1. HOME
  2. World Now
  3. ウクライナ侵攻が一因か 黒海で相次ぐイルカの死 戦争犯罪「エコサイド」の指摘も

ウクライナ侵攻が一因か 黒海で相次ぐイルカの死 戦争犯罪「エコサイド」の指摘も

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
海洋動物学者Pawel Goldinの指揮のもとで始まったイルカの解剖の準備=2023年7月18日、ウクライナ・オデーサ、Laura Boushnak/©The New York Times

黒海に面したウクライナ南部の港町オデーサ。ビーチが続く近くの海辺で、その「犠牲者」が見つかったのは2023年の初夏のことだった。死因は分からなかった。

しばらくたって、解剖されることになった。小雨が降る中、屋外で解剖が行われ、何人かの捜査関係者と地元検察当局の代表が1人、それに複数の民間の立会人が立ち会った。

海辺の死体はネズミイルカ(訳注=沿岸や河口に生息する小型のイルカ)だった。このところ、群れごと死んで黒海の沿岸に打ち上げられることもある。

「イルカは単にかわいい生き物というだけではない」とウクライナ海洋生態科学センターで海の哺乳類の個体群を専門に研究しているPawel Goldin(以下、人名は原文表記)は、解剖を前にこう語った。「海洋の生態系の中では要となっており、イルカの状況がよくないということは、生態系全体の状況もよくないことになる」

その言葉通り、黒海のイルカには今、問題が起きている。

イルカの窮状は、ロシアによるこの戦争がもたらすすさまじい被害が、海洋生物とその環境にも広く及んでいることを物語っている、とウクライナの当局者は見る。その観点から、記録し、訴追する対象とするようになった。

国際犯罪としては、ジェノサイド(民族・集団虐殺)と人道に対する罪、他国への侵略、戦争犯罪という四つの具体的な行為が認められている。ウクライナは、これに五つ目の行為「エコサイド」(訳注=「エコ」と「ジェノサイド」を組み合わせた造語)を加えたいと考えており、ロシアを立件しようと取り組んでいる。今回のネズミイルカの解剖も、その一環だ。

「私たちは、環境への戦争犯罪とエコサイドへの責任を追及するために戦略を組み立てているところだ」とMaksym Popovは話す。ウクライナ検事総長の顧問の一人で、環境問題を専門としている。「ただし、その手法はまだ確立されてはいない」

ネズミイルカも普通のイルカも、一般の人はあまり区別をしていない。しかし、実際には別々の種で、いずれも絶滅の恐れがある。

A dolphin show at a hotel in Odesa, Ukraine, on July 18, 2023. The animals are dying in droves in the Black Sea, and Ukrainian officials are documenting the deaths, hoping to prosecute Russia for the war's
オデーサのホテルで開かれていたイルカのショー=2023年7月18日、オデーサ、Laura Boushnak/©The New York Times

ウクライナでのロシア軍の残虐行為を文書化し、起訴する動きは、広範すぎるほどの取り組みになっており、ウクライナ政府は米英と欧州連合(EU)の専門家の支援を受けている。実際に捜査を進めている戦争犯罪は、何万件とある。罪なき人々の殺害、民間の社会基盤や町全体の破壊、誘拐、拷問・性的暴行の数々、さらには男女、子どもを問わずの強制的な国外移送……。

これほど多くの記録すべき被害を抱えながらも、ウクライナの戦争犯罪に関する諮問委員会は、環境犯罪の捜査と起訴に人的・物的な資源を割いている。

「環境は、よく『戦争のものいわぬ犠牲者』とされる」と先の検事総長顧問のPopovは指摘する。それを、ウクライナは何とか変えようとしている。「環境には国籍もなければ、国境もないだけに」

この問題をウクライナがいかに重視しているかは、ゼレンスキー大統領の姿勢にも表れている。戦争終結に向けた交渉の土台として10項目の和平案を提唱しており、その一つとして「環境保護の即時実現」を盛り込んでいる。

ウクライナの環境保全・天然資源相Ruslan Striletsは、環境問題の捜査担当者がすでに900頭以上のイルカの死体からデータを集めていることをニューヨーク・タイムズ紙に明らかにした。ウクライナの沿岸だけでなく、やはり黒海に面したトルコとブルガリアで見つかった死体も含まれている。2023年7月には、1週間に死んだイルカが10頭も見つかり、いずれについても死因を調べているという。

「これは、まさに戦時における新たな課題だ」とStriletsは評する。「環境犯罪についての情報は、いかなるものでも見逃すわけにはいかない」

そこに、最悪の追い打ちが加わった。すでに今回の戦争で生態学的に破滅的な環境破壊がもたらされていたところに、(訳注=2023年6月6日、南部ヘルソン州にある)カホウカ・ダムが決壊。膨大な量の汚染された水がドニプロ川を流れ下り、黒海に注ぎ込んだのだった。

FILE — A fuel truck partly submerged in floodwaters after the destruction of the Kakhovka dam in Kherson, Ukraine, on June 8, 2023. The destruction of the dam, which sent trillions of gallons of polluted water down the Dnipro River and into the Black Sea, was the most serious blow to the environment in an already ecologically catastrophic war. But even before then, dolphins were dying at an alarming rate.(Brendan Hoffman/The New York Times)
カホウカ・ダムの決壊で流された燃料タンク車=2023年6月8日、Brendan Hoffman/©The New York Times

