間接的に疑惑認めた、民事訴訟でのジャニー喜多川氏の証言
まず、簡単に番組内容とジャニー氏の性的虐待問題について整理しておこう(内容は本国版を参照している)。
この一件を追うのは、モビーン・アザー記者だ。ミュージシャンのプリンスを追った評伝『プリンス 1958-2016』 (2016年)や、イギリスのムスリムが共同生活をするリアリティ番組”Muslims Like Us”(2017年)でイギリスアカデミー賞を受賞した実績がある。
冒頭、アザー氏が向かったのは文藝春秋社だった。1999年から翌年にかけて、『週刊文春』はジャーナリストの中村竜太郎氏を中心に、ジャニー喜多川氏の性的虐待疑惑を連載した。一般にこの問題が広まったのもこの記事の影響が大きいだろう。
だが、この連載が続いていた最中の1999年11月、ジャニー喜多川氏とジャニーズ事務所は文藝春秋側を相手に名誉毀損で民事訴訟を起こす。2002年3月、東京地裁は文藝春秋に880万円の損害賠償を命ずる判決を出すが、2003年7月に東京高裁が言い渡した控訴審判決ではジャニー氏の性的虐待(判決文では「セクハラ行為」)が事実認定され、賠償額は120万円に減額された。そして、翌2004年2月に最高裁がジャニーズ側の上告を棄却して、二審・東京高裁判決が確定した。
より具体的には、ジャニー氏がみずからの権力を利用して性的虐待をしていた事実が認定された。裁判の詳細は『文春オンライン』の記事に譲るが、高裁の審理で見逃せないのは原告であるジャニー喜多川氏の証言だ。このとき「少年たちは、ウソの証言をしたということは、僕には明確に言い難いです」と間接的に認める発言をしている。
番組の前半では、このように『文春』報道と民事訴訟で明らかになった事実が確認される。被害者であるハヤシ氏や他の証言者が登場するのは、この後だ。そして中盤から後半にかけては、ジャニーズ事務所とマスメディアの癒着、心理カウンセラー・山口修喜氏による「グルーミング行為」の解説、そして最後の本社への「突撃」と展開する。
告発ではなく「暴露」 芸能ゴシップとして扱われてきた過去
実は、この番組で驚くような新たな事実は出てこない。それらは、過去に『週刊文春』や元ジャニーズタレントの暴露本で語られてきたことと重なる。
ジャニー氏の性的虐待疑惑については1967年に『女性自身』が一部報じており、1988年には元フォーリーブスの北公次氏(故人)が著書『光GENJIへ』で告発して大きな話題となった。
翌1989年には『ジャニーズの逆襲』(中谷良著)が出版。元ジャニーズの著者が実体を告発した。1996年にもこの番組に登場する平本淳也氏が『ジャニーズのすべて』3部作を出版している。『文春』の特集連載は、それから3年後に始まった。
しかし、それでもジャニー氏の性的虐待問題は長らく“噂”扱いだった。今回、筆者が周囲の友人たちに聞いたところ、それを“噂”として耳にしていても、事実とは認識していなかった。『文春』の民事訴訟の結果は、それほど周知されていなかったのである。
2004年2月に判決が確定した『文春』裁判を取り上げた新聞は、確認できる範囲では朝日新聞と毎日新聞、そして地方紙の中国新聞のみだ。しかもそれらはすべて300字にも満たない、いわゆる「ベタ記事」だ。そして、テレビは完全に黙殺した。
各種メディアがこの件の報道に及び腰だった理由はいくつか考えられる。
ひとつが、多くのメディアがこの件を「芸能ゴシップ」として捉えていたからだ。それはあくまでも民事訴訟であり、被害者が告発した刑事事件ではなかった。
そしてこの番組でも言及されるように、2017年に強姦罪が強制性交等罪に改正されるまで、長らく日本では男性が性犯罪の被害者になる想定がなされていなかった。つまり、男性による性被害の告発が難しい時代だった。
この法的な不備は、残念なことに日本社会の意識の反映でもあった。この一件はしばしば「ホモセクハラ」と侮蔑的に表現されたが、それは同性間の性暴力を「芸能ゴシップ」と見なしていたからこそでもある。
また一審で『文春』が敗訴したことも要因のひとつとしてあげられるだろう。最終的に性的虐待の事実認定はされたが、この一審の結果によって世間の関心は薄れてしまった。一審判決から控訴審判決の確定まで2年近くの月日が経ち、その間に「やはり、ただの“噂”でしかなかった」とする認識が醸成された可能性がある。
