愛知県岡崎市にある生理学研究所で、村田和義さんの研究室を見せてもらった。ここには、「低温電子顕微鏡」がある。ウイルスは小さすぎて光学顕微鏡では観察できない。それを観察できる装置だ。電子を飛ばすために電子顕微鏡の内部は高い真空度に保たれている。ウイルスをそのまま入れるとたちまち乾燥して形を保てないので、急速凍結して薄い氷の膜の中に閉じ込めて観察する。たんぱく質やウイルスの構造を解析するこの方法を開発した研究者は2017年にノーベル化学賞を受賞している。
村田さんは低温電子顕微鏡で、マウスのノロウイルスの構造を解析して7月に発表した。ウイルスの表面の突起が回転しながら伸びたり縮んだりして、2種類の構造を切り替えていることを突き止めた。ウイルスに対抗するための宿主の武器である「免疫」を、ウイルスが通常と異なる形を装ってかわし、腸にたどりついて感染する直前に、免疫はかわしにくいが、感染しやすい形になっていた。
形にはウイルスが巧みに増殖するための戦略がひそんでいる。村田さんが、ウイルスを研究対象にしたきっかけも、その形に興味をもったからだ。生物の細胞は、構造を観察すると不規則でふにゃっとして、大きさもばらばらなことが多い。しかし、ウイルスは違う。たとえば細菌に感染する「T4ファージ」と呼ばれるウイルスは、アポロ11号の月着陸船のような本体と着陸のための足をもっている。幾何学的で、製図をもとに作ったかのように同じ形で同じサイズ。「規格」からはみださない。「人工物以外でこういうものが存在するということが驚きだった」と村田さんはいう。
しかも、ウイルスは、ゲノムとたんぱく質の殻からなる単純な構造物であるにもかかわらず、複雑なことを巧妙にやってのける。さあこれから感染して増えるぞ、と指令を出されるわけでないのに、細胞に近づいて内部に侵入し、複数の部品が自動的に協調して働き、規格品のコピーを多数作り出す。
ところが最近、規格外のウイルスもいることがわかってきた。巨大ウイルスだ。これまでのウイルスの概念を覆す巨大ウイルスが近年いくつも見つかっている。その一つ、つぼの形のピソウイルスは、大きさにゆらぎがある。村田さんは「幾何学的なウイルスは最少の材料でできており、たんぱく質の数も決まっているからサイズも同じ。一方、ピソウイルスは幾何学的な形ではなく、殻を作るたんぱく質の数は厳密に決まっていないから大きさに多少の誤差がある」と説明する。
非常に小さいながら賢く生き残ってきたというウイルスのイメージを、巨大ウイルスは変えた。村田さんと共同でピソウイルスの構造を解析したウプサラ大の岡本健太さんもこう話す。「巨大だと遺伝子をたくさんつめこんで複雑なことができるが、単純であるというウイルスのメリットがなくなる。ウイルスが巨大である意義がはっきりしない」
岡本さんらが進めているのは、ウイルスの形を比較することで、ウイルスの進化に迫る研究だ。遺伝情報の比較だけではわからないことが、形を比べることで見えることがあるという。構造は感染のしかたなど、生存戦略に直結する。
岡本さんと村田さんは共同で、菌類に感染するトチウイルスと昆虫に感染するオモノリバーウイルスの構造を解析して比較した。これらのウイルスは、遺伝子の共通部分が多く、形態も似ているので、進化的に近い関係だと考えられている。しかし、トチウイルスは感染すると、中で増殖するが外に出て行くことはなく、宿主の細胞の分裂に伴って伝搬していく。一方、オモノリバーウイルスは、宿主細胞に感染して増殖して細胞の外に放出され、別の細胞に感染を繰り返す。オモノリバーウイルスの表面には、細胞の吸着や侵入にかかわるとみられる突起構造があり、トチウイルスにある表面の穴は閉じている。これらの違いは、トチウイルスが進化して、細胞の外に飛び出していくことを可能にした痕跡ではないか、と考えた。
生物の進化は海の単細胞生物から始まり、陸に進出して、多様な進化をとげた。ウイルスも進化して、多様化した生物を宿主にしてきた。岡本さんは「構造の変化を調べることで、宿主をのりかえていくウイルスの進化の過程がみえてくる可能性がある」と話す。