英国のデビッド・オースチン・ロージズ社は、世界中で最も高く評価される花の品種の数々を60年以上にもわたって作り続けてきた。
例えるなら、バラ界の「エアジョーダン」(ナイキのバスケットボールシューズ・シリーズ)、「バーキン」(エルメスのバッグ)、「スタインウェイ」(最高級とされるスタインウェイ&サンズ社のピアノ)といったところだろうか。
同社のバラは今や、私たちが親しみ、香りをかぎ、鑑賞する「イングリッシュローズ」(訳注=同社で育種したバラのブランド名にあたる)として知れ渡っている。
デビッド・オースチン・ロージズ社は60年以上にもわたって毎年、自社が育てた新しい品種の一つか二つに英国の歴史的な人物の名を冠してきた。「エリザベス(女王)」「エミリー・ブロンテ」「ロアルド・ダール」「チャールズ・ダーウィン」などだ。2023年までは、すべてが白人だった。
では、「ダナヒュー」の香りを思いっきり吸い込んでほしい。
ロンドンで2023年5月に開かれた「チェルシーフラワーショー」(訳注=英国王立園芸協会主催。世界最高峰のガーデニング大会とされる)。デビッド・オースチン・ロージズ社は、この大会でダナヒューを世に送り出した。
アンズ色をしたイングリッシュ・シュラブ・ローズ(訳注=「シュラブ」は「半つる性」のこと。「木立性」「つる性」と並ぶバラの三つの樹形の一つ)で、その名はダニー・クラーク(Danny Clarke)にちなんでいる。ソーシャルメディアのフォロワーや、英国のテレビ視聴者には「黒人庭師」として知られている。このバラの株は、2024年には米国の愛好家のもとにも届くようになる。
クラークの正式なファーストネームがダナヒューだ。ほぼ無名の存在だったが、10年近く前に英BBC放送の「The Instant Gardener(にわか庭師)」(訳注=庶民的な園芸コーナー)に出演し、一躍スターになった。以来、園芸に親しむ機会を増やす活動のリーダー的な存在になっている。庭造りの設計を手がける自分の会社を経営しながら、恵まれない境遇にある若者たちに園芸を教える「Grow To Know(育て方を覚えて成長しよう)」運動の方針作りにかかわってきた。
「庭造りは、だれにでもできる」。ロンドン南東部のブロムリー区にある自分の庭園から、クラークはこうインタビューに答えた。「庭造りは人間の本能なんだ」
そして今は、彼に敬意を表して名付けられたこのバラが、ほかの有色人種の園芸家たちに自信を与えてくれることを願っている。このバラがなければ、園芸を通して自然とつながることは、自分たちには無縁だと思ってしまったかもしれないからだ。
「私がこのような栄誉を受け、土をいじり、素晴らしい庭園を訪れ、田園風景の一部になり切っているのを彼らが見れば、こう考えるんじゃないのかな。『あいつにできたのなら、自分にだってできるのでは』と」
ダナヒューが完成するまでには12年かかった。デビッド・オースチン・ロージズ社では、平均的な育種期間だ。
創業者のデビッド・オースチンが、自分で作り出したバラの第1号「コンスタンス・スプライ」を発表したのは1961年だった。英国の作家で、上流社会のフラワーデザイナーだったスプライ(訳注=1953年のエリザベス女王の戴冠(たいかん)式でフラワーアレンジを委託されている)にちなんで名付けた。オースチンは生涯をかけて200を超えるバラの新種を育て、世界的な育種家の一人になった。今は、息子のデビッド・オースチン・ジュニアが会社を経営している。
オースチン・ジュニアは、2022年のチェルシーフラワーショーでクラークの出展作を見て、彼にちなんでバラを名付けることにした。この作品は森林破壊と社会的不平等から発想を得たもので、大会の銀メダルに輝いた。「Grow To Know」運動の創始者テイシャン・ヘイデン・スミスとともに設計した庭だった。
「先代のデビッド・オースチンがすごかったのは、古くからある花の形と香り(訳注=1867年に節目となる新種が開発される以前の昔からの「オールドローズ」)を引き継ぎながら、モダンで年に何度も咲くシュラブ株を生み出したことだった」とピーター・クキエルスキーは解説する。米ニューヨーク植物園でかつて学芸員をしていたバラの栽培家だ。「だれもが欲しかったバラだった」
「ダナヒューの由来を米国で説明する機会がめぐってくるのを心待ちにしている」とクキエルスキーは続けた。「この新種には、多くの敬意が込められている。名前の付け方だって、現実と同じような多様性を拒む理由はどこにもない。この命名は感動的ですらあるし、拍手を送りたい」
デビッド・オースチン・ロージズ社は毎年、二つほどの新種を発表している(2023年の二つ目の新種は、7月に発表する予定だ)。親となる2種のバラを選び出して人工授粉で交配し、まず4万粒ほどの種子を得る。すべては手作業で、最終的には35万本の苗木を育てる。このうち15万本をほぼ5年にわたって野外で厳密にチェックし、売りに出す新種を二つに絞る。
「新しい品種は、当然ながらイングリッシュローズとして魅惑的で美しく、優雅な特性を備えていなければならない」とデビッド・オースチン・ロージズ社でブランド・コンテンツ部門を率いるカースティ・フリートウッドは語る。しかも、「病気への抵抗力や成長力、さらには現代の生態系の中で問題なく育てることができるかが問われる」。
デビッド・オースチン・ロージズ社によると、ダナヒューは万能選手で、日なたでも日陰でも育つ。鉢やプランターなどの容器に植えてベランダに置いてもいいし、広い緑地の生け垣に植えてもよい。育つ土壌の種類は問わず、花粉を運んでくれる昆虫なども好んで寄ってくる。
突き詰めれば、このバラが発信する育てやすさのメッセージは、クラークの発信する庶民的な園芸メッセージと「ピッタリ重なっている」とフリートウッドは指摘する。
「私たちは園芸が、だれにでも身近で開放的なものであるよう心がけている。そのためには、どんな空間にでも咲き誇り、だれもが育てられるバラを作らねばならない」とフリートウッドは強調する。
そして、その香りだ。
「わずかにカンゾウのような香りを感じるが、とてもほのかで、押しつけがましくない」とクラークはいう。「香りをかぐためには、うんと近づかないと」
クラークは、英オックスフォードでジャマイカ系移民の家庭に生まれた。父は英陸軍に勤め、幼少期は引っ越しが多かった。新居に落ち着くと、父は息子をいつも庭に行かせた。新しい環境に慣れさせるためだった。
「大した用事じゃなかったかもしれない」とクラークは振り返る。「でも、未来への根っこを植え付けてくれた」
大人になり、自分の庭を持つようになると、幼いころの外遊びの記憶が鮮やかによみがえった。
営業の仕事をしていたが、結局は植木ばさみを手にする職に変えた。2014年には、「黒人庭師」を名乗るようになった。この業界は、あまりに人種の多様性に欠けていた。その原因は、(訳注=園芸と違って)土地を耕すことはいやしい仕事と見なされていた奴隷制度にまでさかのぼることができるとクラークはいう。「園芸へのそんな感覚を変えるのが、自分の務め。そして、土いじりへの偏見をなんとか正したい。だって、自然に携わるのは『権利』であって、『特権』ではないのだから」
そのメッセージは、力強く、はっきりとした形で広がっている。
イングランド南部に住む黒人で、家庭園芸を楽しむイズウェ・ンコシは、長らくデビッド・オースチン・ロージズ社のバラを集めてきた。クラークの大のファンでもあり、ダナヒューが売り出されるとすぐに注文した。届くと、その様子を撮影した動画をTikTokに投稿した。
「私にとっては、すごいことなんだ」。ズームでの取材に、ンコシは自分の庭からこう答えた。「私と同じような外見の人がやり遂げた成果を、この目で見ることができる。その人は私と同じような髪をして、話し方も似ている。娘たちにも見せてあげられるしね」
クラークは、「自分のような貧しい人間のために、手ごろな価格で手軽に作れる素晴らしい庭の見取り図を提供してくれた」とンコシは感謝する。
その小さな庭にある30種ほどのバラのほとんどは、デビッド・オースチン・ロージズ社の品種だ。「エミリー・ブロンテ」や「ストロベリー・ヒル」「ガブリエル・オーク」などがある。これからは、ダナヒューを中心に据えようと思っている。
「ダナヒューの香りをかぐと、文字通り体中に染み渡る。嫌なことがあった日には、この香りをかいで、心を落ち着かせたいと思うことだろう」(抄訳)
(Remy Tumin)©2023 The New York Times
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