また、こうしたジャニー氏の性的虐待を元ジャニーズタレントが「告発」ではなく「暴露」としていた側面も「芸能ゴシップ」の印象に拍車をかけたことは否定できない。たとえばこの番組にも登場する平本淳也氏やリュウ氏は直接の被害を受けておらず(厳密には未遂)、彼らもジャニー氏の性的虐待行為を重く受け止めずに、その行為を強く非難もしない(アザー氏はこうした両氏の姿勢を「グルーミング」の結果として解釈する)。
「芸能ゴシップ」との認識は、こうした複数の要素が折り重なって構築された。
不祥事の報道は「メリットなし」と判断? 「忖度」のメカニズム
だが、そうしたこと以上にジャニー氏の性的虐待問題が報じられなかったのは、やはりジャニーズ事務所が極めて巧妙にメディアを「コントロール」してきたからだ。
『文春』裁判の判決が確定した2004年の当時とは、SMAPと嵐を中心にジャニーズがさらにその勢力を固めて広げていた頃でもある。
前年に「世界に一つだけの花」が大ヒットしたSMAPは、大晦日の『紅白歌合戦』で初の大トリを務めた。年が開けた1月からは、香取慎吾主演のNHK大河ドラマ『新選組!』がスタートした。NEWSと関ジャニ∞もそれぞれメジャーデビューし、夏の『24時間テレビ』(日本テレビ)で嵐がはじめてメインパーソナリティーを担ったのもこの年だ。
民放テレビ局は、自社にとって大切な取引先でもあるジャニーズ事務所の不祥事を報じることに、メリットがないと判断したのだろう。つまりジャニーズのコンテンツで視聴率を稼ぎ、報道機関としての役割を捨てることを選んだ。
雑誌社や新聞社にとっても、業績が下落し続けていた2000年代前半には積極的に報じる価値が高くなかったと想像される。ジャニーズタレントへの取材が成立しなかったり、広告出稿が避けられたりするリスクもあるからだ。
日本の芸能プロダクションは概して「アメとムチ」を使い分けるが、ジャニーズ事務所はそれが強圧的であることは業界ではよく知られていた(ただ一貫性や明確さもあるので「一定のルールがわかれば付き合いやすい」との声も耳にする)。
こうしたジャニーズ事務所とメディアの関係はいまも大きく変化しているわけではない。各メディアは「ジャニーズ担当」と呼ばれる専任者を置き、ジャニーズとの関係を構築する。この担当者はもともとファンであるケースも多く、ジャニーズ事務所も厚い対応をして人心を掌握する。各メディアがジャニーズ事務所の不祥事を取り上げる際、最初のハードルはこの身内のジャニーズ担当者である。
また、所属タレントの報道・情報番組への出演も効果を発揮している。現在であれば、日本テレビ『news zero』、テレビ朝日『サンデーLIVE!!』、同『週刊ニュースリーダー』などがそうだ。もちろん彼らの目の前でもジャニーズ事務所の不祥事は追及されなければならないが、現実的にそうしたことはなされない。報道機関としてそこまでの矜持があるならば、そもそもジャニーズタレントを報道番組に起用するはずがないからだ。
このように各メディアとのパイプを太くしておけば、あとは勝手に“忖度”のメカニズムが働く。もしテレビ局がジャニーズの機嫌を損ねてタレントが引き上げられれば、番組のプロデューサーは左遷されるリスクがある。
「ジャニーズそのものが怖いんじゃない。会社のほうがずっと怖い」
これは実際にテレビ局員から訊いた言葉だ。また筆者が過去に出演した番組でも、本番5分前にプロデューサーからジャニーズ事務所への“忖度”を求められたことがある(もちろん突っぱねた)。
高給取りの彼らは、保身を動機に自己検閲に奔走する。
これが“自動忖度機”の大量生産のメカニズムであり、ジャニーズ事務所のメディアコントロールの方法論だ。ジャニーズが直接的に手を出さなくとも、その強大な権力が個々人の内面を見えない力で支配する。
現在、国会では総務省の行政文書が明らかとなり、放送局への圧力が取り沙汰されているが、民放が官邸や政府よりもずっと怖れているのは間違いなくジャニーズ事務所だ。
歌番組での「ジャニーズ枠」 公正取引委員会が圧力を「注意」
