東部クイーンズランド州ブリスベンから西に130キロ。森の中の道を進むと、野生動物のリハビリ施設に行き着く。訪れた7月中旬、8匹のコアラがリハビリ中だった。「この子は高さ30メートルのユーカリの木の上にいるところを救出した。母親は森林火災の煙を吸って死んでしまった」。施設を切り盛りするトリシュ・リーホンさん(64)が説明した。昨年後半から今年初めにかけて全土を森林火災が襲い、数万匹が死んだとされる。
体調不良のコアラも施設にやってくる。以前、容体が悪化した3匹を病院に運んだが、急変して死んでしまった。解剖すると、悪性リンパ腫が消化器系の内臓にも転移していた。リーホンさんは「10年ほど前から、原因はウイルスのようだというケースを聞く」と話す。
「土地開発や森林火災、干ばつによる環境の悪化と、ウイルスによる病気の蔓延(まんえん)は、結びついている」と現地で保護活動を支援するNGO、オーストラリア日本野生動物保護教育財団の水野哲男理事長(64)はいう。「HIV(エイズウイルス)と同じで、コアラもウイルスに感染したからと言って、必ずしも発症するとは限らない。ただ、すむ場所が狭められ、精神的にも肉体的にもストレスがかかると発病しやすくなる」
原因とみられるコアラレトロウイルスが確認されたのは2000年。白血病や悪性リンパ腫などのがんを引き起こすと考えられている。14年に発表されたオーストラリア博物館の論文によると、国内の六つの動物病院などで過去15~28年間に治療後に死んだコアラ303匹のうち、これらの病気が死因だった例が32%を占めた。泌尿器や生殖器の疾患をもたらすコアラに多い性病のクラミジアとの関連も指摘されている。
そんなウイルスが、世界中の科学者たちの注目を集めている。コアラの間で感染を広げているだけでなく、ウイルスのゲノムがコアラのゲノムに組み込まれ、次世代に受け継がれつつあるからだ。ウイルスが流行していると、極めてまれだがこのような現象が起き、「ウイルスの内在化」と呼ばれている。
コアラが生息する東岸一帯で、最も北側に位置する同州では、ほとんどのコアラにこのウイルスが内在化している。だが、1920年以降にコアラが持ち込まれた南部のカンガルー島では、内在化したコアラはとても少ない。このことから、この100年間に内在化したコアラが急に増えたとみられる。
内在化は時に宿主に進化をもたらす。たとえば、人などの哺乳類の胎盤は、3000万年前に内在化したレトロウイルスをはじめ様々なウイルスがかかわってつくられたことがわかっている。
これに対して、数千万年前から巨大大陸のゴンドワナ大陸から徐々に切り離されたオーストラリア大陸では、胎盤が未発達なコアラなどの有袋類が独自の進化をしてきた。最近になってコアラがレトロウイルスに感染したことで、異変が起きている。
クイーンズランド大獣医学部のグレゴリー・シモンズ講師(68)は「コアラは数百万年をかけて、ほかの哺乳類とはかなり違う進化をするかもしれない」という。京都大ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授(56)は「オーストラリアに行くのは6500万年ぐらい前の地球にタイムトラベルするようなもの」だと話す。
オーストラリアを切り離した後の大陸側では、哺乳類は様々なレトロウイルスを積極的に取り込んで胎盤を進化させていった。そんな太古に起こったことが、現在のオーストラリアにいるコアラを通して再現されるというわけだ。宮沢さんは「僕らは外から入ってきたレトロウイルスとどうやってなじんで、どう使ってきたのか。ウイルスと動物がどんなせめぎ合いをしたのかをまさに今見ることができる。すごいチャンスだ」という。
シモンズさんの関心の一つは、そんなウイルスがどこから来たかだ。研究の結果、オーストラリアに生息するメロミスというネズミが持つレトロウイルスに由来するらしいことがわかった。だが、さらにその先はまだわからないという。宮沢さんは大陸が分かれた後にやってきた人類が持ち込んだ様々な動物とともにレトロウイルスが入ってきたとみる。
ウイルス感染がコアラにもたらすのは絶滅か、進化か。東海大医学部の中川草講師(38)は「現在進行形で、どっちに転ぶかわからない」と話す。昨年発表された研究では、ウイルスの内在化でコアラが感染を防ぐ抵抗力を増している可能性が指摘された。中川さんは「そもそもウイルスは宿主に病気を引き起こそうとは思ってない。自分が増えるために一番効率がいい方法をとっているだけだ」という。「内在化という現象はゲノム内でウイルスと宿主が共存共栄をしようとしているように見える」