゃない。それは一緒にいることにならないでしょう、と。

マルゴ・ゴンタールさん
マルゴ・ゴンタールさん=photo by Eden A. Duran

いたるところにある戦争 あえて話題にしない日常

戦争と生活が切り離せない例を挙げましょう。

以前、心理カウンセラーに、戦争が始まる前と後で人々の相談内容に変化はあったか聞いてみました。答えは、「いいえ」。ただ、以前より問題が増幅されるか、同じ問題でも人々に耐性がなくなっているといいます。離婚も多いです。人々が相談する内容は、給料のこと、転職のこと、不景気のことなどで、「戦争があって気分がすぐれない」とは言いません。戦争はあらゆるところにありすぎて、人々がわざわざ口にする必要もありません。

それを表すことがありました。

友人と自宅でおしゃべりをしていて、YouTubeやポッドキャストを聴いていたんです。ときおりウクライナの地元の広告が流れるんですが、マグネシウム入りとか亜鉛入りとか、ストレスを軽減させる効果をうたったサプリの広告が多く流れます。ただ、一部の社会的な広告を除いて戦争への言及は一切ありません。

シュールな体験だと思いました。私たちは明らかにミサイルの脅威にさらされて睡眠不良なんだから、広告だって「ロシアの爆撃のせいで一晩中眠れない?じゃあ、このマグネシウム剤を飲んで」とやれば簡単そうなのに、そうではなく、「仕事や育児のストレスがつらい?じゃあこれを」とやるんです。

それは、人々が戦争を軽視することで正気を保つためだからとも思いますし、結局は、戦争が至るところに存在しているからだとも思います。

飛来するドローンの音に耳を澄ます日々

――侵攻が始まった3年前と現在とで空襲警報への対応は変わりましたか。

空襲警報が鳴ると、まず複数の情報源からそれがどんな種類のミサイルか確認します。ミサイルにそれほど詳しくないのですが、弾道ミサイルの場合、突然着弾しますから、逃げる時間はまずありません。

ロシアのドローンがキーウ上空で爆発する様子=2025年2月5日、ウクライナ首都キーウ、ロイター
ロシアのドローンがキーウ上空で爆発する様子=2025年2月5日、ウクライナ首都キーウ、ロイター

私の近隣でもっとも安全な防空壕は徒歩15分のところにある地下鉄駅ですが、そこに逃げると決めた場合は、羽織るものをとってきたりして、エレベーターを使わずに建物の外に出るだけで5分はかかります。貴重品を入れた「非常持ち出し袋」はもう持っていません。友達とこういう話はしないのですが、おそらく持ち歩いている人は少ないと思います。理由は、もう3年目だからです。

先日はドローン攻撃がありました。屋外でジョギングしていたんですが、空襲警報が鳴ったので、イヤホンだけ外してジョギングを続けました。なぜなら、ドローンは通常、私がいる地域を攻撃してこないと分かったからです。それに、雨が降っていて、出直したくありませんでした。もしドローンが近づいてくる音が聞こえたら、直ちに逃げるつもりでした。

ロシアのドローン攻撃によって破壊されたアパート=2025年1月24日、キーウ州フレヴァハ、ロイター
ロシアのドローン攻撃によって破壊されたアパート=2025年1月24日、キーウ州フレヴァハ、ロイター

――ドローンが近づいてくる音が分かるんですか。

分かります。ドローンは、電動スクーターのような「ウィーン」という音がするんです。だから、キーウの街中を走る「モペット」と呼ばれる電動スクーターは嫌われていますね。

ドローン1機で建物の床を突き破るほどの破壊力があります。だから最初の頃は、ドローンの音が聞こえると、部屋の明かりを消して、音を立てないようにしていたんです。ホラー映画で隣の部屋をエイリアンが歩き回っているときのように。別に自分が狙われているわけじゃないけど、同じような緊張感がありました。

最近、空襲警報に、女性の声のアナウンスが加わったんです。「キーウ地方に空襲警報が発令されました。地下鉄駅は現在、防空壕になっています。地下鉄線の○○駅から○○駅は運行を中止しています」。それを繰り返すんです。

それを聞くたびに、自分は「フォールアウト」(核戦争後の世界を舞台にした人気ロールプレイングゲーム)か何かのゲームをプレーしているんじゃないかと思うことがあります。空襲警報のサイレンは恐ろしい響きで気がめいるんですが、アナウンス音声はとてもソフトで緊迫感が「台無し」です。そう思えるのも、私の(ストレスへの)対処メカニズムのせいかもしれません。

「ロシアのドローン攻撃から逃れて地下鉄駅に避難する人々。キーウ」=ゴンタールさんのX投稿より

3年たって、人々はドローンの動き方を知り、ドローン攻撃への対処法を身に付けて、やみくもには恐れなくなりました。もちろん「人狩り」をする南部ヘルソンのドローン攻撃とは違いますが。