こうしたジャニーズのメディアコントロールがわかりやすく表れているケースもある。それがテレビ朝日の『ミュージックステーション』だろう。
1986年から続くこの長寿音楽番組は、光GENJI全盛期の1988年から“ジャニーズ枠”が用意されている。
『Mステ』を立ち上げた元テレビ朝日の皇達也氏(故人)は、ジャニー喜多川氏の死去の際に『週刊新潮』の取材に対してこう話している。
「(略)たとえば、台頭してきた他の事務所の男性アイドルを番組に出すかどうか考えていた時のこと。ジャニーさんは”出したらいいじゃない。ただ、うちのタレントと被るから、うちは出さない方がいいね”と言う。ジャニーズタレントが番組から消えたら大変です。私が”そんなこと言わないで後進に手本を示してくださいよ”と返すと、”わかったよ”と理解してくれた。厳しさの反面、度量もある方でした」「稀代のエンターテイナーが隠した『牙』と『孤独』――「江木俊夫」が語る『ジャニー喜多川の光と影』」
(『週刊新潮』2019年7月25日号)
そこではジャニー氏が圧力(タレントの引き上げ)をちらつかせたものの、皇氏が抵抗してジャニー氏が納得したエピソードとして描かれている。しかし、結局のところ『Mステ』にジャニーズの競合グループが出演しにくい状況はいまも続いている。具体的には、『紅白歌合戦』に出場したJO1やBE:FIRST、Da-iCEがそうだ。
圧力をちらつかせて“自動忖度機”を大量生産するこのジャニーズ事務所のこうした方法論は、2019年7月にやっと表沙汰となった。
ジャニー氏の死去から8日後、公正取引委員会はジャニーズ事務所が民放テレビ局などに対し、元SMAPの3人を「出演させないよう圧力をかけていた疑いがある」として「注意」をした。
だがその後も『ミュージックステーション』はジャニーズ事務所への“忖度”を続けている。こうして、まさにJ-POPそのものが「捕食」され続けている。
ジャニー氏の性的虐待問題を「噂」以上のものとして拡散させなかったこの“自動忖度”効果は、世論の「沈黙の螺旋(らせん)」現象(E・ノエル=ノイマン)と近い様相と言える。
ジャニー氏の性的虐待に正面から取り組むことで生じる孤立や批判を避けた結果、多くのひとびとがそれに沈黙し、問題視しない世論がさらに優勢となってしまう。裁判で認定された「事実」が「噂」の域を出なかったのはこうしたメカニズムによる。
しかし今回、BBCが取材することでこの問題は一気に再燃した。「噂」だったこの件は、少なくとも、民事訴訟で認定された部分については一気に「事実」として人口に膾炙し、それ以外の疑惑についても関心が高まっている。
しかも、その火種も簡単には消えない。たとえ民放テレビ局などがこれまで通り“沈黙”を貫いても、BBCの日本語記事はインターネット上に残り続け、番組も動画配信サービスで個別に観ることができる。
そうした事態は、2000年代いっぱいまで機能してきたジャニーズ事務所のメディア支配がもはや通用しない現実を意味している。
テレビを中心とする従来のレガシーメディアは、新たなインターネットメディアによって完全に相対化された。情報やコンテンツはグローバルに流通し国内だけで完結することはない。
そしてなにより、2010年代以降に浸透したSNSとスマートフォンは、ジャニーズのグループのファンたちにも強い問題意識と連帯を生み出した。
2016年のSMAPの解散を契機に、その後に相次いだ退所者や昨年11月のKing & Princeのメンバー脱退発表などによって、ファンのあいだでジャニーズ事務所への不信感は高まり続けている。今回のBBCの報道も、そのなかでなされたものだ。
若者、子どもが狙われたBBCのジミー・サビル事件
BBCがいまになってジャニー喜多川氏を告発した背景には、アメリカの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの性暴力事件や、一連の”Me Too運動”がある。だが、ジャニー氏のケースと近いのは、BBCなどイギリスのテレビで長年にわたって人気番組に出演してきたジミー・サビルの事件だろう。
