むき出しの正方形の基礎の上に、長方形のコンクリートブロックがいくつか並んでいる。まるで、放棄された建設現場のようだ。
ここは、ドイツ南部の町ウェムディング。2023年9月上旬の土曜日に、300人ほどが郊外の丘の上にあるこの場所に集まり、先に並べられた3個のブロックの隣にクレーンで4個目が設置されるのを見守った。観客の中には米サンフランシスコからやってきた人たちもいた。
みんな、ウェムディングの町をあげて制作中のパブリックアート(訳注=広場や道路、公園など公の場につくられる芸術作品)の最新の段階を見にきていた。
10年に1個ずつ、ブロック(高さ6フィート〈約1.83メートル〉、幅4フィート〈約1.22メートル〉)を置いていく。題して「時のピラミッド(Zeitpyramide〈ツァイトピラミーデ〉)」。高さ24フィート(7.3メートル強)のピラミッドができあがるまで、あと116個。完成は、西暦3183年になる。
この町に住んでいた芸術家マンフレット・ラーバー(2018年没)が、この作品を1993年に発案した。町の歴史の始まりから1200年の節目の年だった。
素材とその大きさ、設置の順序は決められていたが、それをどう進めていくかは住民に任された。2003年には、作者と町当局が「ウェムディング・時のピラミッド財団」を設立。世代を超えた制作と資金繰りが、ここに委ねられた。
これまでのところ、財団側はラーバーの原案を尊重してきた。しかし、それは千年を超える時間の中で変わっていくのかもしれない。社会の規範や技術、思想が移りゆくのと同じだ。
将来の世代が色を付けたり、彫刻を施したりすることもあるだろう。しかし、どうなるかを予測するのは、町の出発点とされる西暦793年の住民が今日を予想するのと同じくらい不確かなことに違いない。
ラーバー自身は、「作品が自分の手を離れ、独自の道を歩むようになり、運営にあたる地元コミュニティーが自らの思いもしなかった方向にかじを切ることになるとしても、鷹揚(おうよう)に構えていた」と娘のバーバラ・ラーバーは筆者に語った。
今回のブロックの設置式に参加していた町民の一人カール・ハインツ・ヨーンは、1回目の1993年からすべての設置を見届けてきた(自動車業界で管理職を務め、今は引退している)。
思い出すのは、町内で賛否両論が噴き出した当初の反応だ。「真に進歩的な発想で、すばらしい」という人がいた。一方で、「正気のさたとは思えない」という声も聞かれた。
最も大きな論争の一つは、コンクリートを使うことの是非だった。単調で醜悪だという町民もいた、とバーバラは振り返る。しかし、「父は素材に明確な意図を込めていた」と続けた。
「まず、視覚的な中立性。さらには、高価ではなく、純粋に機能的でもある。大理石のようなものを使えば違う意味合いがもたらされ、このピラミッドを記念碑か何かのようにしてしまう」
ラーバーと長年にわたって親交があった財団メンバーの一人、クラウス・シュレヒトは、この素材には言葉遊びが込められている、と別の解釈をあげる。
英語では、コンクリートには「具体的」(訳注=ドイツ語ではkonkret〈コンクレート〉)という意味もある。「時」をもっと具体化し、もっと触って分かるようにしたかったのではないか、との見方を示す。
世代を超えた時間軸で作品を考えたのは、20世紀後半のドイツの芸術界ではラーバーだけではなかった。
1982年から1987年にかけて、芸術家ヨーゼフ・ボイスは「7千本のオーク」と題する作品で、ドイツ中部カッセル市に何千本ものオークの木を植えた。
1996年には、彫刻家のボゴミール・エッカーが「鍾乳石マシン」をつくった。ポタポタと水滴が垂れて鍾乳石ができる過程を向こう500年にわたって人工的に再現するもので、ドイツ北部のハンブルク美術館に設置された。
そのころから、長期に及ぶ芸術プロジェクトが欧州内外で始まった。こうした作品を守る運営者の何人かが今回、ウェムディングでの設置式に参加した。
旧東独地域の町ハルバーシュタットからは、639年間続けられる楽曲演奏(訳注=米作曲家ジョン・ケージの作品)の関係者が。オランダの街(ユトレヒト)からは、何世紀にもわたって通りの敷石に詩を記していく「Letters Of Utrecht(ユトレヒトの文字)」の関係者。英オックスフォードシャーからは、チョーク質の土壌の丘にある青銅器時代の白馬の地上絵を保守・管理するために毎年続く、巡礼のような集いの関係者。そして、米テキサス州からは、1万年も時を刻み続ける巨大な時計の関係者が来た。
こうした活動は、最近までは個々別々に続いてきた。しかし、オランダで医療機器会社を営むミハエル・ミュンケルが、各地の活動の担い手を結ぶネットワーク「Long-term Art Projects(長期制作の芸術プロジェクト)=LTAP」を立ち上げ、情報交換ができるようになった。
ミュンケル自身は、「Letters Of Utrecht」の運営者の一人だ。土曜日ごとに、地元の詩人ギルドのメンバーが選んだ文字を石工が敷石に刻んで地面に埋め、詩をつむいでいく。どの文字にも個人か家族が寄付をしており、その数は1200を上回るまでになった。西暦2300年を超えて続ける計画だが、もちろん海抜数メートルのこの街が(訳注=温暖化による海面上昇で)水没していなければの話だ。
詩が完結するまでに、自らは死を迎えていることは分かっている。でも、そのことがむしろ関与する動機になっている、とミュンケルは話す。
「次の世代にバトンを渡すという発想に価値があるのではないか」と筆者の質問に答えた。「こうした長期制作の芸術活動すべてに共通するのは、100年を超える視野だ。100年にわたって何かをやり続けようとすれば、自分だけで完結することにはならない」
そのミュンケルが、今回のウェムディングでの設置式であいさつをした。「『時のピラミッド』を始めとする長期の制作プロジェクトが、気づかせてくれることがある。どの世代にも、後世の人々の選択肢や可能性を広げる遺産となるものを残す務め、あるいはあえてそれを差し控える務めがあるということだ」と語り、こう続けた。
「後世の世代には、現在に関する決定権がない。私たちが後世の世代に害をなす選択をしたとしても、止められない。さあ、そんな構図を変え、『よき先祖』になろう」
それを聞く地元の聴衆の中には、子ども、親、祖父母の各世代がいた。式典の前に、子どもたちは1993年、2003年、2013年に置かれたコンクリートブロックの上に登り、3個の直方体の上を跳びはねて遊んだ。その一人、ダービット・ディンケルマイヤー(9)は、テディベアのぬいぐるみを残して下りた。それは、4個目のブロックが所定の場所に下ろされるまでそこにあった。
ダービットの母親クラウディア・ディンケルマイヤーは、1993年にあった初めての式典を思い起こしていた。5歳か6歳だった。ピラミッドづくりの進み具合を振り返ることは、この町に住む者にとっては人生の節目をなぞる手がかりにもなっている。
みんながいなくなると、新しく置かれたブロックの側面には泥をこすりつけた落書きがあった。だれかが、指で殴り書きをして設置の日付を残そうとしていた。それは、すぐに消えるに違いない。同じように、この日の式典に来た人々も、いずれはいなくなることだろう。
でも、このブロック群は時の経過に耐え、1200年後もそこにあり続けるだろう。悠久の時の流れを、コンクリートで具体的に示しながら。(抄訳)
(Richard Fisher)©2023 The New York Times
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