だからだと思います、ロシアはこの冬、新型中距離弾道ミサイル「オレシュニク(Oreshnik)」や核兵器の使用をほのめかすようになりました。それで人々にある程度の不安をかき立てましたが、ロシアが狙ったほどではなかったと思います。

オレシュニクが使われた動画を見ていないので、あまりコメントできませんが、最も恐れるべきは、これに核弾頭が搭載された時です。それでも街の人々に目を向ければ、誰もが自分らしく人生を歩もうと努力しています。

前に進もうとする若者を打ち砕く、未来の不確実さ

――本格的侵攻から3年たちます。若い人たちはビジネスや人生設計で未来を描けているでしょうか。

それは本当に、人によると思います。

たとえば、私の友人はたった2日前ですが、新しいバーを開きました。2軒目のバーです。別の友人はバーの開業支援を仕事にしていて、彼女もまもなく別の新しいバーを開店させます。そうした人は未来を見すえています。

一方で、私もそうなんですが、前進している感覚と、立ちすくんでいる感覚が混在しています。自分を鼓舞するために、いくつかの物事には取り組みます。

ただその一方で、徴兵される直前の友人などは何か事業を興そうとしても、「どうせ徴兵されるのに、何の意味がある」と言います。夢を描きたくないのではなく、不確実なことが多すぎるせいです。

(2024年11月に「オレシュニク」でキーウ中枢を攻撃すると宣言した)プーチン大統領が威嚇戦術を取っていると、みんな分かっているけれど反応してしまう、気になってニュースを確認するなど、自分の生活を続けられなくなってしまう人もいます。

空襲警報が鳴って避難場所の廊下に座ってパソコンを見ていると、99%は大丈夫と分かっていても、強いストレスを感じ、アドレナリンが出て全身が焼けるように感じます。

説明が難しいのですが、死への恐怖とはまた違い、全面侵攻の最初の冬の感覚とも違います。恐怖とともに「もし私たちが皆殺しにされるなら、何をしたって無駄だ」という感じが襲ってきます。そんな自分自身に困惑もします。

マルゴ・ゴンタールさん=本人提供
マルゴ・ゴンタールさん=本人提供

この先どうなるか誰にも分からないんです。そのことが、前に進もうとする気持ちを次々に打ち砕きます。友人も言っていました。何が起きるか分からないなら、何もしないのが一番楽だ、と。そんな感覚なのです。

先日、奨学研修プログラムの応募書類を記入していて、「3年後のあなたは何をしていますか」と言う質問があり、激しく動揺しました。1カ月先のことだって分からないのです。私に計画がないわけじゃなくて、全てがかつてなく不安定なのです。やる気をくじかせますし、感傷的にもなります。どこへ行っても戦争から逃れられず、身体的に非常にきついです。

そんな感情に対処する最善の方法は仲間と一緒に過ごすことであり、何かに取り組むことです。そして、不思議な感覚ですが、「もう終わりだ」と思うと、「自分が死ぬまでにやりたいことはなんだろう」と考えます。

私は音楽活動をしていて、活動拠点のスタジオの周囲には避難できる地下鉄もシェルターもありません。それでもスタジオに行って、近くのカフェにコーヒーを飲みに行きます。ミサイルが飛んできたら危ない大きな窓のあるカフェです。おいしそうなペストリーが売っていると「ミサイルにやられるなら、食べておかない手はない」と、それも買って食べます。

「『ネイルしてないなんて、失態だわ』。そう言いながら私にラテ・マキアートを作ってくれるバリスタ。『戦争、ネイル、コーヒー、だったらよかったのに』。そして笑顔で『コーヒーにふたはいる?』。キーウのごくありふれた一日」=ゴンタールさんのX投稿より

ロシアはウクライナに核兵器を使うか

――2024年のノーベル平和賞は日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞しました。「核のタブー」への危機が増していることも受賞背景にありました。あなたはロシアが、同じ旧ソ連国家で「兄弟国」ともいわれるウクライナに対して核兵器を使うと思いますか。

もちろんです。

まず初めに、私たちはどんな形でも「兄弟国」ではありません。ウクライナはソ連に強制的に編入されました。ソ連時代に強制収容所で友人になった人たちはいたでしょうけれど。私たちウクライナ人は皆、ロシア人たちは奴隷で、私たちはそうではないと信じています。

「兄弟国」というのは、私たちを離さないためにロシアが広めたプロパガンダです。

私は具体的な(核)兵器を見たわけではないですが、ロシアはこれまで、「しない」といったことをことごとくやって来ました。ウクライナには侵攻しないと言っていたんです。よく冗談で言います。「ロシアがやるかどうか知るには、否定するのを待てばいい」と。