サビルは2011年に84歳で病死したが、それから1年経って性的虐待事件が発覚する。しかも、60年間にわたり450人に対する性暴力疑惑だった(正式に事件として記録されたのは214件)。彼はBBCの施設内や慈善活動で赴く病院や学校などで犯行を繰り返し、被害者の8割は若者か子供だった。
生前のサビルは、イギリスでもっとも知名度の高い司会者だった。テレビ黎明期の1960年代から音楽番組で頭角を表し、そのエキセントリックな風貌や言動で人気を集めた。ミュージシャンとの交友も多かったが、慈善事業を通じて官邸や王室にも太いパイプを持っていた。マーガレット・サッチャー首相やチャールズ皇太子からも信頼されており、1990年にはナイトの称号も授与されたほどだ。
サビルが亡くなった直後、イギリスの多くのメディアは人気者として彼を追悼した。しかし1年後に彼の性的虐待を告発する番組が民放局・ITVで放送されると、状況は一変する。番組をきっかけに多くの被害者が声をあげ、警察による捜査が開始される。
そこではBBCも捜査対象だった。サビルは、自分が司会をしていたBBCの子供番組の出演者に虐待を加えていたからだ。
明るい人気者のテレビスターは、恐ろしい“裏の顔”を持っていた。このプロセスは、Netflixのドキュメンタリー『ジミー・サビル─人気司会者の別の顔』(2022年)などに詳しいが、このときBBCは会長の辞任にまでいたる。
BBCの報道番組『ニュースナイト』は、サビルが亡くなった直後に性的虐待疑惑を知って調査を始めたものの、そのレポートは放送直前にお蔵入りとなった。後の検証委員会の調査では、上層部からの圧力は認められなかったが、報道に消極的な姿勢が明らかとなったからだ。
BBCのモビーン・アザー記者が、今回のジャニー氏の一件を取り上げた背景には、おそらくこのジミー・サビル事件がある。みずからの権力を利用して未成年者に性的虐待を続け、生前よりも死後にそれが問題視される展開もジャニー氏と重なる。
問われるジャニーズ事務所の責任 メディアは沈黙続けるのか
ジャニー氏の件は、日本でも字幕入りで放送されたこともあり、ここから日本の各メディアがどのように報じるかが注目される。現状、ネットや出版系メディアを除けば、大手メディアの多くはこの件に沈黙を続けている。
だが前述したように、今後は恒常的に動画配信サービスで配信され、SNSでもそれが参照され続ける。そうなると、もはや「沈黙の螺旋」は機能しない。ジャニー氏の行為だけでなく、各メディアの報道機関としての矜持も問われ続ける。
そしてなによりジャニーズ事務所によりはっきりとした対応が求め続けられるだろう。BBCの番組では、東京・乃木坂にあるジャニーズ事務所の本社ビルを直撃したアザー記者をけんもほろろに突き返し、さらに路上で本社ビルの外観を撮影するなと警備員は法的根拠もなく言い放つ。それは、ジャニーズ事務所の異様な組織体制がよくわかるシーンだった。
BBCに対してジャニーズ事務所は書面で回答はしている。番組の最後で触れられるその内容は、以下のとおりだ。
2019年の弊社代表の死去後、透明性の高い組織体制を目指し、コンプライアンス遵守の徹底、ガバナンス体制強化を推進中です。2023年には新体制の発表と導入を予定しております。
BBC『J-POPの捕食者──秘められたスキャンダル』
一見、優等生的な回答だが問題をすり替えている。ジャニー氏の性的虐待問題にはいっさい言及せず、ジャニー氏の死後は法令遵守に取り組んでいると言っているだけだ。アザー記者やBBCが問うているのは、生前のジャニー氏がおこなった性的虐待についてであって、現在のコンプライアンスではない。
一般的な企業であれば、現在の代表である藤島ジュリー景子氏が直接顔を出して会見すべき問題だ。そこでは問わなければならないことがたくさんある。
裁判で認定された事実関係をジャニーズ事務所も認めるのか、それとも反証するのか。もし事実として認めるのであれば、第三者機関による内部調査をおこなうのか。そして被害者に対してどのように補償をするのか等々、回答すべきことは多くあるはずだ。
おそらくジャニーズ事務所は、このままメディアの沈黙を頼りに逃げ切ろうとしている。日本の報道機関と社会は、果たしてそれを許すのか。現在はその分水嶺にある。