レジにいる接客係は、満面の笑みを浮かべてフライドチキンのサンドイッチを薦めてくれた――と思ったけれど、トンカツだったのかもしれない。
というのも、インターネットの回線が不調でよく聞き取れなかったからだ。その接続先は、接客係のフィリピンの自宅だった。
ここは、ニューヨーク市クイーンズ区のロングアイランドシティーにある食堂「サンサン・チキン」。客を出迎えてくれた接客係は「ロミー」とだけ名乗り、姓は教えてくれなかった。こうしたバーチャル接客係は市内にある数軒の飲食店に計12人おり、全員が地球の反対側で働いている。
この方式は、浮き沈みの激しい飲食店業界の先駆的な試みなのかもしれない。小規模経営店が多く、いずれも賃料の値上げや高いインフレ率に悩まされている。
一方で、この労働モデルは、悪用の温床になる恐れが強いと警戒する向きもある。ニューヨーク市の最低賃金は16ドルだが、はるかかなたにいる接客係に支払われる時給は、その雇用主によるとわずか3ドルにしかならない。
バーチャルの接客係12人は全員、フィリピンに住んでいる。そうとは知らずに店に入った客がモニター画面に近づくと、オンラインシステムの「Zoom(ズーム)」を介して接客係が現れる。ニューヨークでランチをとろうとしている客との時差は12時間。にもかかわらず、温かく出迎えてメニューを説明し、客を店内に招き入れる。
ただし、不審に感じて、こんなZoom会話をする気にはなれないという客も中にはいる。
「『いらっしゃい』って声は聞こえても、『何、これ?』って感じだった」とシャニア・オルティス(25)は振り返った。近所にある日本食堂の「サンサン・ラーメン」(「サンサン・チキン」の姉妹店)に最近行ったときの印象だ。入ってすぐのところに金縁のモニター画面があり、客の動きを追うカメラと連動している。「こんなの絶対にいや」とオルティスは吐き捨てるようにいった。
この接客システムを開発したのは、バーチャルアシスタント会社「Happy Cashier(幸せなレジ係)」を設立したチー・チャン(34)。実際の接客係は海外にいると2024年春にSNSに投稿され、一躍注目を浴びた。
チャンは、不意を突かれた。前年10月からこのサービスを試験的に小規模に始めていたが、まだ会社のサイトも立ち上げていなかった。
技術的には、ニューヨーク市のクイーンズ区とマンハッタン区、それに隣のニュージャージー州のジャージーシティーにある店で使えるようになっている。サンサン・ラーメンとサンサン・チキン、小籠包店の「ヤソ・キッチン」もその中に含まれる。チャンによると、ほかに中華料理店2軒が利用しているが、店名を出すのを拒んでいるという。
チャン自身は市内のブルックリン区にある上海料理店「ヤソ・タンバオ」の前経営者で、コロナ禍のあいだ店を閉めざるをえなかった。
その経験から、高い賃料とインフレが飲食店の経営を圧迫していることを改めて思い知った。だから、海外で電話を受けるコールセンターに似たバーチャル接客事業があれば、小さな売り場を最大限活用し、店の効率化を図れるのではないかと考えたという。
客の相手をしていないときは、バーチャル接客係は出前の注文をさばき、電話を受けたり店のオンライン評価サイトを監修したりする。つまり、料理の注文は受けられるが、現金取引だけはできない。
雇っているのはチャンの会社「Happy Cashier」で、飲食店との間に雇用関係はない。それに、時給3ドルは、フィリピンの同様の業務のほぼ2倍の賃金になる、とチャンは指摘する。
チップ(訳注=米国の飲食業界などで接客を担当する人たちにとって、収入のかなりの部分を占めることが多い)をどうするかは、飲食店側に委ねられている。一日に受け取ったチップを合算し、その30%をバーチャル接客係に渡している店も1軒あるという。
飲食業界は、長らく移民が新しい暮らしを始めるときの出発点となっており、給与の不払いなどの違法行為の温床になってきた。
しかし、このチャンの方式は、法には触れていない。最低賃金法は、「地理的に州内にいる人だけを対象としている」とニューヨーク州労働局の広報担当は明言する。
事業をできるだけ早く拡大し、2024年中にはバーチャル接客係をニューヨーク州内の100軒以上の店に置きたい、とチャンは抱負を語る。
これについて、州内の最低賃金引き上げを推進してきた非営利団体「Restaurant Opportunities Centers United(飲食店労働者センター連合)」の幹部テオフィロ・レイエスは危機感を募らせる。「海外に作業を外注する方法が出てきたことには、強い憂慮を感じる。この業界の賃金に、激しい下方圧力をかけることになるからだ」
ファストフード店で働く人の数はすでに減ってきており、この新しい事業モデルは飲食業界にさらなる変革をもたらすかもしれないとジョナサン・ボウルズは見る。社会政策についてのシンクタンク「Center for an Urban Future(都市未来センター)」の幹部役員だ。
ニューヨーク市内のファストフード店は、コロナ禍前の2019年には1軒あたり平均9.23人を雇っていたが、2022年には8.5人に減っている。
バーチャル支援は、顧客サービスや企業環境の中では一般的になっている。しかし、実体的な接客を伴う飲食業界ではまだ珍しい。
最近の例としては、カナダ発祥のファストフードチェーン「Freshii」がある。2022年にバーチャルなレジ係を配置する事業者「Percy」と提携した後、雇用の外注化を主張したことで反発を受けた。
これについてチャンは「事業モデルの違い」を強調する。「向こうはサービスそのものだが、うちが提供するのは手段で、それをどう使うかは店しだいだ」と顧客の飲食店について話した。
チャンの不意を突く形でバーチャル接客係についてSNSに投稿したのは、人工知能(AI)企業の設立者ブレット・ゴールドスタイン(33)だった。寄せられたコメントの一部は「こんな事業モデルは暗黒郷に等しい」とこきおろす内容だったが、多くは興味をそそられた様子だったという。
ニューヨーク市マンハッタン区のイーストビレッジにあるサンサン・チキン。マネジャーのロージー・タン(30)は「零細企業にとっては、これが生き残りへの手段になる」とこのサービスを称賛した。「お金とスペースを浮かせられたので、店内に小さなコーヒースタンドを併設できるかもしれない」
ただし、実際にはこの事業モデルには、多くの死角もある。
冒頭で紹介したサンサン・チキンのクイーンズ店。記者がタッチパネルのメニューでチーズ抜きのサンドイッチを注文しようとすると、画面のバーチャル接客係は助けにならなかった。隣接するサンサン・ラーメンはチキン店とキッチンを共有しているので、そこにいる実在の店員に直接注文してほしいという返事だった。
米金融大手ゴールドマン・サックスの社員ウィル・ジャン(30)はこのほど、ニュージャージー州ジャージーシティーにあるヤソ・キッチンでランチを食べたときに、出迎えたバーチャル接客係の「アンバー」を完全に無視してしまった。「タクシーの車内によくある動画広告だと思ってしまったんだ」
でも、アンバーは軽く受け流した。大学で経営管理学を学んだあと、ファストフード店で実際に働いていた。このバーチャル接客の仕事は3カ月前に始めたという(やはり姓は明かさなかった)。
「在宅勤務は、これが初めて」と語る背後には、バーチャルで口ひげを生やした小籠包のキャラクターが描かれていた。
で、住まいはどこ、と聞くと、アンバーは口ごもった。
「残念ながら、これ以上個人的なことは話せない」というと、聞き返してきた。「注文があったら、どうぞ」(抄訳、敬称略)
(Stefanos Chen)©2024 The New York Times
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