今回、ロシアは(核兵器使用を)「やるぞ、やるぞ」と言ってやらないでいます。もしかしたら、できないのかもしれません。でも、「ロシアが核兵器を使うほどウクライナを憎んでいるか?」といえば、答えは「イエス」です。

また、全面侵攻は、ウクライナをロシア化しようとする動きに反対した(2014年の)マイダン革命がきっかけでした。プーチンのウクライナ観は、自分のものにならないなら殺してやる、といった「有害な恋愛関係」に似たものなのかもしれません。

ロシア占領下のウクライナ南部クリミア半島セバストポリ知事とオンライン会議を行うロシアのプーチン大統領=2025年2月14日、モスクワ郊外ノボオガリョボの大統領公邸、ロイター
ロシア占領下のウクライナ南部クリミア半島セバストポリ知事とオンライン会議を行うロシアのプーチン大統領=2025年2月14日、モスクワ郊外ノボオガリョボの大統領公邸、ロイター

ロシアはウクライナ人のことをまったく理解できていません。こういう言い回しがロシア人の間で実際にあるそうです。「ウクライナ人は『間違ったロシア人』であり、『正しいロシア人』に矯正する必要がある」と。私たちがロシア人であることを忘れているから思い出させてやろうという誤った考えに陥っていて、矯正できないなら消し去ろうとしているのです。

もちろん、すべてのロシア人がこの考えだとは思っていません。異なる考えの人がロシア国内で抗議活動をすることも難しいでしょう。ただ、私はこの戦争で友人を何人も亡くしていて、客観的に見るのは難しくなっています。

ロシアとウクライナは歴史上、とても長い間、問題を抱えてきました。1人の悪い政治家が私たちを敵に回したのではありません。プーチン大統領が死んだら両国が友達になれるとは思いません。

ナチスの横暴許した歴史をそっくり繰り返す世界

――アメリカのトランプ政権についてはどう思いますか。ウクライナへの支援が削減されるとも言われます。

政治がどう動くか、知らないわけではないし、人々の言動が一致しないことも分かっています。多くの人がウクライナに来て戦争を終わらせると言ったけれど、残念ながら簡単なことではありません。

人々は議論してロシアにいくらかのウクライナの土地を割譲し、「これで十分だろう」と言うでしょう。そして、おそらく「世界大戦にならなくて良かった」と安堵するでしょう。

ロシアのプーチン大統領(左)とトランプ米大統領の写真コラージュ=ロイター

でも、侵略者は良心の呵責などみじんもなく、人命や犠牲への敬意もなく、欲深く、道理をわきまえず、「ロシアの土地を解放してやるのだ」という違法な主張を展開し、適切な対話の用意もなく、「この部分をよこせ」と言うのです。ウクライナ全土を「ロシアの土地」と呼び、「ウクライナ人が占領しているロシアの土地を開放するのだ」と主張しますが、ロシアのプロパガンダであり、まったくのでたらめです。

私は、90年足らず前の1938年にあった、まったく同じ状況のことを人々がすっかり忘れてしまっていることにあぜんとしてしまいます。ナチスドイツが、ズデーテン地方*について同じような主張をし、どうなったかといえば、それを足がかりにドイツはしばらくして周囲国を侵略したのです。

そんな教科書的な事例を、90年たたないうちに人々はすっかり忘れて、「(ウクライナの一部を割譲すれば)きっとうまくいく」と言うのです。もしウクライナの土地がロシアに割譲を強いられたら、同じことが起きるでしょう。

アメリカのトランプ大統領と電話会談を行うウクライナのゼレンスキー大統領=2025年2月12日、キーウ、ロイター
アメリカのトランプ大統領と電話会談を行うウクライナのゼレンスキー大統領=2025年2月12日、キーウ、ロイター

ロシアはウクライナの土地を奪えば、その土地の人々は訴追され、虐待され、殺され、徴兵され、子供たちは連れ去られてロシア人にされるでしょう。

しばらくしてロシアは再び私たちを攻撃し、もし彼らがウクライナの土地をさらに奪うことができれば、その土地のウクライナ人をロシア軍に入れてポーランド侵略に使うでしょう。架空の映画の話をしているみたいに聞こえるかもしれませんが、これが私が描く悪夢です。当たって欲しくない予想です。

多くの人が、そんなことが起きると信じようとしません。ロシアのミサイルが実際に着弾するまでは。だから今ウクライナを支援しているのは、ロシアが何者か、何をしてきたかをよく知るフィンランドやポーランド、東欧の国々なのです。

トランプ氏が人々を驚かせようと何をしても驚かないつもりです。推測は推測として、待つだけです。状況は悪化するかもしれません。でもこの間、もうすでに私たちはかなりひどい状況です。トランプ政権が何をしようと、私たちが戦い続けることに変わりはありません。