日本女子初の世界チャンピオンに
フェンシングの競技用ピストが30面もある。日本代表チームの練習風景は壮観だ。東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンター・イースト棟3階。パリ五輪をめざす精鋭が剣を交える。
騎士道にルーツを持つ欧州発祥のスポーツ、フェンシングには三つの種目がある。
太田雄貴さんが2008年北京五輪で日本勢初のメダルを手にしたのが、両腕と頭部を除く胴体が有効面の「フルーレ」。東京五輪で男子団体が金メダルに輝いたのは、全身が有効面の「エペ」。唯一、五輪メダルと縁がないのが、ほかの2種目のように突くだけでなく、斬るのも得点となる「サーブル」だ。
いわば日陰の存在だったサーブルが、江村美咲さん(25)の台頭で、一変した。
「パリでは、自分を信じて楽しんで試合をやりきれば、金メダルが取れると信じている」
大言壮語ではない。「楽しんで」という言葉からは、悲壮感も漂わない。何より、実績という裏付けがある。
日本が誇るただ一人の、個人種目の現役世界チャンピオンだ。
2022年の世界選手権(エジプト)で頂点に立ったのが日本女子では初、男女を通じても2015年の太田雄貴さん以来、史上2人目の偉業だった。
江村さんは昨夏のイタリアでの世界選手権で2連覇を飾った。パリ五輪で表彰台に上がれば、フェンシングの日本女子では五輪初の快挙となる。
「これまで日本選手が成し遂げられなかった結果を残せてきたのはうれしい。五輪にはサーブル、女子とも日本勢初のメダリストとして名前を刻める可能性がある」
前人未到の壁を壊してきたことへの喜びが、新たなエネルギーを生む。
サーブルに転向のきっかけは……
いわゆる「サラブレッド」だ。父の宏二さん(63)は1988年ソウル五輪のフルーレ代表で、元日本代表監督。母孝枝さん(57)はエペの世界選手権代表だった。長女は、なぜかサーブルという両親とは違った道を歩むことになる。
小学3年のとき、父が開いていたフェンシング教室に遊びに行く感覚で競技を始めた。父と同じフルーレから入った。「五輪をめざそうとか、向上心はなかった」。大会に出ても、輝かしい成績とはあまり縁がなかった。サーブルへの転向のきっかけは「賞品」だ。
小学校を卒業し、中学校に入学する前、ナショナルトレーニングセンターで、ジュニアのサーブルの大会が開かれることになった。優勝者の賞品に、アニメ「ウサビッチ」のジグソーパズルが用意されているのを見つけた。
パズルが欲しくて、父に出場したいと懇願した。父は現役時代、器用な選手で、フルーレだけでなくサーブルでも全日本チャンピオンになった実績がある。サーブルは瞬時に勝負が決まるダイナミックさが魅力だ。
父は「相手の剣をたたいてから、前に出なさい」とシンプルな戦略を娘に授けた。結果は優勝。それまで経験してこなかった頂点に立つ喜びを体感した。ちゅうちょなく、サーブル転向を決めた。
ところが、中学に入り、挫折を味わうことになる。福岡県のジュニア世代のタレント発掘事業で見いだされ、日本オリンピック委員会(JOC)のエリートアカデミー生として上京してきた同学年2人の壁だった。「2人はフェンシングが未経験だったので、最初は勝てたんですけど、福岡県でトップ級の運動神経なので、あっという間に抜かれました」
同期のライバルに触発され、向上心に火がついた。中学3年のとき、英国で開かれた国際大会で優勝して、世界の舞台で戦う意識も芽生え始めた。
高校1年だった2014年、アジア選手権で準優勝した。2年後にリオデジャネイロ五輪が控える。筆者は父との「親子出場」という話題性もあるし、「リオの新星」として記事を書くのを楽しみにしていた。五輪の代表争いでも、好位置につけていた。
ところが、当時のことを聞くと、肝心の本人に本気度が足りなかった。
「自分が五輪に近づいている自覚が全くなくて……。代表選考レースの終盤に日本人トップの先輩と4ポイント差しかないと気づいた。そこから、代表を意識したら、逆に崩れてしまいました」
やる気が空回りする悪循環で、リオ出場を逃した。先輩の練習相手であるサブメンバーとして、リオの地は踏んだ。「やっぱり、自分が出たかったな。五輪への決意が固まったのは、リオでした」。南半球の地で、自国開催となる4年後の東京への気持ちを強くした。
大学4年で迎えるはずだった東京五輪は、コロナ禍で1年延期になった。中央大学を卒業した2021年春、不動産業などを手がける立飛ホールディングスと所属契約を結んだ。社員選手ではなく、プロとして活動する形態で、メジャー競技とはいえないフェンシングでは異例だった。
「プロ宣言」の記者会見も開いた。
「結果次第で収入が変わるし、結果を出せなければ活動を続けられなくなるかもしれない。リスクもあるけれど、自分の価値を上げる挑戦だと思っています」。会見で語った抱負に、安定を捨てて、自分の可能性を信じて進む覚悟がにじんだ。
不完全燃焼に終わった東京五輪
初出場となった東京五輪は個人戦で3回戦敗退。団体もメダルを逃した。不完全燃焼の思いから、休暇返上で練習を再開した。そこで、心と体が悲鳴を上げた。いわゆる燃え尽き症候群。2022年3月末から2週間ほど、全く剣を握らない充電期間を経て、やる気が戻った。
新たに就任したフランス出身のコーチ、ジェローム・グースさんからの学びが新鮮だった。親日家のグースさんはいう。「日本には柔道の歴史がある。講道館の流儀を学ぶことは大切だ。フェンシングは欧州が発祥なので、謙虚で控えめな日本人の美徳は、試合をする局面ではプラスにならない。審判へのアピールを含めて、表現力が大事だ」
江村さんについては、170センチと体格に恵まれている点に加え、アドバイスに耳を傾けて自分の戦術に落とし込む賢さが強みだという。「意見が食い違うこともある。でも、コーチと選手はそこで議論を戦わせることが大事。選手の個性を押し殺しては、才能は開花しない。美咲には感情豊かに、自由に、美しく剣を振るって、と説いている」
2022年5月に初めてワールドカップ優勝を果たすと、その7月の世界選手権で頂点に。昨夏は直前のフランス合宿での体調不良をはねのけ、連覇を果たした。
「世界女王」のタイトル獲得で、所属会社から報奨金のボーナスが出た。1度目が300万円、2度目は500万円とジャンプアップした。
プロの自覚は、アスリートとしての発信力にも生かされている。ロシアのウクライナ侵攻を受け、スポーツ選手の権利向上をめざす支援団体「グローバル・アスリート」が昨年3月、ウクライナに侵攻するロシアと、協力国のベラルーシの国際大会からの除外継続を求める書簡を国際オリンピック委員会(IOC)に出した。江村さんも署名に名を連ねた。
「何が正しいのか、私がすべてを把握しているわけではないですし、ロシアの選手個人が悪いわけではない。ただ、ウクライナ選手が世界に助けを求めているときに、傍観するのではなく、寄り添いたい気持ちになった。自分の素直な思いに従いました」
7月26日に開会式が迫るパリ五輪。フェンシング会場は、1900年パリ万博の会場だった「グラン・パレ」という由緒ある建造物だ。「同じ会場で開かれた2010年世界選手権に出た先輩から、すごい雰囲気だったと聞いているので、すごく楽しみです」
心底、楽しめた先に、金メダルが待つ。そう信じて。