ただし、イルカの死は、それ以前から驚くべき勢いで増えていた。ウクライナ南部の黒海沿岸を脅かすロシアの軍艦は、常にソナー(水中音波探知機)を使っており、それがイルカの方向感覚を狂わせているのではないかと科学者は疑う。イルカ独自の天然の音波探知システムと干渉しあうと考えられるからだ。

これにさまざまな爆発やミサイルなどの発射、ジェット戦闘機の低空飛行が加わり、イルカにとっては精神的な苦痛となる不快音が常態化している。もっとも、そのどれかを単独でイルカの死因に結びつけられるほど研究は進んでいない。

沿岸海域にばらまかれた機雷も、新たな致死性の障害物となっている。爆発物や漏れた燃料から広がる汚染物質、戦争に関連したがらくたのような漂流物も、ヘルソン州など黒海北部の沿岸に設けられた「黒海生物圏保護区」(世界的に重要な湿地帯として分類されているウクライナ最大の保護区)の貴重な自然を損ねている。

A poster on the wall at a beach resort highlighting the danger of nearby sea mines, in Odesa, Ukraine, on July 18, 2023. Ukrainians have continued to head to the beaches in Odesa, despite attacks on port infrastructure and the city. (Laura Boushnak/The New York Times)
「機雷に注意」とのポスターが貼られているオデーサのビーチ=2023年7月18日、Laura Boushnak/©The New York Times

カホウカ・ダムの決壊が環境にもたらした広大な影響は、まだ懸命な調査が続いている段階だ。決壊で生じた洪水には、ダム内の堆積(たいせき)物にたまっていた重金属や農薬、肥料に使われる栄養素(とくに窒素とリン)が多く含まれていた、と先の海洋生態科学センターのGoldinは問題の物質をあげる。下流では富栄養化で大量の藻が発生しており、有毒物が生じる恐れも出ている。

黒海にいるクジラ目(くじらもく:訳注=いわゆる鯨類)について行われた2019年の大がかりな生息数調査によると、ネズミイルカが20万頭、普通のイルカが12万頭に加えて、ハンドウイルカ(バンドウイルカ)が2万から4万頭すんでいると見られた、とGoldinは説明する。

一部の環境保護活動家は、この戦争が始まった最初の1年だけで黒海では5万頭を超えるイルカが死んだ可能性があると推測している。ただし、実際に解剖など法医学鑑定にあたった専門家の見方は、もっと慎重だ。

戦争が直接の原因となってどれだけのイルカが死んだかについては、まだ推定できる段階にない、とGoldinも話す。ウクライナは国際的な協力も得ながら、現状把握に努めているところだという。

ウクライナは、環境への打撃を記録する新たな方法論を築くことから始めねばならなかった、と環境保全相のStriletsも語る。黒海は戦場と化しており、ウクライナの沿岸の多くはロシアに占領されている。しかも、多くの海域は戦火のため、現場に行くことすらままならない。

しかし、打ち上げられたイルカの死体を記録にとどめることは、一つの方法だろう。その死因を探るとなると、非常に複雑な作業になるとしてもだ。

「診断は、あらゆる調査を尽くした結果として出るものなのだから」とGoldinはいう。

Performing a necropsy on a dolphin, under the supervision of the zoologist Pawel Goldin, in Odesa, Ukraine, on July 18, 2023. The animals are dying in droves in the Black Sea, and Ukrainian officials are documenting the deaths, hoping to prosecute Russia for the war's ecological toll. (Laura Boushnak/The New York Times)
Goldinが指揮して続くイルカの解剖=2023年7月18日、オデーサ、Laura Boushnak/©The New York Times

イルカの解剖が終わるたびに、ウクライナは採取した標本をイタリアのパドバ大学とドイツのハノーバー大学に送り、さらに分析してもらっている。

その分析には、まだ時間がかかるとGoldinは見ている。黒海の海洋生物について大規模な調査を実施できるのも、戦争が終わってからになる。そこで初めて、真の被害実態が判明することになるのだろう。

それでも、一頭一頭のイルカの死について記録し、調べておくことは、重要な証拠を残すことにつながる。

この夏に解剖された冒頭のイルカの話に戻ろう。死んだのは、解剖の数週間前だった。カホウカ・ダムが決壊して数日後ということになる。しかし、関連作業ができるウクライナの要員はあまりに少なく、きちんとした手続きにのっとって、科学的にも犯罪捜査の上でも条件を満たすように解剖するには、しばし死体を冷凍保存せねばならなかった。

「これは小さいね」とGoldinは死体を見つめながらいった。作業スタッフが、解凍するために解剖台に置いていた。メスが入ると、屋外とはいえ、強烈な臭気があたり一面に漂った。

終了後、驚いたことがある、とGoldinはもらした。胃袋がいっぱいで、死ぬ直前まで少なくとも5種類の魚を食べていたことだ。

「これほどたくさん食べていたということは、まだ十分に生き続けられる状態にあったことを示している」とGoldin。「なぜ死んだのか、謎は深まるばかりだ」

イルカに何が起きているのか。あと何カ月かすれば、もっと全体像に迫れるのでは、とGoldinは期待しつつも、ため息をつかざるを得ない。「自然保護の最良の執行人は、ウクライナ軍なのかもしれない」━━戦争さえ終われば、環境破壊も終わるはずだからだ。

「私たち科学者は、自然を守る最も優れた番人ではないのではないか。そう思うほど、ロシア軍が自然に対してなすことには、衝撃を受けた」とGoldinは唇をかむ。「ウクライナ軍が黒海の制海権を早く確保するほど、その自然も早く回復するのだろう」(抄訳)

(Marc Santora)©2023 The New York Times

ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから